今日から、Toys and Reasonsの序文を翻訳します。さっそく翻訳します。
この本は、ゴドキン講演に基づいています。私はハーバード大学で1972年、「遊び、ビジョン、ごまかし」という演題でゴドキン講演をしました。ゴドキン講演は、ジョン・F・ケネディ公共政策学部の後援ですし、「自由な政府の本質」のいくつかの側面に講演が役立つことを期待されています。当時、一つのかなり重要なテーマが根源的だという印象を私は持ちました。それは、子どもの遊びの、政治的想像力に対する関係、というテーマです。しかし、この主題を詳しく述べる勇気を持てたのは、ゴドキン講演の講座にはその年、大学全体の学部のメンバーと学生が参加するセミナーが含まれており、そのメンバーや学生は、私の研究と折り合うように思われる現在進行形の研究をしていることに基づいて選ばれていたからなのです。というのも、私の講演のテーマは、そのまさに本質からして、様々な政策表明をしている点で、非常に分かりにくいからですし、学際的な仕事をすることによって初めて、より理解しやすいものになりうるからなのです。
セミナーで用いた論文集の中に、「人間における毎日の礼拝が,一人の人の育ちの中で発達する姿(個体発生)」に関する講演がありました。それは私が1965年に、ロンドン王立協会のシンポジウムのために行ったものです。「毎日の礼拝」というものの見方は、人間の陽気な楽しさが一人の人の育ちの中で発達する姿(個体発生)と、人間の陽気な楽しさが種としての人間の進化の中で発達する姿(系統発生)とが、本質的に結びついたものであることを証明するので、その講演を発展させて、この本に取り入れました。
以上が、序文の第1、第2段落の翻訳です。今日の翻訳にある、ロンドン王立協会で行った講演「人間における毎日の礼拝が一人の人の育ちの中で発達する姿(個体発生)」を発展させた論文が、最初に翻訳致しました「日常生活における礼拝」です。その意味では、エリクソンは「毎日の礼拝」が非常に大事であると考えて、「毎日の礼拝」について繰り返し考えて、次第に議論を発展させたと言えるでしょう。この本は、「日常生活における礼拝」を含めて、「毎日の礼拝」についての論考の一つの集大成である、と言えます。
さて、今日の序文の冒頭は、どうでしたでしょうか?「毎日の礼拝」というものの見方は、人間の陽気な楽しさ、陽気な楽しさのある暮らしが、一人の人の育ちの中で発達することと、人間の陽気な楽しさ、陽気な楽しさのある暮らしが、種としての人間の進化の中で発達することが、本質的に結びついていることを証明するものだ、というのです。つまり、人間の陽気な楽しさは、人間の進化に根差しているものであって、単なる「お遊び」ではない、ということです。
この本Toys and Reasons『おもちゃと英知』がいかに重要な本かが分かります。
今日はこんなところといたします。