エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

見当識とは何か?

2013-09-09 04:10:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 自我の時空を司る見当識はとても大事なことが改めて分かりました。今日は、その見当識がどのようなものなのかを、エリクソンが詳しく教えてくれます。

 

 

 

 

 

 この心の時空は、以前申し上げましたように、どんな言葉でも、1つの見通しに、<私>が経験することをまとめるやり方に基づいています<私>が経験することとは、<私>が、「目の前《いまここ》に」あることと「少し先《いまそこ》に」あること、「背後《いまあそこ》に」あることと「背後の少し先《ちょっと離れた、いまあそこ》に」あること、それから、「目の前や背後の上に」あることと「背後や目の前の下に」あることを経験することであり、また、このような方向性すべてに、それぞれ、生きる上で影響力がある情動がいかに付随しているのかを経験することです。たとえば、畏れと強い恐怖、願いと不安、望みと心配、攻撃したい気持ちと驚き、大切に思う気持ちと憎しみです。このことすべてにおいて、<私>は、自分が能動的に選んだという感じを、自分は選ばれて価値を認められたという感じと一緒に、経験する中心であり続けなくてはなりません

 

 

 

 

 見当識は、<私>が、心の時空で経験したことに、通常は無意識に落ちた情動が付随したものです。したがって、通常、見当識自体が、無意識的なのです。見当識は、生きる方向性を決めるものですから、見当識が無意識であれば、自分がどういう方向性に向かって生きているのか、ということに関しても、無意識・無自覚です。

 しかし、今日のところから、自分を「私」「僕」「I 」などと呼ぶ意識の<私>が2重に自己中心であることも分かりました。1つは、<私>は、時空を見る視点が自己中心です。もう1つは、<私>は、自分の体験を見る視点も自己中心でなければなりません。しかし、それだけではないのです。自分の体験は、自己中心であると同時に、他者中心でなくてはならないのです。つまり、自分の体験そのものが、2つの中心を持つ楕円形なのです。ですから、同様に、2つの中心を持つ楕円形をなした儀式化が、自分の体験を、1つのヴィジョンの元にまとめる上で、必要不可欠になるのです

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