#あれとこれ #闇の中で聖書の神様の光を見上げる生き方 と #この世をキョロキョロ見回して忖度遠慮する生き方
#陽気で楽しい関わり #一心同体になる秘訣 インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 大人になれない大人たち,ウソとゴマカシの大人たち ホッとするような温も......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。
p.8の第3パラグラフから。
今朝は,ブランク後の5行目から。
臨床で人間をよく観察する日々を記す中で,初めて偉大な体験に戻ることができたんです。それは,心優しい友達や先生のおかげで,ウィーンのフロイト派の「先達」の中で,近年発見された,子どもの頃の体験の普遍性について,体得することこそ気高い試練だ,というところに戻ります。それは,特別学校で私どもが観察する時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があることを体得するという気高い試練がありますし,心の病で苦しむ大人の思い出と成育歴から,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があると体得するという気高い試練がありますし,子どもを自由にすることそのものズバリを出来事にすることから,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験に普遍性があると体得する気高い試練がありますが,それはかつて,アンナ・フロイトが(訳注:大文字の希望にまで)育てた,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという偉大な試練です。
この本の第一版の序文で,最初にウィーンで,ついで,このアメリカで,子どもの立場について,温めて,論文にもするようになったそのやり方を纏めました。その中に,それだけで1つの段落となった1つの文章がありました。それは「この本は,私の伴侶,ジョアン・エリクソンが編集しました」という文章がありました。しかし,私はこれにこう付け加えなくてはなりませんね。「私の本の全ても,ジョアンが編集しました」と。彼女もウィーンの私どもの小さな学校で教えながら,心から自由になるとはいかなることかを学んでたんです。その後,ジョアンと私は,ヒットラー政権による破壊的試練が目の前に迫っていましたから,渡米したんです(ジョアンはカナダ生まれです)。私は英語で話し出すこともほとんどできませんでしたから,ジョアンは私の文章一緒に直すことになりました。
エリクソンは,自分の来し方を淡々と述べています。述べていることは事実だけのように見えます。
しかし,ヒットラーによる暴力を目の当たりにしていたであろうエリクソンは,その危機を,一心同体のパートナージョアンと共に乗り換え,著作と臨床によって,破滅的試練から心から自由になる希望を体得したことも,封印にした形で述べていると,私は見ますね。
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