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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「田舎」の開発 改訂版

2015-04-18 07:15:53 | エリクソンの発達臨床心理

 

 被災地に、新たな事業がなかなか興らないのに、立川駅西側にあった「第一デパート」の跡地が、清水建設によって、再開発されている(上掲の写真)のを見て、「立川駅前、再開発。再開発、されるは、都内ばかりなり」とフェースブックで川柳を詠いました。すると、南三陸の友人の阿部さんが、当方の言葉にならない言葉も察してくださって、「はい、被災地の復興は遅れるばかりです」と、応じてくれました。

 被災地の復興は遅れているのは、それが大企業の儲けにならないからでしょう。そして、大企業の儲けにだけなるような再開発を、被災地に持ってきてきならない、と私は考えます。それは、私は、宇沢弘文教授の『「豊かな社会」の貧しさ』(岩波書店、1989)で、“むつ小川原” の犯罪的な「開発」の事実を教えられているからです。

 むつ小川原は、青森県の東側の下北半島の付け根にあり、「上北(かみきた)」と呼ばれる地域の一角を占めます。三沢基地がある三沢市の北隣で、地図を見ると、小川原湖という大きな湖があります。むつ小川原は、湖沼群と台地におおわれた地域で、もともと原野におおわれた風光明媚なところだそうです。そこに敗戦後、国策に騙されて移植した「満蒙開拓団」の人々が、再入植し、酪農などをしていたらしい。宇沢弘文教授によれば、六ケ所村に再入植した人々が、原野を開拓して、酪農による、細々としていても、人間らしいつつましやかな生活を築き上げるまで、20年近くかかったようですね。

 そんな、むつ小河原に、天から降ってわいたように、突然開発の話が湧いて来たのは、高度成長期最末期、1960代末らしい。Wikipediaで、「むつ小川原開発計画」を検索してくだされば、その概要がわかります。「世界最大の開発」と謳われたその開発は、超大規模な開発で、製鉄所、製油所、石油化学工業の一大重工長大産業群を作ろうと言うものであったらしい。それは、地元の農家がせっかく開拓した土地を買占め、漁民の漁業権を買いあさることによって、可能になる計画でした。こういう開発の時、必ずと言ってあることですが、この巨大規模開発に対して、賛成派と、反対派とが村を二分して相争うことになります。その時に、開発を進める企業と、国や県の役人たちは、反対派を取り崩すために、再就職の話をちらつかせるなど、悪辣極まりなかったようですよね。

 それで、この開発計画はどうなったのか。土地は買った、漁業権も買った。けれども、大山鳴動して鼠一匹。重化学工場群を作るはずの計画が、ドルショック、オイルショックで経済が冷え込んで、破綻。首都圏の工場群とは遥か彼方の地に、石油備蓄基地だけが残った。土地を盗られ、漁業権を盗られた農漁民は、大きな豪邸を手に入れたものの、その後首都圏などへの出稼ぎで生計を支えざるを得なくなっていたと言います。棄民化です。

 宇沢弘文教授が、このむつ小川原開発計画は、住民のニーズ、自然条件を無視した、役人の、無謀な机上の空論だった、と結論付けます。

 そして、その後にやってきたのが、六ケ所村「核のゴミ捨て場計画」です。

 いかに役人のやることが、犯罪的で、住民の幸せを打つ壊しにして、大企業が得をする(六ケ所村ではさほど儲けてないかも)ものかが分かります。同じことを被災地にしてはならないと私は考えます。

 大事なのは、地域に住んできた人が、どういう暮らしを願っているのか? これから自分たちが何を願って生活したいか? ということでしょう。それは自分達の自然の中での暮らしを大事にしたものになるのじゃないのかなぁ? 

 それはきっと、高度成長時代、バブル時代、バブル崩壊後の「失われた20年」の間に、私どもが見失っていた価値を再発見するヴィジョンと繋がっているものではないのかなぁ、と私は考えますよ、阿部さん。

                       下は、国立は矢川駅近くの菜の花

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