石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津戦争9  戸ノ口原西軍ざんごう跡

2007年01月08日 | 戊辰・会津戦争

戸ノ口原にある西軍のざんごう 会津若松市湊町

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市湊町笹山原 会津若松市の市街地から30分

Photo_24明治元年(1868)8月23日、戊辰戦争で会津藩の白虎隊などと西軍が戦った戸ノ口原にはこの写真のような西軍が構築した砲台跡とざんごう(写真中央奥の凹地)が残ってます。現在は、県の会津レクリェーション公園となり、県が管理し、草は除草されています。会津藩のものは、当時掘られてそのまま放置され、現在は藪となっていますが、地権者の了解のもと、白虎隊がいた菰土山と姥山の塹壕跡は会津古城研究会で除草していることから見ることができます。西軍のものは、53メートルあり、砲台跡が上にありますが、明治時代に連隊で掘り直して使用しています。「会津戊辰戦争」などには、「胸墻」(きょうしょう)と書かれ、明治時代になると「胸壁」と呼ばれ、現在では「ざんごう」と呼ばれています。

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