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事例研究!蘇った名古屋「大須商店街」、その理由とはなんだったのか!

2011年01月01日 | 事例の紹介
新年、第一弾の投稿は「商店街の活性化」事例。


大須は、歴史のある街ですね。江戸時代の初頭に、家康が名古屋城を築城。寺社仏閣を大須に移し、門前町として4百年にわたり栄えました。ところが、今から40年前の1970年代になると、急激に寂れていきます。理由は、交通網の整備にありました。市内に4百メートル道路が通り、大須を中心繁華街である栄地区から分断。大須に入って来ていた市電も廃止され、さらに近隣に地下ショッピング街ができていきます。

この煽りをうけて、昭和40年ごろには、全国に先んじてシャッター商店街と化していきました。まさに、陸の孤島といった有り様。
もう、どうにもならない!そんな雰囲気が街には漂っていたそうです。鯱こんぶ本舗の志那河屋・店主である品川常吉さんは、これに非常なる危機感を抱きました。なんとかならないか!街おこしの起爆剤となるようなコトが出来ないか!を日々考えていたようです。

そんなある日のこと。昭和50年6月大須商店街で、名城大学の学生を中心とした若者たちの祭「アクション大須」が開催されました。これは、池田芳一助教授のゼミが企画したもので、都市問題に関する討論から生まれたそうです。大須で、今までにない祭りをやれば、賑わいが戻ってくるのでは!そんな意味を込めてのことだった。企画は昔ながらの大道芸。猿回し、小屋掛け、がまの油売り、バナナの叩き売り、のぞきからくり、七味唐辛子売り、人問ポンプなどが行われて、人々の関心を集めたといいます。

この企画を、大々的に街おこし・商店街活性化に使えないか。そんな事を考えた、品川さん。商店街をくまなく歩いて商店主に話しかけます。これを毎年おこなおうじゃないか!と。しかし、そのほとんどが「そんなモノではダメだ!」「興味がない!」「無駄だし、意味がない!」などと断られ続けたといいますね。
でもけっして諦めなかった。わずかな人数でも、「やる!」「やろう!」という有志を集めます。そして、翌年の昭和51年も、2日間にわたり「アクション大須」は開催される運びに。これも世間で注目を浴び、多くの人が集まることになります。そして、これに気を良くした品川さんたちは、いよいよ満を持し、さらに内容を強化した「大須大道町人祭」を開催することを決意します。昭和52年のことです。

この「大須大道町人祭」は、昭和30年代からあった「名古屋まつり」に日程をぶつけました。さらに、マスコミを徹底活用。「名古屋まつり」が行政の主催であるのに対し、この祭りは、市民主催の祭りである。したがって、社会的な意義がある祭りだ!と。
マスコミを、積極的に取りあげてくれて、大反響となります。結果、祭りは大成功となり、品川さんたちはその意を強くしました。

マスコミとの関わりの大切さを痛感した、品川さん。街の小さな話題でも、積極的にマスコミに働きかけます。周りからは、「利益にもならない!」「意味がないじゃないか!」の批判が出ても、動じません。
これが、市民を商店街を、徐々に結びつけていったようです。

現在、大須商店街には他の商店街を尻目に、毎年集客数をのばしています。
わずかな有志でも、その意を強くしたもの同士が連帯。諦めずに、継続しておこなった結果が、現在の平日3万人・休日5万人の人々が訪れるという繁栄をもたらした事例です。

■サマリー、結論。
成功のポイントは、次の6点。
(1)やりたくない人を説得しようとしても、無理。
それよりは、やろうとする人だけでも発進すること。
(2)マスコミを徹底活用。
マスコミ研究を十分にして、マスコミが取りあげてくれる材料を提供する。
(3)人材の発掘。
この祭りでは、実行委員長を毎年変えているとの事。経験させることで、
人材が育つことになる。
(4)使える要素はすべて使う!
この事例では、「名古屋まつり」の開催に日取りをぶつけた。人のフンドシしで
相撲をとることも考えよう。
(5)継続こそ、力になる。
すぐに効果がでなくても、徐々に浸透していくこともある。諦めずに、常に考え
前に進もう!
(6)常に新しい事に挑戦する。
やってみて、初めて分かることが多いということ。やらなければゼロ、でもやって
少しでも効果があれば、得なんだ!そんな考えを持とう!




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