宮崎奕保禅師、と言って、知っている方はどれくらいいるのでしょうか? かく言う私も、いまから十年ほど前、NHKスペシャルで「永平寺 104歳の禅師」を拝見するまで知りませんでした。道元が開祖である曹洞宗、その大本山 福井県は永平寺の第78代目住職(貫主)。2008年に106歳で亡くなられたそうです。只管打坐、生涯座禅一筋。
そこで語られた言葉で、忘れならない言葉がいつくかありますので、それをこのブログでも、その内の3つをご紹介したいと考えました。
最も感動した言葉は
「自然は立派やね」
です。私は、自然は「怖い」、「美しい」、「ありがたい」とは思ったことがありますが、「立派だ」と思ったためしがありませんでした。宮崎奕保禅師は、なぜ「立派やね」と感じたのか? 「時がきたならば、ちゃんと花が咲き、そして、黙って、褒められても、褒められんでも、すべきことをして、黙って去っていく。そういうのが、実行であり、教えであり、真理だ」からです。
2つ目は、
「すべてに心が現れる」
です。「スリッパが歪んでおったら、心も歪んでいることや」とも。座禅は、「まっすぐということ」「正直ということ」。ですから、座禅を通じて、生活のすべてを「まっすぐに」「正直に」していくらしい。「身体をまっすぐにすると、心もまっすぐになる」から。
3つ目は、
「ああせよと口で言うより、こうせよとして見せるこそ教えなり」
です。不言実行。態度で示すこと。人の真は、言葉でも示すことができると私は考えますが、それはあくまでも、その≪話し言葉≫が≪態度・出来事・実行≫と一致している場合でしょう。宮崎奕保禅師は、≪話し言葉≫がなくても、≪態度・出来事・実行≫によって、教えを伝えることができると言います。
いずれも傾聴に値する、灯りのような言葉です。
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