人格的真理が反発を喰らうのは、その相手が人格的真理を頭デッカチにしか理解していない場合が多い。
今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.252の下から3行目から。
ルターはひとりびとりの良心を、「組織のためだ」を強調する人たちが口にする「正しいこと」から自由にしようとしたんです。ルターは本気で、信頼することの真っ当さを、人に与えようとしたのに、あぁ、悲しいかな、エバッタ態度を補強し、強めることになっちゃったのでした。
ここも、西平さんの翻訳は訳が分からない。ここは、信頼の豊かさ、根源的信頼感の豊かさを物語っているところです。ルターは信頼の豊かさは、「組織のためだ」を強調するような人が語る「正しいこと」から、自由であって初めて可能だ、ということを言いたかったし、その信頼することの豊かな全うさ(真っ当さ)を実現しようとしたことを、エリクソンは言ってんですね。
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