発達を考える時には、我慢していたんでは、発達しないんですね。むしろ、自分自身を生かすことが発達することにもなりますし、倫理的になることにもつながる訳なんですね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59の第2パラグラフ、下から6行目途中から。
しかし、この表が、垂直方向で明らかにしていることは、それぞれの段階が(闇の中に光を見つけ出す叡智も)、それ以前の段階すべてに根差しているっていうことです。他方、水平方向では、人間らしい力が1つでも発達的に成熟する(心理社会的な危機も)と、「より低い位置の」舞台でも、より高い位置の、今まさに発達しつつある舞台でも、新たな意味をもたらしてくれます。これはいくら繰り返しても言い過ぎになりませんね。
ですから、人間らしい力が、1つでも発達すると、それはそれは、生きてる意味が変わって来るってことですね。それが、赤ちゃんの頃に身に着けるはずの、hope「困難があっても、希望を失わないこと」でも、幼稚園に入る以前の頃に身に着けるはずの、will「困難があっても、自分の意志を保つこと」であっても、幼稚園にはいることに身に着けるはずの、purpose「困難があっても、『何のためにするのか』を忘れないこと」であってもいいんですね。その一つでも身に付けば、人生そのものが違って見えてくる、人生の味わいが違ってくる、と言うのがエリクソンの主張です。
私は自分自身を考えてみても、心理的支援をして関わった子どもとそのお母さんを見ても、このエリクソンの言葉は真実である、と感じますけどね。あなたはどうですか?
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