片恋のメヌエット

2007年03月24日 03時17分22秒 | Weblog
こんばんは。
真夜中ですが今日も勉強しすぎで何だかだんだん余裕がなくなってきましたのでもう今日はこの位にしておいてやろうと思います。民法なんて大嫌いだ!!!

という訳で全然関係ないんですが、私もうだいぶ前に「TSUTAYA Discus」というお届けレンタルサービスに入会した訳なんですが、それを利用してアニメ「ベルサイユのばら」を全巻レンタルして、今毎日一話ずつ観てます。
寝る前のささやかなお楽しみ。返却期限が無い、というのが素敵ですね。

「ベルサイユのばら」は確か小学校低学年の時にテレビの再放送で観て以来なので、もう20年以上ぶり。何と言っても主人公のオスカルは初恋の相手です。オープニングのバラに絡まれてるオスカル様にドキドキしていた幼少時代。愛しのオスカル様がアンドレに獲られやしないかと2人の恋の行方にハラハラしていた幼少時代・・・
懐かしくてもう毎晩ドキドキです。

で、大人になって「ベルサイユのばら」を観返してみて、改めて「これは凄い作品だ」と思いました。まず何と言っても時代考証や人物背景がしっかりしてる。アントワネットの愛人でオスカルの片思いの相手「フェルゼン伯」や史上最強の悪女キャラ「ポリニャック夫人」はオリジナルキャラだとずっと思ってたんですが、オスカルとアンドレ(とロザリー)以外は全部実在の人物だったんですね。凄いなあ。

演出やセリフも思想統制の進んでる今じゃ考えられないくらい自由でエキサイティングで、流血やアダルト描写もなかなかのもの。行き過ぎた勘違い人権思想がどれだけ日本の表現物をダメにしてきたかがよーく分かります。今のアニメの5000000000倍面白いです。今30話まで観ましたが、29話でアンドレにひん剥かれたオスカルがベッドで涙を流す描写とか真に迫っていて鳥肌が立ちました。
また、アンドレが視力を失ってオスカルにもフラれかけ絶望してパリの街をさまよってる時に、街の流しのアコーディオン弾きがアンドレに語ったセリフとかもう最高。

「人はこの世に2つの光を見る
 1つは日の光 星の光 目さえありゃ見える光さ
 そしてもう1つは人の心と希望の光 
 こいつは目があるだけじゃ見えやしねえ
 でも必要なのはこいつの方さ
 こいつさえありゃ生きてゆける
 とことん堕ちても生きてゆける
 心だよ兄さん
 愛し合うのは心と心だ
 目なんて奴は飾りみてえなもんさね
 元気だしなよ 元気だしなよ兄さん」

このセリフ聞いて泣きました。
僕もいつか、失明して失恋して酒ビン片手に街をふらついてる馬蹄のお兄さんがいたら同じように声をかけてあげたいと思います。

というわけで三線用に「ベルサイユのばら」オープニングの楽譜(工工四)を作ったので皆さんも三線を弾く時はぜひ弾いてみて下さいね!

本調子 

くさむらに なもしれず さいている はなならば
乙老四尺中 中上上乙老 合乙老上四 四四老乙老

ただかぜを うけながら そよいでいれば いいけれど
乙老四尺中 中上上乙老 合合乙乙老老四 四四老乙中

わたしは ば ら の さだめに うまれた
上上中尺 尺中上四老 老老上中 中四上中

はなやかに はげしく いきろと うまれた
乙老四上上 上老四上 合乙老四 四四上中

ばらは ばらは けだかく さ い て
工尺尺 工尺尺 上上中尺 中上中上四

ばらは ばらは うつくしく ちる
中上上 中上上 中工中上四 合乙

(サビ部分×2)
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日本の100年

2007年03月13日 03時00分30秒 | Weblog
というわけで、先日友人に「何か面白い歴史の本はないかい?」と聞かれたので「ナショナル・ジオグラフィックが見た 日本の百年」という本を紹介しました。

日本のこの100年間の歴史を美しい写真や当時の記事とともに見せてくれるナショナルジオグラフィックの特集記事で、写真を見るだけでも面白いし、文章も当時日本が外国からどう見られていたかが分かって興味深いです。

3年ほど前に買ってみたものの当時はさして感銘も受けず長らく押入れにしまっておいた本ですが、今になって改めて読み返してみるとこれは本当に面白くて良い本です。塾の講師を始めてからというもの、自虐史観に偏った歴史教科書ばかり読んでいたからですかねえ・・・教科書は戦前の日本について悪いことしか書いてませんから。でもそれは歴史の一面でしかないわけで。

20世紀初頭の日本を訪れた外国人記者の記事の一節、「日本人ほど幸せで、日々の暮らしに満足している国民はいない」という言葉を読むと、なんだか胸がキュンとします。

で、今日塾でこの雑誌の記事を何部かコピーして、日本史を勉強している高校生にあげたんですが、凄く喜んでくれたので本当に良かった。これで少しでも歴史に興味を持ってくれるようになれば万々歳です。

最近、小、中、高生から「学校の社会の授業がつまらない」という愚痴を良く聞きます。「歴史なんて勉強して何の意味があんの?」なんて生徒もたまにいます。
こういった話を聞くたびに、学校の社会教師に対して憤りを覚えます。こんな大事な科目をきちんと教えることも出来ないようなひとが教師とは。
歴史を勉強する意義は、そこから教訓を学び取ること。
現在と過去を結び付け、そこから教訓を得るための媒介として歴史を学ぶ、という姿勢が大事だと思うわけで。
単なる暗記目的の世界史や日本史だったら、勉強する意味などあろう筈もないですよね。
それは手段の目的化であって、「性行為そのものよりも脱がすのが好き!」といった所謂フェチズムと何ら変わりません。

本来、歴史教育とは思考力を高めるために、もっとも重要な教育のひとつです。
それが無味乾燥な暗記科目になっているのが、日本の教育現場の現実。
歴史を学ぶ意義も教えられないような教師には、改めて教育が必要だと強く感じてしまう訳です。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、とも言う訳だし。
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