弁当日記

ADACHIの行動記録です。 
青年海外協力隊で2006年4月からバングラデシュに2年間住んでました。

バングラデシュのニュース(2018/6/12) ◆ロヒンギャ難民について

2018年06月12日 | バングラデシュのニュース
◆イベント情報◆
〇講座シャプラバ!
「バングラデシュカレー作り体験
~南アジアのカレーを作って、食べて、児童労働について学ぼう~」(6/16)
 https://www.shaplaneer.org/news/events/180519_shaplaba/
〇日本イスラム協会公開講演会 (6/16)
 http://www.gakkai.ac/islamkyokai/openlecture/
〇「世界難民の日」ソーシャル・アクションin渋谷 #難民とともに (6/16)
 http://www.unhcr.org/jp/19804-info-180601.html
〇第二回日本ベンガルフォーラム (6/24)
 http://www.tufs.ac.jp/ts2/society/japanbengalforum/fevent.html

■見出し(2018年6月12日) No2018-36
〇日本イスラム協会公開講演会
〇「世界難民の日」ソーシャル・アクションin渋谷 #難民とともに
〇ロヒンギャ帰還の道は 配給品で商売、定住化に地元不満
〇スーチー氏「ロヒンギャ帰還進める」 朝日新聞単独会見
〇U Soe Aung厚生・救助・再開拓省副大臣と丸山大使、マウンドー地域を視察
〇ミャンマー避難民の生活を支える衛生施設
〇ロヒンギャ、水害対策に課題=移住先の環境に懸念-バングラデシュ
〇ロヒンギャ帰還、国連が支援=ミャンマー政府、居住地立ち入り容認
〇H.E.L.P. in JAPAN ~大規模人口移動に備えて~
〇学ぶ喜び ロヒンギャにも 「富山学校」2校目
〇ミャンマーと国連、難民帰還で協力 国軍の領域踏み込むリスクも
〇ロヒンギャ迫害、ミャンマーが調査委設置へ 国際批判かわす
国連機関とも覚書締結へ
〇ミャンマー軍、教育を受けたロヒンギャ族を標的に
〇「非情な現実」 バングラで支援、看護師講演 山口 /山口
〇「ロヒンギャ」帰還協力 国連組織と覚書署名
〇ミャンマー支援 20年の活動紹介 川口 /埼玉
〇ロヒンギャ帰還で国連2機関と協力
〇支援を 秋田赤十字病院・疋嶋かおりさん 昨年バングラデシュ派遣、
 地道に一歩ずつ /秋田
〇ロヒンギャ「移動」奪われ 政府へ不信なお 国内避難民、キャンプ収容
〇ロヒンギャ流出、農業に痛手 ミャンマー・ラカイン州 労働力急減、経済下押し

■日本イスラム協会公開講演会
 http://www.gakkai.ac/islamkyokai/openlecture/

「国家,民族,宗教ー東南アジアの知られざるムスリム・マイノリティー」
入場無料 (申し込み不要) お問い合わせは当協会まで

 世界のムスリム人口の半数近くを擁する東南アジアにも,マイノリティーとして暮
らすムスリムが存在します。今回は,最近日本でも報道されているロヒンギャ問題と,
カンボジアの事例を通じて,国家,民族,宗教の関係を考察します。

●日 時:2018年6月16日(土) 午後2時00分~4時30分
 会 場:東京大学文学部法文1号館 113教室(本郷キャンパス)
 http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_01_01_j.html
 (前回と同じ会場です)
 ※入場無料・事前申込不要。当日直接会場までお越し下さい。

●講演者と演目
・根本敬氏(上智大学)「ロヒンギャ問題とは何かー存在を否定された人々の歴史と
現状」
・大川玲子氏(明治学院大学)「カンボジアのチャム人ムスリムークメール・ルージ
ュによる迫害と今ー」

【お問合せ】 一般社団法人日本イスラム協会
TEL&FAX:03-5841-3778
e-mail: ais[#]l.u-tokyo.ac.jp
([#]の部分を半角の@に変えて下さい)



■「世界難民の日」ソーシャル・アクションin渋谷 #難民とともに
 http://www.unhcr.org/jp/19804-info-180601.html
 (UNHCR 2018年6月16日)

【主催】UNHCR駐日事務所、国連UNHCR協会
【協力】シダックス株式会社 株式会社ユニクロ【後援】渋谷区

【日時】2018年6月16日(土)(雨天決行)10:00-19:00
【場所】渋谷駅ハチ公前広場


世界では、解決しない紛争や迫害によって6500万以上の人が家を追われています。
2016年に新たに移動を強いられた人は1030万人。1分ごとに20人が、自分の住む家か
ら、町から、国から逃げ出すという究極の選択を迫られていたことになります。

6月20日は国連「世界難民の日」。毎年さまざまなイベントを実施してきましたが、
今年は趣向を新たに、UNHCRと国連UNHCR協会が共催で、6月16日(土)に「世界難民
の日」ソーシャル・アクションin渋谷を開催します。

渋谷駅のハチ公前広場に、難民支援の現場で利用する最新の家族用テントを1日限定
で設営。「知る、広める、参加する」ことを目的に、難民のことを知らない一般の方
々にも、日本からできるさまざまな支援の形、“ソーシャル・アクション”をご紹介
します。

事前申し込みは不要です。お近くにお越しの方は、ぜひ会場にお立ち寄りください!



? 知る:難民支援の現場で利用する最新のテントに触れて、避難生活を知る

テント内に実際に避難生活で使われている調理器具などを展示するほか、フォトグラ
ファーの内藤順司さんがバングラデシュで撮影したロヒンギャ難民の写真を投影しま
す。

? 広める:テントや難民キャンプの写真を背景に撮影して、SNSで広める

テントの中に入って避難生活を疑似体験したり、ヨルダンの難民キャンプの大パネル
の前で写真撮影したりできます。会場で見たこと、知ったこと、撮影した写真などを、
SNSなどでシェアしてください!

? 参加する:日本から国連総会への署名(#難民とともに)、寄付で参加する

<署名1件につき50円を寄付!>
2018年6月16日から20日の間、シダックス株式会社が『命をつなぐワンアクション』
として、#難民とともに署名1件につき50円をUNHCRに寄付します。50円は、栄養不良
の難民の子どもたちに提供する栄養補助食品1パック分に相当します。

また、会場では募金も受け付けています。

<渋谷で署名した方にUNHCRのリストバンドをプレゼント!>
渋谷の会場で#難民とともにへ署名してくださった方に、UNHCRの特製リストバンド
(非売品)をプレゼントします。



***********************

#難民とともに
UNHCRでは、2018年9月の国連総会で「難民に関するグローバル・コンパクト」が採択
される場に、世界中から署名を集めるキャンペーンを実施中。氏名、メールアドレス
をスマホなどで入力することで参加可能です。



■ロヒンギャ帰還の道は 配給品で商売、定住化に地元不満
 https://www.asahi.com/articles/ASL5Y0V0NL5XUHBI02N.html?iref=pc_rellink
 (朝日新聞 2018年5月31日)

 ミャンマー・バングラデシュ両政府がイスラム教徒ロヒンギャ難民の帰還に合意し
て半年。だが難民らは戻ることへの不安を抱えている。一方、半ば定住化する難民に
対しバングラデシュ側からは不満も上がる。両政府の動きは鈍く、難民らの声は置き
去りにされている。(コックスバザール〈バングラデシュ南東部〉=染田屋竜太)

「暮らしの保証ない」
 「ちゃんと国籍をもらって安全に暮らせる保証がない」。バングラデシュ南東部コ
ックスバザール郊外にあるジャムトリキャンプの一角、テントシートや竹などでつく
った仮設住居で、アブドゥ・ラフマンさん(33)が言葉に力を込めた。
 今年1月、バングラデシュ政府の役人が「帰還者リストに名前が載っているから家
族構成を教えてほしい」と訪ねてきた。「その後、何の音沙汰もない。本当に私たち
は選ばれたのでしょうか」
 ミャンマーの出入国管理・人口省に尋ねると、ラフマンさん一家7人は「最初に帰
還を受け入れる」と3月に発表した374人のリストに入っている。しかし同省の担
当者は「帰還の意思確認はバングラデシュ政府の仕事だ」という。
 ラフマンさんらは昨年8月、ロヒンギャ武装組織に対するミャンマー政府の掃討作
戦開始直後、同国ラカイン州マウンドーの村を脱出。山道を歩き、森の中で数日を過
ごし、バングラデシュ側に入った。多くのロヒンギャと同じくミャンマー国籍がない。
 ミャンマー政府はロヒンギャへの国籍付与については「必要な手続きをする」とし
ながら明確な説明をしていない。ラフマンさんは「戻りたい気持ちはある。でも安心
して暮らせるとはとても思えない」と話す。
 一方、バングラデシュの難民キャンプにいたロヒンギャ約60人が正式な帰還手続
きを経ずにミャンマー側に入ったことが27日明らかになった。ミャンマー政府当局
が拘束した後、難民の一時滞在施設に送った。
 そのうちの一人、ソーユ・サラムさん(48)は28日、ラカイン州を視察した日
本の大使らに「政府が帰還を話し合っているなんて知らなかった。とにかく自分の国
に戻りたかった」と話した。

「定住化」に地元不満
 キャンプでの生活が長引き、難民の定住化が進む。
 ロヒンギャ難民のスルタン・アフメドさん(50)はコックスバザール郊外、クト
ゥパロンキャンプ近くの路上で、テントでこしらえた雑貨店を営む。昨年8月、家族
5人でラカイン州マウンドーから逃げた。生活するうち「調理器具や家族の服を買い
たい」と思うようになった。
 国際機関の配給品を地元のバングラデシュ人らに売って少しずつお金をため、今年
3月、3千タカ(約4千円)の元手で店を始めた。今の収入は1日約300タカ。い
ずれミャンマーへ戻りたいが「今はこちらの暮らしの方がいい」。
 キャンプ近くの地元住民によると、今年に入り、バイクタクシーや飲食店の仕事を
する難民が一気に増えた。洗濯店を家族で営むバングラデシュ人のスニル・ダスさん
(40)は「安い賃金で働く難民のせいで地元の経済がめちゃくちゃになった。いつ
になったら帰還が始まるのか」とこぼす。
 キャンプ内でも食品や衣服を売る難民向けの「商店」が軒を連ね、生活基盤ができ
つつある。
 バングラデシュ政府によると、約40万人が住んでいた地域に約70万人の難民が
入り込み、森林伐採で環境が悪化するなどの問題が起きている。難民帰還を担当する
同国政府のシャムサッド・ドウザ氏は「同じイスラム教徒として受け入れていた住民
の不満が次第に高まっている」と説明する。



■スーチー氏「ロヒンギャ帰還進める」 朝日新聞単独会見
 https://www.asahi.com/articles/ASL675FSWL67UHBI01P.html
 (朝日新聞 2018年6月1日)

 ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問(72)は7日、首都ネピドーで朝日新
聞の単独会見に応じた。昨年8月以降、約70万人が隣国バングラデシュに逃れて難
民になったイスラム教徒ロヒンギャの問題について、「バングラデシュとの合意に基
づいて取り組んでいく」と語り、国内に反発もある難民の帰還を進めていく意向を示
した。
 ロヒンギャをめぐっては、治安部隊などによる殺人や放火、性的暴行といった人権
侵害が報告されており、国連などが調査団受け入れを求めてきた。スーチー氏は5月
末になってようやく外国人の法律専門家も含む独立機関の設置を発表。インタビュー
でも同機関が調査をすることについて改めて言及したうえで、「(同機関から)長期
的な視野に立った助言を受けることになる」との考えも示した。
 スーチー氏が事実上のトップを務めるミャンマー政府は国連調査団の受け入れや難
民帰還への国連の関与を拒否するなど、国際社会の要求に反発してきた。今回、スー
チー氏は国際社会に一定の歩み寄りを見せつつ、問題解決を探る姿勢を示した形だ。
 スーチー氏は一方で、ロヒンギャの問題は「歴史的に続く極めて難しい問題で、す
ぐに解決するものではない」と主張した。難民が身の安全への不安からミャンマー側
に戻ることを恐れていることについては、「治安部隊の指導や治安の強化に力を入れ
て取り組み、安全を確保する努力をしている」と説明した。



■U Soe Aung厚生・救助・再開拓省副大臣と丸山大使、マウンドー地域を視察
 https://www.myanmar-news.asia/news_ctqJBwdW6k.html
 (ミャンマーニュース 2018年5月30日)

様々な場所で地域住民から状況を聴取
厚生・救助・再開拓省のU Soe Aung副大臣と日本の丸山市郎ミャンマー大使は、建設
省のU Kyaw Lin副大臣とラカイン州のU Kyaw Lwin首相を伴い、ヘリコプターで、シ
ットウェーからマウンドー地域のTaung Pyo Letwe町を訪れた。
ミャンマーとバングラデシュの国境付近に向かった副大臣と丸山大使は、マウンドー
地域のU Ye Htut副長官により迎えられ、U Ye Htut副長官は、国境での状況、国境付
近における人々の定住、バングラデシュが国境のミャンマー側をCCTV監視でどのよう
に監視しているか、特定の組織が不法に支援を提供しているかについて説明を行った。
そして、ミャンマーとバングラデシュの国境にある国境警備基地から国境を調査した
後、丸山大使は、国境付近に住む人々と会い、ミャンマーへの帰還と政府がNVカード
を発行していることを知っているかどうかについて質問した。
さらに、北Kyainchaung村の基礎教育高校を訪問した一行は、ラカイン、マラマジー、
ヒンドゥーの人々と面談し、 U Ye Htut副長官は、建設中の家屋と、異なる地域社会
の人々の平和な共存について説明した。
丸山大使は、訪問の理由について、マウンドー地域の実情について知ることであると
説明し、暴力行為に関する真実を大使に話すように言った。地域の住民たちは、緊急
の要望について話し、大使は質問を続けた。
その後、大使は、日本とミャンマーの友情の象徴として寄贈されKyainchaung高等学
校内の2階建ての校舎を見学した。

民族同士の平和的共存へ
次に、一行は、南Kyainchaung村にある住宅プロジェクトを訪れた。U Ye Htut副長官
とCITFプロジェクトエンジニアのU Tin Soe氏が、プロジェクトの進捗状況について
説明を行った後、建設現場を見学した。
さらに、イスラム教の住民に会うためにPan Taw Pyin村に行き、丸山大使は、イスラ
ム教の住民に、安全や教育、医療、政府からの援助、民族同士の平和的共存について
質問した。
その後、Hla Pho Khaungにあるトランジットセンターを訪れた一行は、国家顧問担当
局の副大臣であるU Khin Maung Tin氏からの歓迎を受け、U Ye Htut副長官とプロジ
ェクトエンジニアU Tin Soe氏は、トランジットセンターの現在と将来の建設計画に
ついて説明した。
大使は、自発的に帰還した人々と面談し、近隣諸国での生活状況、ミャンマーの帰還
手続き、トランジットセンターの安全衛生サービスについて質問した。夕方に、一行
はシットウェーに戻った。



■ミャンマー避難民の生活を支える衛生施設
 https://www.huffingtonpost.jp/aar-japan/myanmar-people_a_23442161/
 (ハフィントンポスト 2018年5月29日)

 ミャンマーから逃れた約100万人のイスラム系少数派が暮らす、隣国バングラデシ
ュ南東部のコックスバザール県。AAR Japan[難民を助ける会]が緊急支援事業とし
てキャンプに建設した公共トイレ・水浴び場22ヵ所、井戸22本が避難民の人々の生活
を支えています。これらの施設を利用している避難民の人々の声を紹介します。
 「井戸やトイレができて助かっている」
 60万人以上が密集する通称"メガキャンプ"の中心に位置するクトゥパロン避難民キ
ャンプで、子どもたちが井戸に集まって水を汲んでいました。かたわらで洗濯をする
少女もいます。
 「この井戸をたくさんの世帯が使っています。それまで近くに水を汲める場所がな
かったので、新しい井戸ができて助かっています」と2人の子どもの母親、サハラ・
カトゥンさん(35歳)は話します。キャンプ内の配給所で定期的にコメや食料油など
最低限の食料は受け取れますが、水の確保は避難民の人々にとって最大の関心ごとで
す。AARは1月から開始した支援事業でクトゥパロン一帯に22本の深井戸を設置し、数
百世帯に水を供給していますが、井戸は一度設置してもポンプの部品が壊れたり、水
が出にくくなったりすることがあるため、メンテナンスを継続しています。
 国境のナフ河を挟んでミャンマーを望むバングラデシュ最南端のナヤパラ避難民キ
ャンプ。ミャンマー西部ラカイン州モンドー地区から逃れてきたノジル・アフマドさ
ん(35歳)は、妻と子ども5人の7人家族です。少し前に女の子が生まれたばかりとい
うアフマドさんは「キャンプに来て何とかテントだけは建てましたが、水浴び場とト
イレがなくて困っていました。幼い子どもたちもいるので、こうして支援してくれる
日本の皆さんに感謝します」と話します。他方、クトゥパロンと違ってナヤパラは井
戸を掘っても飲料水や生活用水になる良質な水が得られず、少し離れた溜池から水を
汲んでくるなど苦労が絶えません。

 安心して使える水浴び場は女性に好評
 同じくナヤパラ避難民キャンプで夫と子ども4人と暮らすフェロダス・ベグンさん
(36歳)は「トレイもそうですが、女性が安心して使える水浴び室ができたので、と
ても助かっています」と言います。女性たちは従来、自宅テントの片隅を仕切るか、
テントのすぐ外にビニールで囲っただけのスペースを設けて夜間に水浴びしなければ
ならず、不自由な思いをしていました。「水浴び場はコンクリートの床なので、女性
がバケツを持ち込んで洗濯するのにも便利なんですよ」と喜びの声をあげます。母親
が洗濯しながら幼児に水浴びさせるほほえましい光景も見られました。
 避難民キャンプには、トタン屋根の簡素なモスクが多数散在しており、最も大切な
金曜日昼の集団礼拝には多くの避難民が集まります。ナヤパラ避難民キャンプのモス
クの1つはトイレがなかったため、AARは男性用・女性用を離して公共トイレを建設し
ました。併設されたマドラサ(イスラム学校)で少年たちの世話をしているヌル・ウ
ラさん(26歳)は「生徒が約150人いますが、屋外の簡易トイレで用を済ませていま
した。目の前にトイレをつくってもらったので、モスクに来る人や生徒たちが利用し
ていますよ」と話します。

 トイレの正面と聖地メッカの関係
 ところで、トイレの建設中に疑問に思ったことがあります。建設する場所によって
個室の中の便器の向きが違うのです。つまり、しゃがんだときにドアを背にしたり、
横向きだったり、同じ設計図のはずなのに揃っていません。「おかしいじゃないか」
と指摘すると、建設業者の答えはこうでした。「メッカにお尻を向けてはいけない」。
 世界中のイスラム教徒は、サウジアラビアにある聖地メッカに向かってお祈りしま
す。バングラデシュからはほぼ真西になります。メッカは何より神聖な場所であり、
メッカ巡礼はイスラム教徒にとって人生最大の誇らしいイベントです。その方角にお
尻を向けて用を足せるわけがありません。横に細長い公共トイレは、建設用地のスペ
ースや周辺の状況によって正面の方角がまちまちで、施設ごとに便器の向きを調整す
る必要があったのです。
 日本でも「(恩人に)足を向けて寝られない」という言い回しや「北枕は縁起が悪
い」とする風習がありますが、聖地メッカとトイレの向きの関係に「ああ、そうか!」
と思わず納得させられました。

 キャンプと周辺地域に614施設を計画
 AARは5月以降、避難民キャンプ内にトイレ310基、水浴び場130基、井戸46本、キャ
ンプ周辺に暮らす地元住民の貧困世帯向けに同じくトイレ52基、水浴び場52基、井戸
24本を建設する計画です。ミャンマーへの帰還が進まず問題の長期化が予想される中、
避難民に寄り添う支援がいっそう求められています。引き続き、皆さまの温かいご支
援をお願い申し上げます。



■ロヒンギャ、水害対策に課題=移住先の環境に懸念-バングラデシュ
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018060300243&g=int
 (時事通信 2018年6月3日)

 ミャンマー西部ラカイン州で迫害を受けたイスラム系少数民族ロヒンギャが大量に
流入した隣国バングラデシュで雨期を前に、ロヒンギャの難民キャンプが水害に遭う
恐れが指摘されている。バングラデシュ政府は「安全」と主張するベンガル湾の島へ
の移送を計画するが、支援に当たる国連関係者からは、移住先の住環境への懸念も出
ている。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のオコスオッボ高等弁務官補佐官は5月
31日、ダッカで記者会見し、「島への移送で問題が解決すると期待するのは現実的
ではない」と指摘した。バングラデシュ政府は昨年11月、約10万人のロヒンギャ
を島に移送するための予算を承認したが、島にも水害のリスクがある上、生活に必要
な施設はまだ十分に整備されていないという。
 ロヒンギャが集中する南東部コックスバザールでは、既に人口が過密なため、居住
に適さない土地を切り開いて難民キャンプが造られた。UNHCRは、丘陵地帯の斜
面や低地に建てられた家に住むロヒンギャ約20万人が洪水や地滑りなど、水害の影
響を受ける恐れがあると警告。安全な住居地の造成を急ぐが、依然、需要を満たすに
はほど遠い。
 バングラデシュは国土のほとんどが熱帯に位置し、例年6月中から雨期の豪雨に見
舞われる。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、昨年は全土で少なくとも
145人が死亡。ただでさえ水害対策は急務だ。
 バングラデシュ、ミャンマー両政府は昨年11月にロヒンギャの帰還で合意したが、
これまでにミャンマーに戻ったのはごく少数だ。オコスオッボ氏は「安全な帰還への
環境が整ったとは言い難い」と指摘。避難が長引く中、水害対策は支援機関の大きな
負担となっている。(



■ロヒンギャ帰還、国連が支援=ミャンマー政府、居住地立ち入り容認
 https://www.jiji.com/jc/article?k=2018060100366&g=int
 (時事通信 2018年6月1日)

ミャンマー西部ラカイン州のイスラム系少数民族ロヒンギャが大量に隣国バングラデ
シュに脱出した問題で、ミャンマー政府は31日、難民帰還を国連開発計画(UND
P)と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援することで両機関と基本合意
した。
国連によると、ミャンマーはロヒンギャ居住地へのUNDPとUNHCRの立ち入り
を容認する。UNHCRは「自主的な帰還に適した状況ではないが、この状態を変え
ようという政府の取り組みを支援する最初の一歩」と合意を評価した。ミャンマーと
両機関は来週にも覚書に署名する。



■H.E.L.P. in JAPAN ~大規模人口移動に備えて~
 http://www.jrc.or.jp/activity/international/news/180601_005275.html
 (日本赤十字社 2018年6月1日)

家を追われて、集団での生活へ
近年、紛争や迫害を逃れ、家を追われる人々の数は増加の一途をたどっています。国
連難民高等弁務官(UNHCR)のグローバル・トレンズ・レポート(年間統計報告書)
によると、2016 年末時点で移動を強いられた人の数は6560万人にも上ると報告され
ており、これらの人々の多くは、難民キャンプをはじめ、密集した地域での集団生活
を余儀なくされています。

バングラデシュ南部のコックスバザールにおいても、今日に至るまで69万3000人(4月
23日現在)の人々がミャンマーから避難してきています。ピーク時には一日数万人が
陸路や海路でミャンマーから逃れ、世界で最も速いペースで拡大した人道危機となっ
ています。

バングラデシュ南部避難民事業(※)に従事していた清水宏子看護師(名古屋第二赤
十字病院)は、「一番印象に残っているのは水です。人口が密集する難民キャンプに
おいては、トイレ・下水の整っていない場所も未だ多く、低い地域にいる避難民は淀
んだ水のすぐ隣で生活することを余儀なくされています。これから雨季に入るとます
ます下痢疾患の患者が増えることが懸念されます」と語っていました。
紛争や災害によって大規模な人口移動が発生する事案が増加している近年、集団や過
密人口ならではの健康リスクへの対応を理解し、困難な状況下において必要な判断能
力を持ちあわせた人材を育成することが重要になってきます。日本赤十字社は2003年
以来、このような大規模人口移動における健康リスクに対応できる人材を育成するこ
とを目標に、日本赤十字九州国際看護大学と共にH.E.L.P. (Health Emergencies in
Large Populations)in JAPANを開催してきました。

※国際赤十字では、政治的・民族的背景および避難されている方々の多様性に配慮し、
『ロヒンギャ』という表現を使用しないこととしています。

国際人道支援を担うリーダーの育成
Health Emergencies in Large Populations (H.E.L.P.) in JAPANと呼ばれるこの研
修は、問題解決の意思決定に必要な知識や公衆衛生の基礎知識、そして紛争及び大規
模自然災害被災地で救援活動にあたる際の倫理的行動規範の習得を目的としています。

研修は2週間にわたり英語で実施され、参加者は、緊急時の人道的介入、特に初期計
画に必要な環境衛生管理の視点や初期評価に役立つ疫学的手法、感染症、緊急時の食
糧と栄養、保健システムなど基盤となる知識を習得します。また、赤十字国際委員会
(以下「ICRC」) や日赤の救援活動の経験に基づく演習に取り組みます。最後に、
人道的介入の基盤となる国際人道法の要点を学び、医療従事者の責任、人権と健康問
題等、事例を通じて理解を深めていきます。

これまで7回のH.E.L.P. in JAPANを通じて、述べ25か国157名が同研修を修了し、各
国の現場で活躍しています。バングラデシュ南部避難民事業にも過去の研修参加者の
内17名が派遣され、まさにH.E.L.P.の現場で引き続き活躍し続けています。

清水看護師もH.E.L.P. in JAPANを修了した一人。「感染症の原因である水衛生につ
いて学んだ知識や、下痢疾患の患者のマッピングの演習など、H.E.L.P. in JAPANで
の学びを今回の派遣で実践に移しました」と、研修での経験を振り返っていました。

本年9月にも、日本赤十字九州国際看護大学とICRCとの企画のもと、第8回の
H.E.L.P. in JAPANの開催が予定されています。日本赤十字社は、本研修を通じて、
救援現場の複雑な健康リスクに対応できるリーダーの育成を進めていきます。

第8回H.E.L.P. in JAPANの詳細及び応募はこちらから:
https://www.jrckicn.ac.jp/international/international10/



■学ぶ喜び ロヒンギャにも 「富山学校」2校目
 http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2018053002100012.html
 (中日新聞 2018年5月30日)

 ミャンマーで迫害され、バングラデシュに逃れたイスラム教徒の少数民族「ロヒン
ギャ」難民を支援しようと、シリア出身のサリム・マゼンさん(43)=富山県高岡
市=が、バングラデシュの難民キャンプに「富山学校」を開いた。「子どもの将来の
ために」と決意した。約三百人の子どもが十五日から学び始めた。(山中正義)

シリア出身男性 難民支援
 学校は、読み書きや計算を学ぶ寺子屋としてバングラデシュ南東部コックスバザー
ルのクトゥパロン難民キャンプに建てた。竹やトタンなどで造った平屋(五百四十平
方メートル)で四クラスあり、七~十三歳の子どもが学ぶ。教員四人とスタッフ二人
もロヒンギャ難民。建設費は百二十万円で、約三分の一をマゼンさんが負担した。残
りはこれから寄付を募る。

 マゼンさんは今月中旬に現地を訪れ、オープニングセレモニーに出席。子どもたち
が「ありがとう、日本」「本当に勉強できるの。学校に行ってもいいの」と喜ぶ姿が
印象的だった。別れ際に泣きながら手を振る子どももいた。

 一方で、難民の悲惨な生活環境も目の当たりに。泥で濁った茶色い水を飲み、食事
は一日に一回。栄養不足で子どもたちは痩せこけ、「人間の生活じゃない」と心が痛
んだ。滞在中には炊き出しもした。

 マゼンさんはシリア難民に物資を送ったり、日本の被災地で炊き出しをしたりして
いる。県内のイスラム教徒の留学生でつくる富山市の「富山ムスリムセンター」代表
理事も務める。昨年に県民らの募金で、母国シリアの難民キャンプに小学校「富山学
校」を初めて建設している。

 シリア難民の支援など「今やっていることだけでも続けられるか」と、ロヒンギャ
難民へ支援を広げるか葛藤はあった。それでも報道で難民の惨状を知り、「何とかし
ないといけない」と、いても立ってもいられなかった。

 「シリアもロヒンギャの問題も比べられない。みんな大変な目に遭っている」。平
和と子どもの将来のためにも教育が大切と訴え、「大人の戦争や争いで困っている子
どものために、できるだけ頑張りたい」と話している。



■ミャンマーと国連、難民帰還で協力 国軍の領域踏み込むリスクも
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3143622006062018910M00/
 (日本経済新聞 2018年6月8日)

 ミャンマー政府は6日、イスラム系少数民族ロヒンギャの難民帰還に向け、2つの
国連機関との協力覚書に署名した。治安部隊との衝突が起きたラカイン州北部で、初
めて国連職員が活動できるようになる。治安部隊を統括する国軍はこれまで国境地帯
への国連の介入を拒んできた。アウン・サン・スー・チー国家顧問は、国軍の領域に
踏み込む姿勢を強めており、今後の展開次第では両者間の関係がぎくしゃくするリス
クもある。
 ミャンマー政府は6日、各国外交団を首都ネピドーに招き、国連難民高等弁務官事
務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)との覚書の署名式典を開いた。覚書
は公開されていないが、国連は「ロヒンギャ難民が以前住んでいた居住地などの状況
を独自に調査できる」と説明している。従来隠されてきたロヒンギャの居住地の状況
が、国際社会の監視のもとにおかれることになる。もし国軍が立ち入りを拒否すれば、
国際社会では対ミャンマー制裁の動きが強まる事態を招く。

 スー・チー氏が決断した今回の覚書署名は、国軍との新たな距離感を探る動きの一
つだ。従来、ミャンマーの国境地帯では行政分野も含め国軍が大きな権限をもってい
た。政権は5月末、ラカイン州北部での人権侵害を調べる独立調査委員会の設置も決
めた。国軍の調査では「治安部隊の迫害はない」としてきた。

 政権側からは、旧軍事政権が2011年の民政移管を容認する「代償」として成立させ
た現憲法の改正を求める発言もめだつ。3月に就任したウィン・ミン大統領は、就任
演説で憲法改正を優先課題の一つにあげた。

 現憲法は、議会の上下両院の25%は国軍最高司令官が選んだ軍人議員に割りあてて
いる。その最高司令官を指名するのは「国防治安評議会」で、軍出身者が過半数をし
める。選挙結果にかかわらず国軍が権力を保てるしくみになっている。

 スー・チー氏は、治安分野など国軍が維持してきた領域に踏み込む姿勢を強めてい
る。政権発足から2年がたち、スー・チー氏は「国家顧問」としての権威を確立した。
3月の大統領交代や主要閣僚の入れ替えも、大統領の上としての立場が定着したこと
を映している。

 国軍は現憲法の範囲を超えた「民主化」は認めないとの姿勢を崩していない。国境
地帯での国連活動容認や改憲論議を文民政権の「不当な干渉」と受けとめ、反発を強
めるリスクもある。

 スー・チー氏が最優先課題に掲げる少数民族との和平問題では、当事者の国軍の協
力が欠かせない。スー・チー政権がすぐに国軍から完全に「自立」するのは難しいが、
徐々に関係を修正しようとしている。

 ミャンマーが国連機関の受け入れを認めたとしても、バングラデシュに逃れた約70
万人のロヒンギャ難民の帰還が実現するかどうかはまだ分からない。難民側の最大の
要求はミャンマー国籍の認定にあるためだ。覚書は、帰還の重要なステップである国
籍認定手続きにも触れているとみられるが、手続きの迅速化につながるかどうかは不
透明だ。



■ロヒンギャ迫害、ミャンマーが調査委設置へ 国際批判かわす 国連機関とも覚書
締結へ
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31241520R00C18A6EAF000/
 (日本経済新聞 2018年6月1日)

ミャンマー政府は5月31日、イスラム系少数民族ロヒンギャへの迫害を巡り、治安部
隊などによる人権侵害の有無を調査する独立委員会の設置を決めたと発表した。この
問題を巡ってはミャンマー政府の対応の遅れが国際社会に強く非難されている。真相
究明に積極姿勢を見せることで、批判をかわす狙いだとみられる。
 発表によると、新設する独立調査委は、外国人を含む3人の委員で構成する。国内
外の法律専門家が支援する。具体的な人選や設置の日程にはふれていない。

 ミャンマー政府は5月31日、隣国バングラデシュに流出したロヒンギャ難民の帰還
に向け、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP)を含
めた3者で協力に関する覚書の文面で合意したことも明らかにした。

 国連によると、この覚書は、こうした国連機関のスタッフがミャンマー国内のロヒ
ンギャ居住地に入ることを認め、難民が帰還後に暮らす再定住地の状況を調べること
を可能にする。来週にも正式に署名するという。

 ミャンマー政府はこれまで、国連機関の介入に抵抗し、ロヒンギャ居住区への立ち
入りをほとんど認めていなかった。

 ミャンマー国軍は2017年11月、「治安部隊による迫害はない」という内容の内部調
査を発表した。その後、ロイター通信に対し、現場部隊が独断でロヒンギャ住民10人
を虐殺したと認めた。

 難民は住民の大量虐殺や組織的な性的暴行があったと証言したが、ミャンマー政府
は「確実な証拠が示されなければ捜査できない」と突き放していた。国連人権委員会
が設置した調査団の受け入れも拒んでいた。



■ミャンマー軍、教育を受けたロヒンギャ族を標的に
 http://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2018/06/06/miyanmajun-jiao-yu-wosho
u-ketarohingiyazu-wobiao-de-ni-986662
 (トルコ・ラジオ・テレビ協会 2018年6月5日)

 ミャンマー・ラカイン州のムスリム、ロヒンギャ族に対する圧力と迫害が続いてい
るが、ミャンマー軍は教育を受けた人々を標的にしている。
 ミャンマーでの迫害を逃れてバングラデシュに避難したロヒンギャ族はAP通信に発
言し、同国で行われた軍事作戦で何十人もの教師や宗教指導者が組織的で広範な嫌が
らせ、逮捕、拷問にさらされたと明かした。
 自身も教師であるムハンマド・ハシムさんは、目の前で教師であった兄がミャンマ
ー兵によって殺害されたと語った。
 同国での暴力や圧力に対して声を高める社会のリーダーを排除するために、ミャン
マー兵が教育を受けた人々を標的にしていると明かしたハシムさんは、これは古い戦
術であると述べた。
 研究者たちは、ミャンマーでの事件をホロコーストを含めた大量虐殺と対比させた。
 USCショア財団研究所の理事の1人であるカレン・ユングブルート氏はバングラデシ
ュにあるキャンプでインタビューに答え、「これらの物語に耳を傾けなさい。非常に
なじみがある。まず宗教指導者や政治的指導者を追い払い、それから民衆を標的にし、
すべてをさらに粛清し始める」と述べた。



■「非情な現実」 バングラで支援、看護師講演 山口 /山口
 https://mainichi.jp/articles/20180608/ddl/k35/040/411000c
 (毎日新聞 2018年6月8日)

 バングラデシュで難民化しているミャンマー西部の少数派イスラム教徒「ロヒンギ
ャ」を、現地で支援した山口赤十字病院の看護師、三戸道江さん(45)の講演会が、
日赤県支部(山口市野田)であった。
 ミャンマー軍がロヒンギャ武装勢力の掃討作戦を始めた昨夏以降、60万人以上が
バングラデシュへ逃れた。日本赤十字社は昨年9月から国際救援隊を派遣し、診療活
動をしている。
 三戸さんは、救援隊第5班25人の一員として2月18日~3月20日、バングラ
に滞在して医師と診療活動や感染症防止、現地スタッフの指導に当たった。
 活動した難民キャンプは、40度を超える暑さに加え、トイレも不十分で劣悪な環
境だった。三戸さんは「故郷を奪われた人や、目の前で家族を殺された少女など非情
な現実がある。政治、宗教的対立から離れ、中立公正な人道支援を担う日赤の意義を、
自分の経験を通して知ってほしい」と語った。



■「ロヒンギャ」帰還協力 国連組織と覚書署名
 https://mainichi.jp/articles/20180607/k00/00m/030/089000c
 (毎日新聞 2018年6月7日)

 ミャンマー政府は6日、西部ラカイン州から隣国へ脱出した少数派イスラム教徒
「ロヒンギャ」の帰還と再定住に向け、国連機関と協力する覚書に署名した。今後、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国連開発計画(UNDP)との3者で協
力し、帰還事業を推進する。
 昨年8月にラカイン州北部を中心に起きたロヒンギャの武装勢力と国軍の衝突以降、
その地域で初めて両機関の活動が可能になる。UNHCRは同日、「国連とミャンマ
ー政府の協力の枠組みを確立するのに初めての、そして必要なステップだ」との声明
を発表した。
 国連によると衝突以降、約70万人のロヒンギャが脱出。ミャンマー、バングラデ
シュ両政府は昨年11月に帰還について合意したものの、開始は大幅に遅れている。

 これまでミャンマー政府は国際機関の介入を嫌い、ロヒンギャが暮らしていた地域
への立ち入りを原則認めていなかった。



■ミャンマー支援 20年の活動紹介 川口 /埼玉
 https://mainichi.jp/articles/20180601/ddl/k11/040/163000c
 (毎日新聞 2018年6月1日)

 ミャンマーなどへの支援活動を続けている「民族フォーラム」(山本孟人理事長)
の創立20周年記念イベント(毎日新聞さいたま支局など後援)がこのほど、JR川
口駅東口にある複合施設「キュポ・ラ」で開かれた。20年間の活動紹介や琵琶演奏、
インドの古典舞踊の披露など多彩な催しが行われた。
 県内で使われていた救急車や消防車の無償供与を受けたミャンマーの駐日大使も出
席した。フォーラムはベトナムでの視覚障害者支援を目的に設立され、その後バング
ラデシュやインドで貧困層向けの職業訓練事業を展開するなど幅広い活動を行ってい
る。ミャンマーへは2005年から消防車など数十台を寄贈している。山本理事長は
「文化的な背景が異なっても相互理解を進め、途上国支援や多文化共生社会の実現に
向け貢献したい」と語った。



■ロヒンギャ帰還で国連2機関と協力
 https://mainichi.jp/articles/20180602/k00/00e/020/271000c
 (毎日新聞 2018年6月2日)

 ミャンマー政府は声明を発表し、西部ラカイン州から隣国バングラデシュに逃れた
少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の帰還と再定住に向け、国連機関と協力する覚書
に合意したと明らかにした。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国連開発計
画(UNDP)との3者で帰還事業を推進する。


 声明は5月31日付。近く覚書に正式署名する。ミャンマー政府は国際機関の介入
を嫌い、ロヒンギャが暮らしていた地域への立ち入りを原則認めていなかった。

 UNHCRによると、昨年8月にラカイン州で起きたロヒンギャの武装勢力と国軍
の衝突以降、初めてこの地域で両機関の活動が可能になる。大幅に遅れている帰還事
業を進めるため、地元当局を支援したり、居住地域の調査をしたりする。

 ミャンマー政府は別の声明で、ロヒンギャに対する人権侵害などを調べる「独立調
査委員会」の設置を決めたと発表した。委員会は外国人ら3人で構成され、国内外の
法律専門家らの支援を受ける。

 バングラへ逃れたロヒンギャからは「村を焼かれた」などと、治安部隊による迫害
に関する多数の証言が出ている。しかし、国軍は昨年11月、治安部隊による罪のな
い住民への銃撃や女性に対する乱暴、集落の焼き打ちなどは「なかった」とする調査
結果を発表。その後、治安部隊がロヒンギャ10人を殺害したことを明らかにし、関
係者を処罰するにとどまっている。

 人権侵害に関してミャンマー政府は国連調査団の受け入れを拒否。ラカイン州を視
察した国連安全保障理事会の視察団は、徹底した実態調査の実施を求めていた。



■支援を 秋田赤十字病院・疋嶋かおりさん 昨年バングラデシュ派遣、地道に一歩
ずつ /秋田
 https://mainichi.jp/articles/20180530/ddl/k05/040/085000c
 (毎日新聞 2018年5月30日)

 ミャンマーの少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」がバングラデシュで多数難民化し
ている問題で、秋田赤十字病院(秋田市)の事務職員、疋嶋(ひきじま)かおりさん
(33)=同市=は昨年11月から約2カ月、バングラデシュに派遣され避難民の救
護業務に携わった。当時を振り返り「秋田でもロヒンギャへの理解を深めてほしい」
と訴えている。【山本康介】
 昨年8月、ミャンマー西部・ラカイン州に住むロヒンギャの武装組織とミャンマー
の治安部隊との戦闘が激化。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、5
月15日時点で約71万7000人のロヒンギャが国境を越え、バングラデシュで難
民となっている。
 疋嶋さんは昨年11月24日、日本赤十字社の救援医療チームの一員として日本を
出発。バングラデシュ南東部のコックスバザール周辺に滞在し、1月11日に帰国し
た。
 主な業務内容は、現地で赤十字スタッフが使う車両とその運転手を手配すること。
チーム内で検討を重ね、宿舎から約40キロ離れたバルカリ地区とハキンパラ地区に
ある仮設診療所へスタッフを配置する指揮をとっていた。英語が通じない場合は公用
語のベンガル語を調べたほか、難民を通訳などに雇うこともあった。
 疋嶋さんらが到着したときには支援物資が比較的そろっていたといい、治安も落ち
着いているように思えた。難民キャンプでは竹と防水シートを組み合わせた仮設住宅
が並び、子どもたちも元気に遊んでいた。
 だが問題は衛生面。気温が33度まで上がり砂ぼこりが舞う環境。感染症のジフテ
リアや不衛生な飲み水による下痢が流行していた。日本ではここ近年、ジフテリアの
発症例がなく、さらに現地ではコレラがはやると予測されていたため、「病気そのも
のや、その対策の勉強からスタートしました」と試行錯誤したという。
 また、家族を失った難民との出会いもあった。スタッフとして雇用していた25歳
ほどのロヒンギャの女性に話を聞くと、夫がミャンマーで殺害されたという。悲惨な
経験を抱えた人が多いと心構えをしていたものの、「殺された」重みが改めて心に突
き刺さった。
 それでも女性は5歳ほどの息子と笑顔で生きていこうとしていた。「人間としての
芯の強さや、心の傷を抱えながら前を向いて生きる姿が印象的だった」
 疋嶋さんは帰国後、秋田ではこの問題についての報道が少ないように感じ、危機感
を抱いている。「難民問題は世界各地で起きているが、サポートに特効薬はなく、地
道な支援活動が必要になる。少しでも多くの人が関心を持ち、募金活動などの支援に
つながってくれれば」と語った。



■ロヒンギャ「移動」奪われ 政府へ不信なお 国内避難民、キャンプ収容
 https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/007/030/025000c
 (毎日新聞 2018年5月30日)

 「戻っても隔離生活が続くのでは」。バングラデシュとの国境沿いに続く柵の向こ
う側で、ミャンマーから逃れた少数派イスラム教徒ロヒンギャの男性が懸念した。ミ
ャンマーへの帰還作業は大幅に遅れ、約70万人といわれる避難民はバングラ側に残
ったまま。その背景の一つが、ロヒンギャのミャンマー政府に対する不信感だ。これ
を和らげ、帰還開始につなげることはできるのか。【シットウェ(ミャンマー西部)
西脇真一】


 ミャンマー西部ラカイン州の州都シットウェから国軍ヘリで約1時間。28日、日
本の丸山市郎駐ミャンマー大使に同行し、バングラ国境を訪ねた。

 両国は国境の川の両側約45メートルを緩衝地帯とし、本来なら構築物は建てられ
ない。だが、逃げて来たロヒンギャの小屋が無数に建ち、約5700人が暮らす。今
はイスラム教の断食月。遠くから礼拝の声が聞こえた。

 丸山大使がフェンス越しにミャンマー語で問いかけると、男性が応じた。男性は、
帰還してもミャンマー側の受け入れ施設で長期に留め置かれることを心配していた。


 ラカイン州では2012年、多数派の仏教徒ラカイン族とロヒンギャとの間で大規
模な暴動が発生。政府報告書によると死者は双方で192人に上った。

 両者の接触を避けるため、政府はロヒンギャを中心とする人々を国内避難民キャン
プに「隔離」した。州内には20カ所以上のキャンプがあり、約13万人が暮らす。


 暴動前からロヒンギャには市民権が与えられず、移動の自由も制限されていた。
「収容後はさらに扱いが厳しくなった」(国連関係者)という。

 バングラ国境に近い北部と異なり、シットウェは古くから居住し、国民意識を抱く
ロヒンギャも多いとされる。シットウェ郊外のキャンプで暮らすティンフラさん(4
1)は「両親も私も国民登録証を持っている。なのに国民だと認められていない」と
涙した。

 同じキャンプの男性は「我々は州内すら自由に動けず、作物を近くに売りに行くの
にもリスクがある」と話し、移動制限のため「息子は(キャンプ内の)高校を出ても
行ける大学がない」と訴えた。別のキャンプでは「以前は商売をしていた」のに移転
先で農業をやれと当局に指示され、途方に暮れる人もいた。

 最近、ラカイン州北部マウンドーに帰還者の一時受け入れ施設が完成した。広大な
敷地に建つ宿舎で、約3万人が再定住の準備を進めることができる。しかし現在、施
設には自力で帰還した男性62人しかいない。この男性たちはミャンマーでの状況を
見極めてから妻らを呼び寄せるという。

 ミャンマー政府のロヒンギャ問題に関する諮問委員会は昨年、ロヒンギャから国籍
を剥奪した市民権法の見直しや、移動の自由などを認めるよう勧告した。だが、具体
的な動きは見えないままだ。

 ミャンマー経験の長い丸山大使は「今は政府の言うことが信用されていない。一つ
一つできることから目に見える形で待遇を改善していく。それが帰還を進めることに
なる」と指摘する。



■ロヒンギャ流出、農業に痛手 ミャンマー・ラカイン州 労働力急減、経済下押し
 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO3118137031052018FF1000/
 (日本経済新聞 2018年5月31日)

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの住民が隣国バングラデシュに大量流出
したラカイン州北部で、農業に従事する労働人口が急減し、経済成長の下押し要因と
なっている。避難したロヒンギャ住民が農作業に不可欠な担い手となっていたためだ。
「治安状況は安定しつつある」(当局者)としているが、農繁期となる雨期を目前に
懸念が高まる。

 国軍がロヒンギャ住民虐殺の事実を認めたラカイン州北部のインディン村。22日に
現地を訪ねると、約4千人のロヒンギャが住んでいた地区では一面に家々の焼け跡が
広がっていた。一部では国境警備隊が基地の建設を進める。

 ラカイン州ではミャンマー人の主食のコメなどを生産している。インディン村の周
囲にも海岸近くまで田畑が広がるが、手入れされている様子はない。農作業を任せて
いたロヒンギャが大量に村を離れたことによる労働力不足は顕著だ。

 インディン村を含むマウンドー地区の行政を管轄する州政府高官のイエ・トゥ氏は
「2017年の農作物の生産は以前より減った」と認める。5月末から本格化する次の耕
作シーズンにも影響が出るのは必至だ。

 ミャンマー国内に残ったロヒンギャが住むパントーピン村では、以前は約400人だ
った村人が4分の1に減少した。州政府が貸し出した農機を利用しても、労働力の埋
め合わせは難しい。同村の関係者によると、面積あたりの収穫量は約2割減ったとい
う。

 14年の国勢調査によると、ラカイン州では就業人口の61%が農業などの第1次産業
に従事している。経済開発が進んでいない北部では、農業に依存している人口はさら
に多い。ロヒンギャ住民が流出した後の労働力の埋め合わせも進んでおらず、今後も
放置されて荒廃した農地が増える公算が大きい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿