エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉 : マカリオイ μακάριοι とエリクソン

2016-12-06 03:07:35 | 聖書の言葉から

 

 

 
人間としての繋がり
   幼稚な道徳と、青年の価値意識と、大人の倫理  どんな技術でも、その目的を忘れて使う人間は、最も人間らしいものを失っています。それは、大川小学校の「......
 

 今宵は、特にうれしいご報告です。

 本田哲郎神父様『釜ヶ崎と福音』から。

 

 

 

 

 

 「貧しい人々は、幸いである」の「幸い」も、やはり誤訳だと思います。新共同訳では、カトリック、プロテスタント、どちらの聖書学者も、この訳文の不十分さを認め、言い回しを変えることに賛成していた。けれども、「耳になじんだ定着度の高い表現を変えるわけにはいかない」ということになってしまって、従来どおりに戻ってしまった。わたしは、この箇所は「心底貧しい人たちは、神からの力がある」と訳しています。なぜ、そう訳せるのかといえば、「幸い」と訳されてきた「マカリオイ」というギリシア語は、ヘブライ語の「アシュレー」、つまり「祝福されています」、「そのままつきすすんでいいよ」という保証、元気づけのことばです。いま持っている感性のままで堂々と進んでください、ということであり、いまの貧しい状態にそのままいなさい、貧しいことは幸いなのですよという意味ではない。

 

 

 

 

 

 これは、エリクソンの言うa sense of autonomy ≪自分の感じに従ってやっていい感じ≫と全く同じです。エリクソンが、聖書の言わんとすることに非常に敏感であることが解かります。0歳1歳の時のa sense of basic trust がピスティス πιστις ≪自分の感じを人は大事にしてくれるし、自分も大事にできると信頼していること≫、 1歳2歳の時のa sense of autonomyが、マカリオイ μακάριοι 自分の感じに従ってやっていい感じ≫なんですからね。


 

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