花札ではありませんよ。
発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、金子みすゞさんの詩のように、人が鏡になることを意識することが、そのセラピーでとても大事になります。なぜなら、意識的に鏡になることは、相手を信頼していることの表現になるからです。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.339の、第3パラグラフから。
トラウマを負わされている子ども達と退役軍人たちは、見られたり、自分が感じていることに触れられたりすると、恥ずかしく感じますから、お互いに1m程度の距離を取ろうとします。どの舞台演出家の仕事も、セラピストの仕事みたいに、物事をゆっくり進めて、役者が、自分自身と、自分自身の身体と関わる関わり方を確かにしようとします。演劇は、あらゆる感情と、隅から隅までの感覚とに繋がる、独特の方法ですから、トラウマを負わされた子ども達は兵隊さんたちが、今まで身に着いた「形」の身体との関わり方で関わることばかりではなくて、今までとは異なる、人生との関わり方を試してみることにもなります。
演劇も総合芸術なのでしょう。迫真の演技は、現実生活では忘れがちな、あらゆる人間らしい感情や、様々な感覚を、追体験することを可能にしてくれますね。
音楽座のミュージカルを始めてみた時、あるいは、こまつ座の舞台を見た時の、言葉では言い表すことができない感じ、悦び、悲しみ・・・、を味わえた悦び。
トラウマで、内的なことを隠し立てしたい恥が強まっているところに、その恥の鎧が幾重にも重ね着した心を、演劇は解きほどいてくれるはずですね。
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