エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

眼に見えるモノ(偶像)を追いかけても、必ず、幻滅を味わうことになる

2014-12-24 15:00:20 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 自分はあくまで「自分持ち」。相手の力で自分を確かにしようとしても、それは「できない相談」です。

 p92下から10行目途中から。

 

 

 

 

 

 誰でも、自分が崇め奉られる期待に応え続けることなどできない相談ですから、必ず幻滅させることになりますし、救済策として、眼に見えるモノ(偶像)を新たに探しても、それはエンドレスになる場合も少なくありません。眼に見えるモノを大事にする気持ちに特徴的なのは、はじめは、強烈で突然な、大好きだと言う経験です。眼に見えるモノを大事にする気持ちは、真実で、偉大な気持ちだ、として描かれる場合が多いのですが、そういう気持ちの強さと深さを描くはずなのに、結局は、眼に見えるモノを追う者が飢えて、失望することがハッキリするだけなんですね。言うまでもないことですが、2人がお互いに眼に見えるモノを大事にするように思い合う場合も稀ではないのですが、極端になれば、「2人ともビョーキ」ということになりかねません。

 

 

 

 

 偶像崇拝、すなわち、眼に見えるモノを大事にすること、ほど恐ろしいものはありません。眼に見えるモノに対して、命あるもの、息をしているものとは認めませんから、最終的には、ケダモノのような破壊をもたらすことになるためなんですね。最初は、しかし、感覚的に、感情的に、激しく、けばけばしい感じですから、強烈な印象を持たれがちですね。たいていそこに騙されてしまいます。

 でもね、「強烈で、けばけばしいものは、たいてい偽物だ」と言う公式を覚えておいた方が良いですね。本物は、むしろ、静かで、小さくて、周辺的で、後からじわっとする感じなんですね。これだけ知っているだけでも、あなたの人生において、非常に有益だと思いますけどね。

 

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