エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#大事な判断を自分で判断する練習

2020-02-12 06:01:45 | エリクソンの発達臨床心理
 
#心は晴れ晴れ #言行一致の人生 #心から自由にされた見通し

 #二重になっている私 #≪私≫は生きている実感の塊 #疲れ切っている私たち #陽気で楽しい人生の始まり インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 子どもの弱み......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp.168。

 p.170のブランクから。

 今朝はp.171の16行目から。

 備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 

 忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

いつも生真面目

 

 一心同体に成り損ねることが深いと,務めを果たす者の心の習慣が非常におかしなことになります。それは,求められたことやそれとなく促されたことに集中できない形になるか,例えば本の読みすぎみたいな,つまらないことに破滅的に囚われます。このような患者さんが,治療中に,いったんは見失った,務めを果たす者の心の習慣を心の中に取り戻す活動を見付けることがありますが,それ自体がとても大切なことなんです。ここで心に刻んでおいたほうが善いのは,思春期や青年期の前の発達の舞台,すなわち,小学校の時期です。小学校の時期は,自分の文化社会の読み書きそろばんを分かち合うことが必須科目として教えられますし、務めを果たす者の心の習慣務めを分かち合う心の習慣にピッタリな時期と聖書の神様のいのちを分かち合い全うする,お務めを与えられます。これまで見てきましたように,小学生のころエディプス期(訳注:だいたい3歳~6歳)の後に来ることが,とても深い意味がありますね。すなわち,男と女としてでも,馴染みとしてでもなく,お務めを果たす者として,聖書の神様を信頼する信頼を代々伝えた者として,両親ともう一度一心同体に成ることをやり直すことを,仲間たちが許す,仲間になる掟を身に着ける点で,単に陽気で楽しい歓びと言うのではない,実感のある段階を全うする,ということです。このようにして,親と共に育つ,親みたいになる可能性が少なくとも1つ,しかも,「自分ならではの」親みたいになる可能性を育てることになります大元になる判断を実際に自分で判断してみるという手にとって分かる目標を,心豊かになる学びの場では,同じくらいの年齢の仲間と分かち合うことになります。

 

 

 小学校時代は,自分がどうするか? という大元になる判断を自分でする練習を練習する時期です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #聖書の言葉 #単独者の恵み... | トップ | #寝ぼけた絵 or #ありがと... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿