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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

いまのニッポンには、PTSDは存在しないに等しい!

2016-05-22 08:42:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ルターの魂の嵐
  「天にも昇る悦び」は自分の努力では手に入れることができません。 Young Man Luther 『青年ルター』p201の最終行途中から。 ...
 

 

 「発達トラウマ障害≒愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを改めて考える2日目になったらいいですね。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の43目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の14日目。

 

 

 

 

 

しかしながら、発達トラウマ障害(DTD)とPTSDの違いには、(a)DTDの診断基準を満たすストレスの元には、PTSDの診断基準A1のストレスの元、すなわち、対人間暴力(性的暴力も含まれる)の一部しか含まないし、PTSDを診断する時には含まないような、子どもを見守るような養育がない、あるいは、そういう養育が奪われている、ということが、DTDと診断する時には必要だ、ということがあります

 

 

 

 

 

 この(a)の違いが、発達トラウマ障害(DTD)とPTSDの違いの差の一番重要なところですね。簡単に言えば、PTSDと診断できるとは、養育環境が安定的で、ゆとりのある場合だけで、養育環境に課題があり、ゆとりのない場合は、PTSDの症状があっても、PTSDとはアセスメント・診断してはならない、ということです。その場合には、PTSDの症状があっても、発達トラウマ障害(DTD)とアセスメント・診断しなくっちゃ、ということです。

 すなわち、養育環境が、労働生産の貧困のために、滅茶苦茶なニッポンには、PTSDはほとんどいない、ということです。

 

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インターメッツォ : 人への信頼、 神への信頼

2016-05-22 07:12:18 | 聖書の言葉から

 

 

 
ルターの魂の嵐
  「天にも昇る悦び」は自分の努力では手に入れることができません。 Young Man Luther 『青年ルター』p201の最終行途中から。 ...
 

 今日も女性の言葉から。昨日に引き続き、渡辺和子さんの言葉から(今日は『「ひと」として大切なこと』から)。

 

 

 

 

 

 私は人間に、神さまや仏さまみたいな無条件の愛情を求めることは思い上がりだと思っています。また、私自身が100パーセント皆さんの信頼に応える人間だと思っていたら、思い上がりだと思います。…そういう自分の弱さを認めていることは、大事なことだと思っているんです。

 

 

 

 

 渡辺和子さんは、こういうことを書いたら、「あなたは人を信じないんですか?」とお叱りを受けたとか。

 信頼について、考えながら生活していない人からのお叱りでしよう。

 人を信頼する。でも、人は、100%は信頼しない。つまり、根源的信頼感の豊かさと言っても、根源的不信感が0%であってはいけない訳ですね。根源的信頼感が豊かであると言っても、それは、根源的信頼感が根源的不信感よりも、豊かだ、ということでしかありません。人を100%信頼しない、ということは、自分に対しても100%信頼しないことと同じです。∵他者信頼の豊かさ=自己信頼の豊かさ。

 しかしながら、根源的信頼感が豊かな人は、神様、仏様、宇宙、天、母親などから、無条件に信頼されていることに気付きを与えられている場合が多いですね。そういう人は、神様、仏様、宇宙、天、母親などを100%信頼しています

 

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#光の笑い   #始めと終わり #晴れ晴れ

2016-05-22 03:47:17 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
最深欲求の在り処
  私どもも「いつまでも続く」と言われる「信頼と、希望と、関係に対する誠実さ」をいつでもどこでも、心から滲み出るものとしたいですね。 The life cyc...
 

 

  ケヴィン・コールマンさん。発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達との関わり方のコツを、よくよくご存じです。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 大事にされなかったなら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.338の、最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされている青年は、心が響き合うことから著しく成長します。トラウマ・センターのトラウマ演劇プログラムで、私どもは、お互いに心が響き合うのを助けるために、鏡になる練習をします。トラウマを負わされている青年たちは、右腕を持ちあげれば、その相方もその鏡になります。右腕をグルグル回せば、相方はそれに応じて左腕をグルグルと回します。彼らは、身体がどういう風に動いて、表情がどんなふうに変わるのかを観察し始めますし、自分の自然な動きが、人の自然な動きと、いかに違うのかも観察しだします。さらには、いつもと違う動きや表現をするとどう感じるかも観察し始めます。鏡になると、人が自分をどう思うか、という先入観から解き放たれますし、人の経験に、考えて合わせるのではなしに、直感で合わせる ことに役立ちます。鏡になることが、クスクスと笑うことで終われば、私どものプログラムにご参加いただいた人たちは、安心と安全を感じていることを示しています

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授も見事です。安心と安全を創り出す工夫を、どれだけ繊細に、大胆に創り出しているかがハッキリと分かりますでしょ。

 ここで、ヴァン・デ・コーク教授が実践していることは、なにも、ボストンのトラウマ・センターじゃなきゃ、できないことではありませんね。

 実際、私も、面接中、クスクス笑うことを大事にしています。発達トラウマ障害=抑制タイプの愛着障害が重たくて、うつ病になっちゃってるケースは難しいのですが、そうでないケースでは、クスクスと笑うことができますし、クスクスと笑うことが、今までトラウマに囚われていた自分から、発達トラウマ障害の子どもが解放される、最初の一歩になる訳ですね。

 それと同時に、笑いが、発達トラウマ障害の子どもが、セラピーを終結する時のハッキリとしたメルクマールにもなる訳ですね。しかし、それはクスクスではありませんよ。

 その笑いは、内側から輝く様な、あるいは、上からの光を照らし返す様な「光の笑い」ですね。

 エリクソンが教えてくれていることでもあります。

 

 

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正しい選択、出来るかなぁ?

2016-05-22 01:52:55 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 
太陽さん 玉置浩二さんは本田圭佑選手に似ている・・・
  玉置浩二さんの曲は、時々聴いてます。私が一番好きなのは、その昔(年がばれますね)ドラマの挿入歌になってた「メロディー」というスローバラードです。小泉今日子さん...
 

 

 発達トラウマ障害=愛着障害の子ども達。には、社会の歪、組織の歪、家族の歪のの塊です。家族を、組織を、社会を民主化して、人を大事にする者にすることが必要不可欠です。

 今日から、ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」に入ります。

 

 

 

 

 

犬として育てられた少年

 

  人はどうすれば、正しい選択ができるのでしょうか? それが、たとえ、最善の発達ができるような機会に恵まれて来なかったとしても、どうすればいいのでしょうか? ヴァージニアが自分の赤ちゃんの助けを求め続けたのはどうしてでしょうか?なぜ、赤ちゃんを捨てなかったのでしょうか? 養母のピーさんの本から何を引き出し、ローラみたいな子ども達のために何を処方できるでしょうか? 正しい治療をすれば、レオンみたいな子どもたちが危険人物にならずに済んだのでしょうか? チェリスの母親に、フランクに、アランやマリアに、何故レオンがあんなおぞましい犯罪を侵すことになったのかについて、今さら、何か新しいことを言えるでしょうか?

 

 

 

 

 レオンは、発達トラウマ障害≒愛着障害ですが、2人の女の子を殺すことになったみたいですね(遊びの法則と、日本中に溢れかえる愛着障害の子ども等)。

 日本では、あまりメディアでも、専門家も指摘しませんが、秋葉原無差別殺傷事件、名古屋大学女子大生老婆殺人事件、この間の千葉大生少女監禁事件などの「犯人」は、発達トラウマ障害≒愛着障害の可能性が、極めて高いと私は考えています。

 ですから、重度の発達トラウマ障害≒愛着障害のセラピーに横やりを入れるような無知無恥夫婦の所業が、いかに「犯罪的」かが、ここからもお分かりでしょう。 

 

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