エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

じぃっーと見る+広ーく見る=平安と落ち着き

2013-09-01 02:00:07 | エリクソンの発達臨床心理

 

 アインシュタインがイメージとイメージを組み合わせた遊びを連想遊びというのは、精神分析に似ていますね。無意識に至る通路の役割をする連想遊びは、創造にも繋がっているというのが、実に興味深いことです。

 

 

 

 

 

 ここで「survey ざっと見渡す」と訳した言葉は、Uebersicht overviewでして、広々とした水平線を自由にざっと(じっくり)見ることを意味します。それは、私どもを Auschauung 直観 のことに引き戻してくれます。つまり、一点を焦点付けて見ると同時に、広い範囲を網羅的に見る、物の見方です。

 こういったことすべてが、いかに天才の博識を高度に個人版にしたものか、ということは、比較研究だけが教えてくれることです。しかし、私が強く感じるのは、それが、科学的な考え方の「宇宙論的」側面に光を当てている、ということです。しかし、宇宙論というものは、またもやですが、ドイツ語のWeltanschauungに由来します。その核になるのは、つまり、schauen は、翻訳するのが難しいです。というのも、それは、ものごとを内側から「見る見方」であると同時に、現象を集中して見ることでもあるからです。大切過ぎて何か見ることができないものが、最も近いかもしれませんね。ここから、私どもが1つの世界観と呼ぶものに行くためには、アインシュタインの文章をまたもや引用しなくてはなりません。

人は自分自身のために、自分にとって都合のいいやり方で、1つの世界に対する1つの単純明快なイメージを形作りたいと思いますし、このイメージにある程度置き換える努力をすることによって、経験世界を克服したいと思います。これは、画家がしていることであるとともに、詩人や、思索的な哲学者や、自然科学者が、それぞれ独自の方法で、やっていることです。このイメージとイメージを創りだすことに、人が大事な情緒的生活の中心を認めることは、まさに、平安と落ち着きを得るためですが、この平安と落ち着きは、狭い範囲の、めまいがするような個人的経験の中には、見つけることができないことなのです。

 

 

 

 

 自分なりの世界に対するイメージを持つことが、平安と落ち着きをもたらしてくれるのですね。そこには、花のような、秩序があって美しいのです。

コメント
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