ルターは、深ーい憎しみを抱いたおかげで、文字通り、「天にも昇る悦び」を体験できました。
Young Man Luther 『青年ルター』p203の第2パラグラフ下から6行目途中から。
私どもはこの点に戻って来るのは、ルターがキリストと共にあることによって自分を確かにさせたことを議論する時としましょう。というのも、「詩篇」記者が敵についてこぼしたのを見れば、私どもは、キリストが十字架で処刑された場面を思い出しますからね。キリストもまた、嘲りの中で囚われて、神の子であると証することになったでしょ。「あいつは神様を信じてんだってよ。そんなら、その神様に助けてもらえよ、もしも神様がお望みならばなぁ。あいつは『俺様は神の子』って言ってたんだからよぉ」と「マタイによる福音書」第27章43節に出てくるようにね。
こういうところを読むと、フロムが≪真の関係≫は「損すること」と切っても切れない、と言ってたことがよく分かりますね。
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