エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

心と心が響き合わないと、心は育ちませんよ。

2015-10-07 08:05:14 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 働き盛りの大人の時間、ある意味では生が一番充溢してます。しかし、死を忘れやすい時間でもあります。生が充溢しているのに、それは見た目だけであって、死を展望しない生の充溢は、砂上の楼閣だと、気付かされることになったりして…。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.80のブランクから。

 

 

 

 

 読者諸兄姉は、表1に載っているカテゴリーを見直したい場面でしょうね。人間関係を心理的に見た、それぞれの舞台に対して、人間関係を性の視点で見た舞台(A)と、人間関係の幅が広がりつつある舞台(C)の間の舞台がそうであるように、私どもは、中核になる危機(B)をいくつか宛がっています。その危機の時には、特定の、心が響き合う人間関係の可能性(根源的信頼感[Ⅰ]~二律背反があっても、まとまりを付ける力[Ⅷ])が発達することと、心が響き合わない人間関係の逆の可能性(根源的不信感~老人になってからの、despair「「良いこともあったけれども、“人生に何の望みもありゃしない”という感じ」)が発達することよりも、大事にしなくっちゃねっ、て申しました。それぞれの舞台の危機が解決すると(訳注:人間関係の、心が響き合う可能性の発達が、逆の可能性の発達よりも、優った時のことです。たとえば、あかちゃんであれば、根源的信頼感が、根源的不信感よりも、豊かになったときのことです。)、根源的な人間力、あるいは、その人が醸し出す人品(hope  「困難があっても、信頼し続けること」~wisdom 「闇の中に光を見出す叡智」)が持ち味になります。

 

 

 

 

 

 エリクソンが、ライフサイクルの心理学、その舞台上の特色を、まとめたところです。心が響き合う人間関係の可能性が優っている場合は良いのですが、最初に躓いてしまうと、図体や態度がデッカクなっても、その人の魂は、いつまでたっても、赤ちゃんだ! 、という場合も、ある訳ですね。

 子どもはもちろん、テレビによく出る政治家達や、一見立派に見える大学教授が、実は魂は赤ちゃん、ということが、例外ではなく、あの人も、この人も…というのが、残念ながら、日本の偽らざる現状なんですね。

 ですから、私どもは、せめて幼稚園くらいは卒業しましょうね、と繰り返し申し上げてる所以です。

 

 

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