緑のカーテンとゴルわんこ

愛犬ラム(ゴールデンレトリバー)との日々のあれこれと自然や植物、
本や映画などの勝手な独り言を書き留めています

「脳の個性を才能にかえる」を読みはじめました

2014年02月26日 | 
近くの図書館から表記の本を借りて来ました。新聞の書評欄になかなか興味深い紹介が載っていたので、予約していたら、思いのほか早くに「予約の本が届きました」とお知らせメールが来ました。

まだ目次を眺めただけですが、とても面白そうです。我が家の課題がまた広がって、「発達障害」の勉強を一からするようになりそうです。歳をとるわけにはいかなくなりそうです。でも、きっと私ってこういうのがけして苦手ではないのだなと、少し呆れています。

最近、私は図書館からの連絡メール恐怖症になっていました。数週間前から借りていた本がなかなか読み終わらず、2週間で返さなくてはならないのに、延々と返却がのびていたのです。

借りていたのは2冊の本。吉田修一の「愛に乱暴」と沢木耕太郎の「流星ひとつ」の2冊です。本のリクエストをして待っていた方には申し訳ないと思いながら、自分としては読みたいと思っていた本なのでなかなかあきらめがつかず、迷惑をかけてしまいました。そうすると、督促メールが何度も届くのです。「あなたの借りている本は返却期日が過ぎています。返却されない場合は、あなたの予約はできなくなります。」 はーい、わかりました。早く読みます、と思っていてもどうしてか、この2冊、なかなか読み進められなかったのです。



吉田修一は「悪人」でなかなかいいなと思い、その後何冊か読んだのですが、どうも男性登場人物が「悪人」のイメージと重なり、あまりさらなる魅力を感じなくなりました。
「悪人」は原作も映画も魅力的でしたのに、どうもその後は「さよなら渓谷」くらいかな? 「愛に乱暴」はかなり期待していたのですが、話の進め方がどうにもかったるくて、トントンと読み進められませんでした。加えて、年明けからの怒涛のような身辺でのさまざまな出来事に翻弄されて、本を読む時間があまりとれませんでした。いやいや、魅力的な本なら時間がないとか、あるとか関係ないんですよね。

本の中の話より私の身辺で起きた事柄のほうが、はるかに強烈で、そのことへの対応に追いかけられる思いでした。まさに「事実は小説より奇なり」でした。

4年ほど連絡が取れていなかった旧友の3年前の死去の報、親しいママ友の娘さんが実は数年前に自死されていたというのに、私だけが知らされていなかった事実など、どうしてこんなことが立て続けに起こるの? と誰にも答えることができない問いを日々問い続けるような時間でした。

ママ友の娘さんのことは、あくまでも私の体調や精神面への影響を考え、周囲の友人たちがしてくれた好意的な配慮だったのですが、突然その事実を知らされ、息子と同じ高校で学んでいたお嬢さんが就職後あまり日をおかず自死されていたことは、明るくて活発だったというその高校時代の姿とあまりにも隔たっていて、その事実に戸惑うばかりでした。

私にはなにができるのか? これから友人であるそのお母さんにどんな顔をして会えばいいのだろうか、いろいろ心乱れて、考えこんでしまいました。

結局、私ができたことは、その事実をやっと今知ったこと、私自身も親しい人との永遠の訣れとその喪失感、そこから立ち直ったように思っても、その人のことを思い出し続け、その時はどうしても「娘が好きだった色なのよね」「この味が好きだったのよ」と過去形でしか語れなくなった悲しみ、そんな体験を語るメールを送ることだけでした。

友人は通勤の帰り道に私からのメールを読み、電車の中で涙が止まらなくなったと書いてきてくれました。「癒し」なんて言葉は使いたくないですが、ケースは違うが同じような思いをしたであろう私の言葉が、少しは彼女の胸に届いてくれたことに感謝しています。、

生きていると本当にいろいろなことがあります。今はやっとそれらの事実を受け入れ、少しは私なりの対応ができたことで、心も身体も落ち着いてきました。

そうした怒涛のような日常にいると、果たして小説の力ってどれほどのものなのだろうとも思います。少なくとも、私の手元にあった2冊には私の生活の中で、現実に拮抗するべき力がなかったということなのかなと感じてもいます。



「流星ひとつ」は評価はいいようですが、藤圭子の歌1曲に対抗しうるかと問われれば、私はYouTubeで「新宿の女」を聞く方を選びます。沢木耕太郎も「テロルの決算」の頃のパワーが懐かしい思いがします。

そういえば、思い出したことがあります。昔、昔、川喜多和子さんに連れられ、大島渚監督もご一緒している席に私も何故だか同席していて、六本木のバーで飲んでいたことがあります。そのバーに郷ひろみがたまたま飲みに来ていて、大島監督に挨拶に来たのです。別に郷ひろみのファンではないので、感激はあまりしなかったのですが、でも光り輝くようにきれいでした。あのころが一番彼がきれいだったのではないかと思います。77、8年ごろだったでしょうか。

丁寧に挨拶する郷ひろみに監督と和子さんがかけた言葉は、山口二矢の役をぜひ引き受けてほしいという言葉でした。もし、その企画がかなっていたら、きっと素晴らしい映画ができたことでしょう。残念です。

でも、今となってはあの六本木の一夜は本当のことだったのか、私の夢想の産物だったのか、誰にも聞くことができなくなりました。時の流れの残酷さを感じます。

山口二矢の辞世の句としてネットで紹介されています。

「国のため 神州男児 晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路に」

私は山口二矢の社会党書記長浅沼稲次郎を刺殺した事件を思うとき、いつもある映画の一シーンが想起されます。ポーランドのアンジェイ・ワイダが監督した名作「灰とダイヤモンド」の主人公(演じたのは早世の名俳優チブルスキー)がときの共産党幹部を暗殺して、抱き合うように二人で倒れあうそのバッグに花火が大きく打ち上げられる有名なシーンです。

うーん、「灰とダイヤモンド」も再見したくなってきました。時間がないよー。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿