瑠璃色の風

2005年09月28日 23時56分32秒 | Weblog
という訳で沖縄5日間の旅、行ってきました。

青から藍、そして紺碧、瑠璃へと変わっていく海の色。余りにも美しすぎて哀しくなって来るくらい。
現地の人々のいかにも南国らしい温かさやおおらかさ。
美味しい料理の数々。仲間と過ごす時間。
まるで夢のような日々。

旅の締めくくりに、沖縄戦関係の史跡へ。

那覇の高台にある「海軍壕公園」。
旧海軍の司令部壕があった場所で、総延長450mの防空壕のうち250mが整備されて公開されている。
当時ここに詰め込まれた将兵の数は約4000名。そのうちの大半が自決。現在までにここで見付かった遺体の数は約2400名。

最初のパネル展示で涙がこぼれそうになった。
いや、沖縄を旅していると、ふとした瞬間に涙がこぼれそうになる事がある。海を眺めている時。現地の人間の優しさに触れた時。どこからともなく三線の音が聞こえてきた時。
何故だろうと考えた。

余りにも悲しすぎる沖縄の歴史。
第二次大戦の沖縄戦では当時の住人60万人の内18万人が戦死した。ほとんどが一般市民。「鉄の暴風」といわれる激しい戦闘で街並み、琉球文化の悉くが破壊され焼け野原になった。
沖縄を旅していて時々泣きそうになるのは、きっとそういう背景があるからなんだろうと思う。
18万もの人々の無念の想いや哀しみや憤りは、60年やそこらで癒えるものでは無いような気がする。そういった念や感情がそこかしこに希薄になって漂っていて、俺らに哀しみを訴えているような気がする。
それでも美しく輝く海や、うちなーんちゅの底抜けに明るい人情に触れると、とても哀しくなってしまうんだよコンチクショウ。

沖縄のために何が出来るだろう?
沖縄の人々の哀しみを共有する事ができたら素敵な事だな、と思う。
沖縄の人々の気持ちになって考えれば金儲け最優先のリゾート開発なんか出来ないはずだし、ゴミを捨てて海を汚すなんて出来ない筈だし、せっかく戦争で焼けずに残った古い街並みを再開発で壊してしまう事なんて出来ないはずで。
それらをしてしまっている内地の人間がいるのはなんとも哀しい事だなあ。

何だか暗い日記になってしまった。
沖縄が美しい島でありつづけますように。
沖縄に真の平和が訪れる日がやってきますように。

最後に。
旅行に付き合ってくれたタツユキ君。ありがとう。
楽しかったなあ。今回の旅行は一生の思い出になったよ。
そして、滞在中いろいろ案内してくれたむっちゃんさんに心から感謝。
こんなに素敵な旅になったのはむっちゃんのおかげだよ。
素晴らしい想い出を、本当にありがとう。
コメント
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