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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

ブログ開設

2005-03-21 13:15:55 | Weblog
ブログを開設する。
博物館巡りの長期旅行を計画してるので、そこでの出来事を随時載せていくつもり。
取り敢えずしばらくはその準備作業でも書くか…。

ということで皆さんよろしく。

さいたま市立漫画会館に行く

2005-03-20 23:36:36 | Weblog
 さいたま市立漫画会館に行く。さいたま市になる前は大宮市立漫画会館だった場所だ。JR大宮駅から東武野田線で二個目の大宮公園駅から徒歩5分ぐらいか。ここ盆栽町は世界的な盆栽のメッカ、らしい。
 新聞漫画の生みの親ともいえる北沢楽天。楽天の死後、夫人が全財産を市に寄贈し、楽天居に建てられたのがこの漫画会館なのだ。入るとすぐ横に楽天晩年の画室が復元されている。1階には楽天の年譜や作品群。絵が達者なのは無論のこと、どれも一流の諷刺が効いていて、時代を超えていても面白さが伝わる。
 日本初のカラー漫画雑誌である「東京パック」や「子供之友」「時事漫画」を創刊し、さらに芝の自宅を「楽天漫画スタヂオ」として開放し後進の指導につとめたという。今や日本の漫画は他国のコミックと比べても群を抜いた水準にあるが、その始まりという意味ではもっと知られてもいい人なのだろう。
 2階は企画展示で「絵筆のマジック・似顔絵展」。(入館無料)

 次いで埼玉県立博物館に行く。ここへ来るのは多分4、5回目。
 埼玉県は奥東京湾があったりして縄文時代の貝塚も多いし、前方後円墳などの古墳も多い。なので博物館にも埴輪とかが豊富にある。全国で2番目に大きい銅鐸や、日本最大の板碑とかも。(ただし複製。名前のとこに**とあるのが複製らしい。)
 縄文時代の男性器型の土器とかもあったが何に使ったのだろうか? 耳飾が弥生時代には引き継がれず消滅したのも謎だ。
 江戸時代の「源之丞の伊勢参り」というのが面白い。十数人の同行者と伊勢参りに行った記録だが、村を代表してるので経費が中心。お参りした場所、宿泊先、食べたものなども細かに書かれている。枕探し(泥棒)にあったが気づいた者があり被害なし、とか。赤穂では義士の木像を開帳してもらい拝礼したとか。当時から折り畳みの傘もあったようだ。
 「産業と文化」では小川和紙、藍や紅、綿や養蚕、農家や林業などなど。
 企画展は平安時代後期の朝廷や貴族の行事を描いた「年中行事絵巻」。「正月印地」という石を投げ合う祭りがあったそうで、今あったら面白いと思う。危ないけど。
 ビデオのブースで映像も見るが、どうしてこうゆう映像を見ると途端に眠くなるのだろう?
 (入館料210円)

 この日は時間がなくてさいたま市立博物館が見れなかった。「江戸時代のパロディー」という企画展をやっていたよう。残念。

 大宮駅前でふらふらと久々にパチンコをやり2万近く負ける。まったく当たらない。やはりギャンブルだけはやめなければと真剣に考える。

記念艦三笠を見る

2005-03-19 23:08:57 | Weblog
 横須賀市自然人文博物館に行く。ここに来るのは実に十年ぶりくらいなのだが、残念なことに過去の展示をまったく覚えていない。
 入るといきなりナウマン象の骨格がある。1881年、ナウマン博士が横須賀でとれた象化石の論文を雑誌に発表。これがナウマン象の最初である。う~ん、知らなかった。
 〔人文〕の展示。横須賀製鉄所や観音崎灯台、いわし漁の〆粕づくりなど。浦賀に上陸したペリーのコーナーでは、自筆の手紙、寺で椅子の代わりに使った曲彔(きょくろく)、ペリー艦隊から贈られた鍋などの珍しいものがある。
 階下に下りる。縄文人のジオラマでは縄文人が真っ裸だ。「縄文時代の人々は裸ではありません。しかし当時の服装が不明なためあえて着せていません」と説明があるがどんなものか?
 弥生時代の遺物で、小産石というまん丸い黒い石がある。何に使うものなのだろう? 縄文・弥生・奈良時代と、土錘の形が比較できて面白い。
 再び〔自然〕の展示に。三浦半島の自然、というわけで貝コレクションや美しいウミウシの写真パネルが並ぶ。大島のリス公園から逃げ出して野生化したタイワンリス、食用としてアメリカから輸入されて野生化したウシガエル、同じくウシガエルの餌用に輸入して日本に帰化したアメリカザリガニなどの紹介が人間の間抜けさを証明するようで笑ってしまう。
 発光生物のコーナーが凄い! 発光ミミズや発光キノコ、発光カタツムリ、ウミホタルやマツカサウオなどの発光魚、イカやカイなどなど。その仕組みも発光化学物質で光るタイプ、発光バクテリアを培養するタイプなど分かれている。蛍の発光器の固有シグナルパターン(種類とオスメスで異なる)の展示もある。
 このように人文・自然ともなかなか見ごたえのある内容なのだった。ちなみにうちに帰って十年前のパンフと見比べたら、展示の内容はまったく変わってなかった。それはそれで凄いと思う。(入館無料)

 博物館隣にある横浜市文化会館にある市民ギャラリーで、「中川久 藤田修 刻印された光と記憶」というのをやっていたので寄ってみる。ちょうど作者の藤田修氏によるギャラリートークがやっていて大勢の人がいた。芸術はよく分からないので足早に一回りする。何でも2007年には横須賀市美術館というのができるらしい。

 京急横須賀中央駅まで戻り、さらに三笠公園まで行く。記念艦三笠を見るためである。観覧料は一般500円。(自衛官は300円)
 三笠は明治37年の日露戦争で東郷大将率いる連合艦隊の旗艦として、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させるなど華々しい活躍をした。大正15年には三笠公園隣に保存されたが、太平洋戦争の敗戦で大砲やマスト、艦橋などが取り払われ、見るも無残な状態になったという。甲板には水族館やダンスホールなどが設けられた。昭和30年には、スクラップにして鉄屑として売却し、新たに記念館を作ろうなどの議論が巻き起こった。結局そうはならず、昭和36年に今の形に復元された。復元運動とその支援には、アメリカのニミッツ元帥も尽力したとか。(♪出て来いニミッツ、マッカーサーの人だな、多分)
 イギリスのビクトリー号、アメリカのコンスティチューション号と並ぶ世界の三大記念艦だそうだが、このように数奇な運命を辿っている。日本海海戦後も、佐世保港で火薬庫が爆発して乗員死者251名を出して1回沈んだりしている。
 見学順路をあらかた歩き回ったが、艦橋など高いとこはまるで苦手である。到底海の男にはなれないとあらためて実感した。
 当時の教科書にも載ったという久松五勇士物語(宮古島の漁師5人がサバニを漕いで命がけでバルチック艦隊を発見する話)の紹介とかも。
 東郷元帥の遺髪もある。艦の下部は三笠保存会の事務所にもなっている。

 艦長ら偉い人の利用する部屋は見れたが、その他大勢の乗組員がどんな部屋に寝てどこで飯を食っていたのかなどが分かる展示があればもっと良かった。お土産に東郷ビールを買う。

 この日は夜、吾妻ひでおMLのメンバーによる「失踪日記」出版記念オフ会が蒲田であったので参加した。僕は吾妻ひでおの古いファンなのだが、これまでファンの集いとかコミケとかSF大会などに参加したことがなく、こうしたオフ会は生まれて初めてだった。そのせいかなかなか話題についていけなかったが、そこそこ楽しめた。