「子どものため」と言ってやってることは、ホントはそれをやってる大人自身のためであることが実に多い。「言ってること」と「やってること」が違います。
p95の第2パラグラフ。
もう1つよくある失敗も、申し上げときましょうね。人を大事にすることは、すなわち、葛藤がないことだ、という幻想です。痛みや悲しみは、どんな状況でも避けるのが正しいことだと信じているように、人を大事にすることには、葛藤が1つもあってはならない、と信じてんのが普通です。その格好の口実になるのは、自分の周りにドタバタがあることは、関わりのある人にとって良いことが全くない、破壊的な関わりだということです。この事の訳は、実際は、ほとんどの人が「葛藤」と思っていることは、現実には、「本物の」葛藤を回避するためのものだ、ということです。
フロムも臨床のことがよく分かってる感じです。人が「葛藤」と呼ぶものは、本物の葛藤ではない場合がほとんど。表面しか見てないから、こんな誤解が生じるんですね。本当の葛藤から逃げないで、留まって、そこで自分自身を良く見つめていると、本当の解決に繋がります。それは、動揺しない泰然自若として態度と、どんな状況にも希望を見つけ出す態度をもたらしてくれますからね。
それを、「ローマ人絵の手紙 第5章3節~5節」では、「試練は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むものです」と書いてあります。
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