矛盾律は難しすぎですね。老子は好きなんですけどね。
p69第2パラグラフ。
老子の思想では、同じ考え方が詩の形で表現されています。老子の矛盾律の考えの特色が出ている例は、次の通りです。「重さは軽さの源。静なるは動の支配者。」と。あるいは、「道は、ふつうは、何もせず、しかも、道が働きかけずにいるものは何もない」と。さらには「私が申し述べることは、とても分かりやすいし、とても実行しやすい。しかし、私が申し述べることを実際に理解でき、実際に実行できる人は、世界広しと言えども、なし」と。老荘思想の考えでは、インド哲学やソクラテスと同じように、思想が導くことができる頂点の段階は、無知の知です。「知りつつ、自分は知らないと思うは、頂点(に達すること)。知らないまま、自分は知っていると思うは、病」と。
ソクラテスの「無知の知」が西洋哲学の出発であると思います。でも、老子も「無知の知」だとは知りませんでした。
臨床でも「無知の知」を思うことは、様々な可能性に開かれていることに対する基本的な態度です。今より良いものが将来にある。待っていると、素敵なもの、大事なことが訪れる。気が付くと、思いがけず素晴らしいものがもたらされる。それが臨床の真実です。昨日、田中千穂子先生も言ってました、「初めから狙ったものは、高が知れてる、気が付いたらこんなにうまくいった。それが良い」ってね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます