人は1才を過ぎたあたりから、あるいは3才、4才になってからの人もいますが、1人立つことを学ぶと、視界は360度効きませんから、前や後ろなど、いろいろな位置関係ができますでしょ。それは眼に見える部分の話だけではなくてね、心の時空、と言う眼には見えない部分でも、そういうことができます。つまり、心にも時空がある、時空がない心は心じゃぁない、ということですね。不思議でしょ。
The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p42の6行目途中から。
ウンチやオシッコを出すやり方は、一般的に出したり引っこめたりする仕方と見なすことができるかもしれませんよね。もちろん、身体の使い方と姿勢の変化からくる様々な見通しには、他にも非常に多くの大事な組み合わせがあります。それについては、読者諸兄姉が研究してくださることに委ねたい感じです。読者諸兄姉は、すでにお気づきでしょう、この間、私がこの段落で書いてきたことと言えば、≪私≫を経験するという観点で物を書いてきたのです。そして、実際に、経験的に言っても、言葉に関する点でも、自分を確かにさせることを知る、あらゆる発達段階が価値あると認めることは、(無意識を含む)自我のみならず、自覚的な≪私≫を、自意識の確かな中心にすることです。この自我と≪私≫という1つの組み合わせが、私どもの魂の中核になるのですが、それは、呼吸をすることが、身体が生きていくうえで中核になるのと同じことです。
エリクソンも、加藤周一さんと同じくらいに、頭がクリアーですね。本当に難しいことを、私ども凡庸な者にも分かるように、かみ砕いて教えて下さいます。本当に素晴らしい。
心の中の時空は、まさに自覚的な≪私≫そのものなんですね。これも不思議ですね。
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