3月18日から20日までの3日間、
旭市での災害ボランティア活動に参加してきましたので、報告します。
体験等を中心に、時間経過も含めて日記形式でまとめてありますので、今後ボランティア活動に参加予定の方の参考にでもなれば幸いです。
全体的な感想等はまた明日にでも報告します。
3月18日(金)
旭市における災害復旧ボランティア活動一日目。
総武本線が復旧していないため、勝浦から車で現地に向かう。
ガソリンが心配だが、きっとどこかで給油出来る筈と信じて、7:00出発。
出発から約2時間半で旭市到着。
市内に入った段階では、街並にはそれほど異変は見られない。
しかし、海岸線に向かうにつれ、陥没した道路や崩れたコンクリート壁などを散見するようになる。
9:40に災害ボランティアセンター到着。
既に多くのボランティア希望者が受付をしており、待機所に列をつくっている。
早速受付をすませると、受付順に5~6名一組のチームに振り分けられてから、作業現場に向かうとのこと。
この日は一人で行ったので、5名のチームに合流させてもらう。
カップルさん、会社員、大学生、看護学生さんなど、個性豊かなメンバーで、しかも皆さん優しい人ばかり。
みなさんこうした災害復旧ボランティアは初参加とのこと。大震災を受けて、いてもたってもいられない気持ちは皆同じなのだろうと思う。
その後、10分程度のオリエンテーションを受け、被災者からのボランティアの依頼を待つ。
しかし、なんとそのまま1時間程も待ちぼうけ。
ボランティア希望者の人数が多すぎる事や、災害復旧ボランティア制度を被災者の皆さんが知らずにいて、制度利用者が少ない事が原因のようだ。
11:00を過ぎて、ようやくボランティアの依頼が入る。
仕事は津波によって半壊した商店の瓦礫撤去。
3チーム、計15名で一組となり、現場に向けて出発。
近場なので徒歩で現場に向かうが、センターから海岸通りに向かうにつれ、津波の被害を受けた家が多くなる。
海岸から一番近い通りでは、全壊、半壊の家が殆ど。
津波によってブロック塀が押し流され、車が家を貫き、ありとあらゆる家財道具が押し流され、木の壁もコンクリの壁も関係なく破壊されている。
津波の力がこれほどとは、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
報道されていないだけで、旭市の被災状態も激甚なものだ。
11:30、ようやく現場である海岸沿いの民家兼商店に到着。
家の内部は、これでもかというくらい、津波によって破壊されていた。
何もかも、壊れるものはその全てが破壊し尽くされている。
家の作りも海からの距離も周囲の街の雰囲気も、勝浦の実家に似ており、既視感を覚えると同時に、他人事ではない恐怖を感じる。
早速、壊れた家具や、濡れた畳、崩れた壁等を皆で協力しながら撤去して行く。
その全てが重く濡れた砂にまみれていて、なかなか作業は捗らない。
壁を見ると、自分の身長(176cm)のところまで海水に浸かった形跡があった。恐ろしい、と改めて思う。
15:00、ボランティアセンターからの指示により、作業終了。
皆の懸命な努力により、何とか屋内の撤去作業は完了した。
そのまま徒歩でボランティアセンターへ向かい、作業報告をして、16:00解散。
3月19日(土)
旭市における災害復旧ボランティア活動二日目。
ボランティア2日目は、勝浦の友人2名と一緒に向かう。
メンバーは、元自衛官と、医療従事者。頼もしい限りだ。
6:30勝浦出発。ガソリン不足の影響か、道が空いていた為、8:30センター到着。
センターにつくと、既にボランティア希望者が長い列を作っている。
休日という事もあってか、ものすごい人出だ。9:00の段階で300名はいたと思う。
ボランティア受付は「初めての方」と「2回目以降の方」に分かれており、2回目以降の受付は比較的すんなり済んだにも拘らず、初回受付はまさに長蛇の列。
結局、友人達の受付が済んだのは10:30。また、チームを組んでから依頼が来て現地に向かうまでさらに30分待った為、結局到着してから計2時間以上は並んだ事になる。
中には「せっかくボランティアに来たのに働けないなんてどうしたことだ!」と怒り始める人もいた。並んでいる時間を無駄にするくらいなら勝手に被災地に行ってしまおうかという話もそこかしこで聞いた。確かに気持ちは解る。
この日我々チームに入った依頼は、「津波で被害を被った庭園の砂の除去」。
実際に現場に到着してみると、確かに庭全体にうっすらと浜砂が覆っているが、家屋にも被害は殆どなく、「これはボランティアが必要な状態なのかな?」と疑問に思ってしまう状態。
いや、これも困っている人を助ける為だと自分に言い聞かせ、庭石の砂を懸命に払う。しかし、ほんの数十メートル先の現場では、家屋が倒壊し人手も足りていない様子なのに・・・
このような緊急性の少ない案件を、果たして今労力を割いてまでやる必要があるのだろうか?とつい疑問に思ってしまう。
それに、今回の5人のメンバーはそれぞれ、元自衛官に、プロレスラー並みの体格の医療従事者、自分もガタイは良いし、他の二人も、頼りがいのある大学生に、リーダーシップ溢れる農業経営者と、ある意味精鋭メンバーだ。
力仕事ならもってこい、のメンバーなだけに、勿体ないなあと感じてしまう。
センターの仕事の割り振りの方法が上手く行っていないのではないか。
ついつい、納得出来ないものを感じてしまう。
この日も予定通り15:00に作業終了。
勝浦までの帰宅途中、経営しているガソリンスタンドを発見し、なんとかガソリンも確保。
3月20日(日)
旭市における災害復旧ボランティア活動三日目。
ボランティア3日目。
この日は自分と、昨日と同じ元自衛官、そして建築関係の仕事をしている友人の3人で出発。
現地での混雑を見越して、6:00に勝浦を出発した。
途中、大原にて勝浦いすみ青年会議所のメンバーと合流し、情報交換。
青年会議所の皆さんも旭市にボランティアに行くとのこと。さすがの行動力だ。
8:00ボランティアセンター到着。
センター受付開始は9:00だが、既に長蛇の列が出来ている。
今回は3人とも、既にボランティア経験者なので、受付はすぐに済んだ。
同じく3名で来ていた土木関係者の方と6名のチームを組む。
今回の現場は、津波で被害を受けた家屋の瓦礫・土砂撤去。
5チーム28名でその現場に向かう。
10:00現場到着。
今回の現場は広く、また津波によって所々塩水でびしょ濡れになっており、家屋内の土砂の量も尋常ではない。
果たして作業が終わるのかと心配になるほどだったが、災害ボランティアセンター開設から5日経っている事もあり、作業経験者も多い。
ボランティア同士、以心伝心の連係プレイでどんどん片付いて行く。見る間に作業は進み、午前中で作業完了。
そんな中でも、特に友人二人の獅子奮迅の活躍ぶりは惚れ惚れする程で、改めて友人を誇りに思った。
指定された作業が終わってしまったので、午後からは別の現場を渡り歩き、人手が足りないボランティアのヘルプにまわる。
一件目は縫製会社。
現場で作業を手伝っている女の子がどうも中国人らしかったので、話しかけてみると、なんと外国人技能実習生だった。
震災や津波を受けたにも拘らず、帰国もせず復興作業を手伝っているなんて本当に偉い。「がんばってね」と声をかける。
しかし、現場にいた会社の方に話を聞いてみると、この中国人実習生たちも来週には中国に帰国してしまうらしい。
工場自体は被害も少なく、明日にでも仕事は再開出来るというのに、いきなり労働者の多くがいなくなってしまい、大変困っているとのこと。
聞けば、震災後、被災地だけでなく、日本中の中国人技能実習生が続々と帰国を始めているという。
日本には8万人近くの中国人技能実習生がいるから、その子たちが本当に帰ってしまったら、日本の中小企業は大打撃を受ける事になる。
製造業の現場労働力を、外国人に頼って来たことの脆弱性が、今回の震災によって表に現れてしまった。早急に対処しなければ、今後日本は本当に大変な事になる。
二件目は家屋の瓦礫撤去。
この家はまだ建築途中で、津波によって建築中の壁のほとんどが破壊されてしまっていた。この家は一体どうなってしまうのか。
いや、この地区の他の家にしても、見た目では普通に見えてもほとんどが浸水し被害を被ってしまっている。
一度塩水に浸かってしまっている以上、復旧は困難な筈で、この地区一帯はどうなってしまうのか。被害が大きすぎて見当もつかない。
15:00作業終了。
さすがに3件も廻るとへとへとで、手に力が入らない。
自分の力が少しでも被災者の皆さんの役に立ったなら良いけれど・・・
現場からあるいてセンターに帰る途中、壊れたスーパーの前を通る。
津波で駄目になった商品と瓦礫とがごちゃ混ぜになって店先においてある。
しかし、よく見ると、瓦礫の中に中身の入った缶詰や瓶類、缶ジュースやペットボトル等が大量に混じっている。それらを、重機が何もかもごちゃ混ぜのまま撤去している。
正直、勿体ないと思ってしまう。旭市の避難所でも物資は不足している筈だし、使える物資はなんとか利用出来ないものなのだろうか。
そもそも、この大量の瓦礫は一体どこに行ってどのように処理されるのだろうか。
16:00解散。
3日間のボランティアを終え、帰途につく。
旭市での災害ボランティア活動に参加してきましたので、報告します。
体験等を中心に、時間経過も含めて日記形式でまとめてありますので、今後ボランティア活動に参加予定の方の参考にでもなれば幸いです。
全体的な感想等はまた明日にでも報告します。
3月18日(金)
旭市における災害復旧ボランティア活動一日目。
総武本線が復旧していないため、勝浦から車で現地に向かう。
ガソリンが心配だが、きっとどこかで給油出来る筈と信じて、7:00出発。
出発から約2時間半で旭市到着。
市内に入った段階では、街並にはそれほど異変は見られない。
しかし、海岸線に向かうにつれ、陥没した道路や崩れたコンクリート壁などを散見するようになる。
9:40に災害ボランティアセンター到着。
既に多くのボランティア希望者が受付をしており、待機所に列をつくっている。
早速受付をすませると、受付順に5~6名一組のチームに振り分けられてから、作業現場に向かうとのこと。
この日は一人で行ったので、5名のチームに合流させてもらう。
カップルさん、会社員、大学生、看護学生さんなど、個性豊かなメンバーで、しかも皆さん優しい人ばかり。
みなさんこうした災害復旧ボランティアは初参加とのこと。大震災を受けて、いてもたってもいられない気持ちは皆同じなのだろうと思う。
その後、10分程度のオリエンテーションを受け、被災者からのボランティアの依頼を待つ。
しかし、なんとそのまま1時間程も待ちぼうけ。
ボランティア希望者の人数が多すぎる事や、災害復旧ボランティア制度を被災者の皆さんが知らずにいて、制度利用者が少ない事が原因のようだ。
11:00を過ぎて、ようやくボランティアの依頼が入る。
仕事は津波によって半壊した商店の瓦礫撤去。
3チーム、計15名で一組となり、現場に向けて出発。
近場なので徒歩で現場に向かうが、センターから海岸通りに向かうにつれ、津波の被害を受けた家が多くなる。
海岸から一番近い通りでは、全壊、半壊の家が殆ど。
津波によってブロック塀が押し流され、車が家を貫き、ありとあらゆる家財道具が押し流され、木の壁もコンクリの壁も関係なく破壊されている。
津波の力がこれほどとは、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
報道されていないだけで、旭市の被災状態も激甚なものだ。
11:30、ようやく現場である海岸沿いの民家兼商店に到着。
家の内部は、これでもかというくらい、津波によって破壊されていた。
何もかも、壊れるものはその全てが破壊し尽くされている。
家の作りも海からの距離も周囲の街の雰囲気も、勝浦の実家に似ており、既視感を覚えると同時に、他人事ではない恐怖を感じる。
早速、壊れた家具や、濡れた畳、崩れた壁等を皆で協力しながら撤去して行く。
その全てが重く濡れた砂にまみれていて、なかなか作業は捗らない。
壁を見ると、自分の身長(176cm)のところまで海水に浸かった形跡があった。恐ろしい、と改めて思う。
15:00、ボランティアセンターからの指示により、作業終了。
皆の懸命な努力により、何とか屋内の撤去作業は完了した。
そのまま徒歩でボランティアセンターへ向かい、作業報告をして、16:00解散。
3月19日(土)
旭市における災害復旧ボランティア活動二日目。
ボランティア2日目は、勝浦の友人2名と一緒に向かう。
メンバーは、元自衛官と、医療従事者。頼もしい限りだ。
6:30勝浦出発。ガソリン不足の影響か、道が空いていた為、8:30センター到着。
センターにつくと、既にボランティア希望者が長い列を作っている。
休日という事もあってか、ものすごい人出だ。9:00の段階で300名はいたと思う。
ボランティア受付は「初めての方」と「2回目以降の方」に分かれており、2回目以降の受付は比較的すんなり済んだにも拘らず、初回受付はまさに長蛇の列。
結局、友人達の受付が済んだのは10:30。また、チームを組んでから依頼が来て現地に向かうまでさらに30分待った為、結局到着してから計2時間以上は並んだ事になる。
中には「せっかくボランティアに来たのに働けないなんてどうしたことだ!」と怒り始める人もいた。並んでいる時間を無駄にするくらいなら勝手に被災地に行ってしまおうかという話もそこかしこで聞いた。確かに気持ちは解る。
この日我々チームに入った依頼は、「津波で被害を被った庭園の砂の除去」。
実際に現場に到着してみると、確かに庭全体にうっすらと浜砂が覆っているが、家屋にも被害は殆どなく、「これはボランティアが必要な状態なのかな?」と疑問に思ってしまう状態。
いや、これも困っている人を助ける為だと自分に言い聞かせ、庭石の砂を懸命に払う。しかし、ほんの数十メートル先の現場では、家屋が倒壊し人手も足りていない様子なのに・・・
このような緊急性の少ない案件を、果たして今労力を割いてまでやる必要があるのだろうか?とつい疑問に思ってしまう。
それに、今回の5人のメンバーはそれぞれ、元自衛官に、プロレスラー並みの体格の医療従事者、自分もガタイは良いし、他の二人も、頼りがいのある大学生に、リーダーシップ溢れる農業経営者と、ある意味精鋭メンバーだ。
力仕事ならもってこい、のメンバーなだけに、勿体ないなあと感じてしまう。
センターの仕事の割り振りの方法が上手く行っていないのではないか。
ついつい、納得出来ないものを感じてしまう。
この日も予定通り15:00に作業終了。
勝浦までの帰宅途中、経営しているガソリンスタンドを発見し、なんとかガソリンも確保。
3月20日(日)
旭市における災害復旧ボランティア活動三日目。
ボランティア3日目。
この日は自分と、昨日と同じ元自衛官、そして建築関係の仕事をしている友人の3人で出発。
現地での混雑を見越して、6:00に勝浦を出発した。
途中、大原にて勝浦いすみ青年会議所のメンバーと合流し、情報交換。
青年会議所の皆さんも旭市にボランティアに行くとのこと。さすがの行動力だ。
8:00ボランティアセンター到着。
センター受付開始は9:00だが、既に長蛇の列が出来ている。
今回は3人とも、既にボランティア経験者なので、受付はすぐに済んだ。
同じく3名で来ていた土木関係者の方と6名のチームを組む。
今回の現場は、津波で被害を受けた家屋の瓦礫・土砂撤去。
5チーム28名でその現場に向かう。
10:00現場到着。
今回の現場は広く、また津波によって所々塩水でびしょ濡れになっており、家屋内の土砂の量も尋常ではない。
果たして作業が終わるのかと心配になるほどだったが、災害ボランティアセンター開設から5日経っている事もあり、作業経験者も多い。
ボランティア同士、以心伝心の連係プレイでどんどん片付いて行く。見る間に作業は進み、午前中で作業完了。
そんな中でも、特に友人二人の獅子奮迅の活躍ぶりは惚れ惚れする程で、改めて友人を誇りに思った。
指定された作業が終わってしまったので、午後からは別の現場を渡り歩き、人手が足りないボランティアのヘルプにまわる。
一件目は縫製会社。
現場で作業を手伝っている女の子がどうも中国人らしかったので、話しかけてみると、なんと外国人技能実習生だった。
震災や津波を受けたにも拘らず、帰国もせず復興作業を手伝っているなんて本当に偉い。「がんばってね」と声をかける。
しかし、現場にいた会社の方に話を聞いてみると、この中国人実習生たちも来週には中国に帰国してしまうらしい。
工場自体は被害も少なく、明日にでも仕事は再開出来るというのに、いきなり労働者の多くがいなくなってしまい、大変困っているとのこと。
聞けば、震災後、被災地だけでなく、日本中の中国人技能実習生が続々と帰国を始めているという。
日本には8万人近くの中国人技能実習生がいるから、その子たちが本当に帰ってしまったら、日本の中小企業は大打撃を受ける事になる。
製造業の現場労働力を、外国人に頼って来たことの脆弱性が、今回の震災によって表に現れてしまった。早急に対処しなければ、今後日本は本当に大変な事になる。
二件目は家屋の瓦礫撤去。
この家はまだ建築途中で、津波によって建築中の壁のほとんどが破壊されてしまっていた。この家は一体どうなってしまうのか。
いや、この地区の他の家にしても、見た目では普通に見えてもほとんどが浸水し被害を被ってしまっている。
一度塩水に浸かってしまっている以上、復旧は困難な筈で、この地区一帯はどうなってしまうのか。被害が大きすぎて見当もつかない。
15:00作業終了。
さすがに3件も廻るとへとへとで、手に力が入らない。
自分の力が少しでも被災者の皆さんの役に立ったなら良いけれど・・・
現場からあるいてセンターに帰る途中、壊れたスーパーの前を通る。
津波で駄目になった商品と瓦礫とがごちゃ混ぜになって店先においてある。
しかし、よく見ると、瓦礫の中に中身の入った缶詰や瓶類、缶ジュースやペットボトル等が大量に混じっている。それらを、重機が何もかもごちゃ混ぜのまま撤去している。
正直、勿体ないと思ってしまう。旭市の避難所でも物資は不足している筈だし、使える物資はなんとか利用出来ないものなのだろうか。
そもそも、この大量の瓦礫は一体どこに行ってどのように処理されるのだろうか。
16:00解散。
3日間のボランティアを終え、帰途につく。
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