積み木遊び おもちゃの舞台 ヘビのお話もあるよ。
「子どもの遊びから政治まで?」の章はいかがでしたか? 出来事、イメージ、話し言葉と行動、という、心を作る三項関係がとても大事でしたね。 さて、今日から「おもちゃの舞台」の章に入...
「子どものお勤め」、などと申し上げると、「学習塾にでも遣るのかな?」、「宿題のことかしら?」と考える向きも少なからずおられることでしょう。今の日本の大人が、子どもに言うことと言ったら、「勉強しなさい」か「宿題やったの?」でしょうから、そう考えても仕方がありません。でも、子どものお勤めは、勉強や宿題ではありません。
今日のエリクソンは、エリクソンがお得意の「積み木遊び」のことが話題です。テーブルとおもちゃのセットがあり、それで子どもが遊ぶ遊びです。これは、箱庭の基になった、ローエンフェルトの「世界技法 ワールド・テクニック」や箱庭療法で用いる「箱庭」と同様に、子どもの心のありかを知るうえで、非常に有効な手立てです。しかし、こういうその道の専門家がやる特別な技法だけが、子どもの心のありかを示すものではありません。子どもが普段からやっている何気ない遊びが、実は、子どもの心のありかをハッキリ示してくれることがあります。子どもは、誰にも教えてもらっていないのに、「本能的に」、自分の心理的課題を解決するために、遊びを遊ぶものなのです。それが全く不思議です。日ごろから、子どもと子どもの遊びに触れておりますと、遊びには、ある種の「自然の意思」、「宇宙の意思」みたいなものを強烈に感じます。誰かの意思が働いている。
今からご紹介するのは、そんな自然発生的な遊びではありませんが、「自然の意思」、「宇宙の意思」を強く感じた遊びの一つです。
その子は小学生の男子です。面接で「切り貼り遊び(コラージュ)」をいたしました。本人が「できる」というので、その遊びをしたのでした。その子は、勉強も苦手、運動も、かの国の国技以外は苦手で、学校で活躍できることはほとんどない、目立たないコドモ。授業中も居眠りをしている始末。家庭的にも恵まれません。
面接も、「いまいち」。面接時間にも遅刻してくる始末です。ところがです。この「切り貼り遊び」を遣り出すと、がぜん様子が違ってきました。遅刻が少なくなり、この「切り貼り遊び」をまるで、「大事な仕事を僕はやってます」という真剣な態度で、猛烈な集中力を示して「遊ぶ」のです。それに、一つの作品は、まるで靴職人が丹精を込めて、靴を一からこしらえたか、時計職人が壊れた時計を見事に直し終わった時のように、一仕事を終えたように、とっても満足した顔をするんですね。一回目の「切り貼り遊び」の時から、感触が全く違うのです。私は直感的に「うまくいく」と感じましたね。
実際にこのケースは非常にうまくいったときに感じるあらゆる要素がありました。それについては今は置くとします。今私が申し上げたいのは、子どもが自分の遊びを真剣に遊び、その遊びを一人の大人が真剣に一緒に遊ぶとき、そこでは、子どもが再生する、ということですし、誰にも教えられていないのに、その遊びこそ、その「子どものお勤め」になっている、ということです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます