「やり取り」こそ、「神の支配」であることが分かりました。
p346下から9行目から。
ルターはこの「悪魔払をする」に続けて、「ですから、そのたびごとに、神が支配するところがあなたにやってきます」と言います。この言い伝え自体が、「この言い伝えが本物であることを強く主張している」と言われます。マタイは、神の「指」よりも、神の「霊」について述べたとしても、しかし、福音書記者たちは、「ちょっと極端じゃないかな」と思われることに手を加えることがよくあるんですね。でもね、私は「指」の方が好きです。というのも、指は、触れるというテーマをつづけることになるからです。このテーマは長血の女の話で目立っていましたよね。もちろん、この場だけではなくて、神が指を使って、イエスの働きに働きかけ、神の支配を現実のものにしてくれます。そう、神が支配するところをやってきましょうよ、いままでもやってきたでしょう、これからもずっと、神が支配するところをこの世の中に実現しましょうよ。
それは、温もりのある「やりとり」、≪楽しく陽気な≫「やりとり」をやってきましょう、ということですよね。
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