エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

伝記記者こそ、心理学者?

2013-12-11 03:45:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターの活動を、階級の利害に基づくと考えるのは、(極端な)マルクス主義の考えでしょう。今日はその続きです。

 

 

 

 

 

 この宣言は、たぶん、ルターの性格やその後のプロテスタントと資本主義の発展に対するルターの影響力について、政治経済学的にマルクス主義者が定式化した最たるものです。(この政治経済学的な視点に立つ、最も包括的な著作は、アーンスト・トレルチの手になるものです。少なくともこの国においては、トレルチが一番有名です。それは、ウェバーとタウニーの視点と同じくらいです。)私はこの視点を上から目線で嗤うことはしません。それはちょうど、教条主義的な神学教授の宣言を嗤うことはしませんし、あるいは、ドミニコ修道会の学者や「生まれ付き」の精神分析かの宣言を嗤うことをしないのと、同様です。なぜなら、このそれぞれが有効なデータを用いているからですし、それぞれが、後ほど見る通り、お互いに補っているからです。しかし、偉人の伝記においては、「客観的研究」とか、「歴史的正確さ」とかが、どんなものでも全体のイメージを支持しがちである程度をじっくりと考えることが必要です。この全体的なイメージは、伝記記者の性格や職業上の天職が必要とします。伝記記者が概念的に、体系化された心理学的解釈と対立することを指摘することによって、伝記記者は最も広範な射程のある心理学的分析を行うことができます。それが常識だと信じるだけのゆとりがあるのは、ただただ、伝記記者たちが1つの明確な心理学的視点を否定するからなのです。しかし、表向きには、心理学反対でも、その背後には、隠れた心理学が1つあるのが常なのです。

 

 

 

 

 ここは、エリクソン流の不思議な件です。伝記記者たちは、表向きにはアンチ心理学でも、現実には、暗黙の裡に心理学的分析をしている、と言うのは、実に不思議です。伝記記者も、無意識裏に、主人公の心、きもちをあれこれと考えているのでしようね。

 伝記記者ではないけれども、小説家の司馬遼太郎が、歴史上の人物の心理を描き、思想史家と言うべき加藤周一が日本人の心のからくりを解こうとしたことにも、共通するものを感じます。

 

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