自分を確かにするには、進取の気質が必要だったり、積極的であったりする必要があると考えがちです。しかし、実際は真逆です。完全に受け身な方が、はるかに自分を確かにすることができます。
Young Man Luther 『青年ルター』p189の第3パラグラフの5行目途中から。
ドイツ神秘主義と、洋の東西の他の思想体系の、類似点、あるいは、相違点を、ここでは取り上げません。ルターは、はるか彼方から、ドイツ神秘主義をよしとしました(ルターは、タウラーの著作の序文を書いています)。しかし、ルターは、知的にも、気質の上でも、ドイツ神秘主義とは相いれませんでしたし、何となしに怖れをなしていました。
ルターはドイツ神秘主義の良さを知っていました。しかし、その問題点の方に注意が行っていたのだろうと思います。ドイツ神秘主義には、自分の得点を勘定に入れるきらいがあったのでしょう。それが神秘体験でしょうね。しかし、自分の得点を掲げる態度とは逆の、自分は零点でも良しとされる、受け身で自分を確かにする道を選んだのが、ルターでした。
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