弁当日記

ADACHIの行動記録です。 
青年海外協力隊で2006年4月からバングラデシュに2年間住んでました。

バングラデシュのニュース(2021/01/09) その2

2021年01月10日 | バングラデシュのニュース

■見出し(2021年01月09日) No2021-01
〇【1/14オンライン開催】国際協力セミナー 
 国連JPOが語る「建築・都市計画専門家が取り組む国際協力」
 ~民間・協力隊・開発コンサルと歩んできた技術者のキャリアとビジョン~ 
〇【無料オンライン講座】「アジアの今、アジアの現場 ~バングラデシュ編~」
〇駐ニカラグア大使が新型コロナ感染 外務省が発表 大使で4人目
〇エアプサン、韓国LCC初の中距離路線バングラデシュ・ダッカ線を運航へ
〇発掘体験できる博物館 豊かな自然に化石眠る瑞浪市
〇原田勝広の視点焦点:途上国の夜明けへ社会的投資
〇〝世界一の男〟に輝いたのは? 知性、個性、肉体美を備えた男たちが沖縄に集結
〇中国ワクチンの“アジア侵食”に戦いを挑むインド 
〇医療用ゴム手袋「調達危機」が深刻さを増すワケ 
〇バングラデシュの雇用創出を支援 レザーファクトリー原口社長、事業への思い語る
〇矢掛町から日本全国へ…可能性を秘めた「青パパイヤ」に期待【岡山・矢掛町】
〇パパイア使ったランチいかが やかげ町家交流館で提供
〇《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子 バングラデシュ編<1>
〇《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子 =バングラデシュ編<2>
〇《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民 大浦智子= バングラデシュ編<3>
〇コロナ禍でも活況 バングラの造船産業
〇手洗えないのに…難民キャンプのロヒンギャ、低い感染率
〇夢を売り、暴力と恐喝で支配 ロヒンギャ密航ビジネス

 

■《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子 バングラデシュ編<1>
 https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/201211-22colonia.html

ポ語より日本語の方が得意!

 ネパール編、フィリピン編に続いて、今回はバングラデシュ編。 「こんにちは。日本
人ですか? 私は日本が大好きです!」――。 ヌル・アミンさん(47歳、ダッカ生まれ
)はブラジルに暮らして10年になるが、ポルトガル語よりも日本語が得意なバングラディ
ッシュ人だ。
 日本に行ったことはないが、ダッカで生活していた時に日本へ行きたい一心で日本語を
勉強し、その会話力は日常のコミュニケーションに全く問題がない。なぜか東方の日本で
はなく、西方の彼方、南米大陸に足を踏み入れた。
 2000年代のバングラディッシュの政治への不満や家庭内の様々な問題を解消するため、
2010年にアミンさんは国外渡航を決意した。それまでも隣国インドをはじめ、タイやマレ
ーシア、アラブ首長国連邦を旅行したことがあったが、毎月1千ドルを稼ぐことができる
と聞き、2人の友人と一緒にエクアドルに渡航した。
 グアヤキルで約4カ月の滞在中、実際には月250ドルしか収入を得られないことが分かり
、現地での生活も維持できなかったため、友人たちはそのまま米国に渡った。アミンさん
は一旦バスでペルーに移動し、到着した町で右も左も分からないでいたところ、一人のパ
キスタン人と出会い、事情を話すと一緒にブラジルに行くという話が決まった。
 アミンさんたちはタクシーでボリビアを経由してブラジルに入国。まずはブラジリアに
到着した。2日間食べることもできず、寝床もないままさまよい、ようやくブラジリアの
バングラディッシュ人の家で約2カ月滞在させてもらうことになった。
 その間、難民申請をしてプロトコールを受け取り、労働手帳と納税者番号を取得。ブラ
ジルでの就労が可能になった。職探しをする中で、パラナ州マレシャル・カンジド・ロン
ドンの食肉工場で、アラブ諸国に輸出する鶏肉加工のために5人のムスリムを募集してい
る情報を得た。
 問い合わせるとアミンさんは採用され、5年間その工場で働くことになった。2012年に
は2年後にブラジルでサッカーワールドカップが開催されることに乗じて、ブラジル政府
が在伯外国人に永住ビザを出し、アミンさんも同年にRNE(外国人登録証)を取得するこ
とができたという。

救世主は日系人!

 バングラディッシュを出てから半年後、ブラジル国内で一旦落ち着ける場所を見つけた
アミンさん。しかし、当初は日常生活のポルトガル語も分からず、土地勘もなく、困るこ
とが少なくなかった。
 「一番助けてくれたのは、現地の日系人家族でした」と振り返るアミンさん。日本語で
コミュニケーションができた事から食肉工場の仕事以外に日系人が経営するサイバーカフ
ェでも働き、ブラジル人よりも日系人たちと打ち解けることができた。
 「住居から食事の世話まで、生活面で多くの面倒を見てくれとても感謝しています」
と振り返る。
 就職してから無欠勤という真面目な働きぶりで、工場の責任者からも重宝されていたア
ミンさんだが、2015年から1年半、バングラディッシュに帰国することになった。
 アミンさんはバングラディッシュではテーラーの仕事が本職で、2016年にブラジルに再
渡航してからはサンパウロ市のブラス地区に滞在し、衣料品の販売を始めた。
 2年前からはカンピーナス市内のギャラリーのボックスで子どもの衣服や靴、おもちゃ
、婦人服などを販売し、サンパウロ市とカンピーナスを往復するようになった。
 「ボウソナロ大統領になってからは目に見えて売り上げが落ち、パンデミックが追い打
ちをかけました」と肩を落とすアミンさん。
 労働党政権(PT)の間は景気の良かった客層が徐々に引いていき、パンデミックとなっ
てカンピーナスの店も閉店を余儀なくされたという。(つづく)

 

■《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民=大浦智子 =バングラデシュ編<2>
 https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/201215-22colonia.html
 (ニッケイ新聞 2020年12月15日)

ムスリム商人が利用するハラール料理店

 サンパウロ市のブラス地区にある『タージ・マハル』(Rua Barao de Ladario, 859  
Bras)は、バングラディッシュ人が経営するインド料理とブラジル料理のレストランだ。
 特に毎週月曜日から水曜日の昼食時には、ブラジル各地から同地区の衣料品卸売店に買
い付けに訪れるムスリム商人でにぎわいを見せる。その理由は、サンパウロで決して多く
ないハラール料理が食べられるからだ。
 表向きのメニューはブラジル料理が並ぶが、ムスリムの間ではハラールの規定に沿った
インド料理が食べられる店としてよく知られている。厨房では現在、バングラディッシュ
人のシェフ、シャドゥーさんが毎日腕をふるう。
 価格も一食13レアルと、現在の外食価格からするとお手頃である。バングラディッシュ
人やパキスタン人、レバノン人、インドネシア人など、ブラス地区で働くムスリム商人が
多く訪れ、情報交換の場にもなっているのが『タージ・マハル』だ。
 約5年前に『タージ・マハル』がオープンした頃から、オーナーのバングラディッシュ
人と友人であるアミンさんは、よくレストランを手伝ってきた。パンデミックになってか
ら、アミンさんはカンピーナスの自分の店を閉め、ブラス地区にあるバングラディッシュ
人が経営する縫製工場『バングラブラス』や同レストランの仕事をかけ持ちして手伝って
きた。

娘の事を思い出し涙

 「バングラディッシュへは毎月2千レアルの仕送りをしてきましたが、今はとてもそれ
はかないません」
 アミンさんはバングラディッシュに妻と16歳と10歳の娘がいる。長女には日本語からナ
ミコ、二女にはナビコという名前も付けている。「ナミは海の波、ナビコと言うのは韓国
語で蝶の意味。昔、韓国にも行きたいと思い、ハングル語を書く練習をしたこともありま
す」と話す。 
 「私の娘たちへの願いは、立派な医者になって社会の役に立つように育ってくれる事。
そのために私は外国でがんばります」。本当は一緒に暮らしたい娘の事を思い出すと、自
然と涙があふれ出す。
 アミンさんが日本語を勉強したのはもう20年以上前の話だが、今もブラジルにいながら
取材の受け答えも難なく日本語でこなすことができる。得意な言語は、母語のバングラデ
ィッシュ語に次ぎ、日本語、英語、韓国語、ポルトガル語と順を挙げる。
 「正直に言うと、ポルトガル語は今もよく分かりません。ポルトガル語の“ジャネーラ
(窓)”はバングラディッシュ語でも“ジャネラ”と言い、日本語の“○○ない”と言う
ような否定の“ない”という言葉は、バングラディッシュ語でも“ない”という同じ言葉
です。私の頭の中では色んな言葉が混ざり合っています」と笑う。
 圧倒的な日本びいきのアミンさんだけに、「ブラジルはあくまでも仕事のためにいるだ
け」と考えている。
 「昔から一番行きたい国は日本。日本人は控えめで、口だけでなくきちんと仕事をこな
すし、話す時もゆっくり話してくれます。世界で一番好きなのは日本人、その次がブラジ
ル人」と目を輝かせ、今も日本を訪ねるチャンスを密かにうかがっている。
 アミンさんの夢は、「毎月、決まった日に必ず給料を払う会社を作ること」。ブラジル
での仕事はこれまでおおむね満足しているが、日本のように言葉にした約束は守るような
社会が、アミンさんにとっての理想郷である。(

 

■《ブラジル》アジア系コミュニティの今(3)=
 サンパウロ市で奮闘する新来移民 大浦智子= バングラデシュ編<3>
 https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/201217-22colonia.html
 (ニッケイ新聞 2020年12月17日)

殺人事件発生でコミュニティ震撼

 10月16日(金)の夜、サンパウロ市のバングラディッシュ・コミュニティーを震撼させ
る事件が発生した。
 「『99』(自動車配車のアプリ)で運転手をしていたバングラディッシュ人が殺された
んです」と、翌日に取材する約束をしていたサンパウロ市ブラス地区でホテルを経営する
バングラディッシュ人モハメド・カモンさん(40歳)は、電話越しでもその声色から衝撃
の大きさが伝わった。仲間の死にショックを受け、友人知人が喪に服す週末となり、取材
も控えさせてほしいという事になった。
 翌17日付のG1サイトの記事によると、事件は金曜日の夜、ピリトゥーバ地区で発生した
。運転手はブラジルに暮らして5年になるムタキン・アフマドさん(24歳)で、袋小路の
路上で女性の乗客を降ろした後、突然7人組に襲われ、銃で撃たれて死亡した。セキュリ
ティカメラで現場の様子が撮影されていたが、物品が奪われた形跡はなく、警察は単なる
強盗事件ではない可能性も示唆した。既に犯人2人は特定されているという。
 ムタキンさんは、仕事をしてお金を稼ぐために来伯して、バングラディッシュ人が多く
暮らすブラス地区に居住し、昼間は友人と衣料品店で働き、夜は『99』アプリの運転手と
して働いていた。
 サンパウロ都市圏鉄道(CPTM)のブラス駅を出ると、平日と土曜日の正午過ぎまで、駅
前の広場から衣料品店が軒を連ねるブラス地区の一帯では、アフリカ人などの移民が足の
踏み場を探すのが大変なほど、路上に衣料品や雑貨を並べて販売している。
 10分ほどその様な通りを歩いて抜けると、衣料品店だけでなく、ハラールの食肉店やレ
バノン人のレストランや美容室、トルコ人の経営するシュワルマ(アラブのピタパンサン
ドイッチ)の人気店なども目につくようになる。そんな一角に、取材を予定していたモハ
メドさんのホテルやアミンさんが手伝うレストラン『タージ・マハル』も存在する。

 モハメドさんは「バングラディッシュで生活に困ることはありませんでしたが、8年ほ
ど前にブラジルに来て気に入り、家族も呼んで暮らしてきました。でも、近くいとこがブ
ラジルに来て仕事を交代し、我が家は祖国に帰るつもりです。日本にも同胞の友人がおり
、パンデミックが過ぎたら日本にも行くつもりです」と余裕の笑みを見せた。
 アミンさんによると、バングラディッシュ人は聖市で300人ほどが暮らしていると推定
され、ピラシカーバ、オルトランジア、カンピーナス、アメリカーナなどでも主に衣料品
店を開いており、月に1、2回はブラス地区に買い出しに訪れるという。日帰りでは大変な
のでブラス地区に宿泊し、モハメドさんのホテルも重宝されている。
 「サンパウロでバングラディッシュ人の公式なコミュニティーはありません。皆がコミ
ュニティーの代表のような感じです」と話すアミンさん。ブラス地区はメスキータがあり
、ムスリムも集住しているので、出身国は違ってもムスリムにとっては過ごしやく情報交
換もしやすいイスラム共同コミュニティーの様相を呈している。
 それでも、モハメドさんのホテルには常時バングラディシュ人が出入りし、アミンさん
が働いている縫製工場『バングラブラス』も、2人の同胞が共同経営し、同胞のベテラン
テーラーが仕事の監督をする。目に見えて組織化されていなくてもバングラディッシュ人
同士で助け合うネットワークが築かれている。
 さらに、国外在住の同胞を結ぶニュース配信会社NRBnews(nrbnews24.com)もSNSを通
して活発に活動しており、オンライン会議で議論したり祖国のニュースを共有したりする
など、世界どこにいても同胞が孤立しないインフラができている。(おわり)

 

■コロナ禍でも活況 バングラの造船産業
 https://www.afpbb.com/articles/-/3318284?cx_part=search
 (AFP通信 2020年12月7日)

バングラデシュの造船業界が活況を呈している。国内最大の造船所はハンマーや火花の騒
音であふれ、会話もままならないが、それはまさにコロナ禍での経済的打撃を、この業界
が乗り切れていることの証しに他ならない。

 人口1億6800万人のバングラデシュでは、船が主な移動手段となっている。広い低地に
張り巡らされた河川はいわば生命線で、近年の力強い経済成長により、同国では新しい船
や大型船への投資が増えている。

 首都ダッカ郊外チャールカリガンジ(Char Kaliganj)の造船所には、修理中の船がず
らりと並び、辺りには油や化学薬品の刺激臭が漂っている。

 作業員のアブル・カシェム(Abul Kashem)さん(66)はAFPに対し、これほど忙しかっ
たことは経験がないと述べ、「新型コロナウイルスのロックダウン(都市封鎖)中は造船
所も閉鎖された。しかし、今は大盛況だ」と続けた。

 造船所所有者の組合を率いるマスード・フセイン・パラシュ(Masud Hossain Palash)
氏は、市場の需要を満たすため、作業員1万5000人が週7日稼働しなければならない時もあ
ると話す。

「1980年代、造船所ではまだ1階建てもしくは1.5階建ての木製フェリーしか製造できなか
った」とカシェムさんは振り返る。現在は、石油タンカーやばら積み貨物船も手掛けてい
る。

 造船産業は、繊維産業とともに好景気のなかで急成長を遂げた。同国は、世界2位の衣
料品輸出国となった。

 国内総生産(GDP)は昨年8.2%増加した。コロナ禍における経済的打撃は、他の開発途
上国と比べると軽度で済むとみられている。また、国際通貨基金(IMF)によると国民一
人当たりGDPは今年、隣国インドを上回る見通しだ。

 だが、問題もある。児童労働が絶えないことと、労働法が適切に施行されていない問題
だ。造船所で働く子どもたちが受け取る金銭的対価は、成人が受け取る額よりも著しく少
なく、また死傷リスクもあると活動家らは指摘している。

 

■手洗えないのに…難民キャンプのロヒンギャ、低い感染率
 https://www.asahi.com/articles/ASP154K3FP14UHBI022.html
 (朝日新聞社 2021年1月5日)

 ミャンマーでの迫害から逃れ、バングラデシュ南東部コックスバザールの難民キャンプ
で生活するイスラム教徒ロヒンギャの新型コロナウイルス感染者が、周辺の地元住民と比
べてかなり少ないことがわかった。世界保健機関(WHO)などが原因を究明するため、実
態の調査に乗り出している。

 キャンプには、竹や防水シートでつくった簡易な家がひしめきあう。約85万人のロヒン
ギャは、配給に頼る貴重な水を感染予防のための手洗いに十分に使えていない。キャンプ
内のロヒンギャからは、昨年5月に初の感染者を確認。爆発的な感染拡大が懸念され、WHO
はその後の3カ月でキャンプ内のロヒンギャの9割が感染する可能性もあるとみて、国連機
関やNGOが隔離施設の建設などを急いでいた。

 ところが、WHOによると、昨年12月13日時点で感染が判明したロヒンギャは363人で、検
査を受けた人に占める感染者の割合は1・8%。キャンプ外の地元住民が12%だったのに比べ
ると、少なかった。

 

■夢を売り、暴力と恐喝で支配 ロヒンギャ密航ビジネス
 https://www.afpbb.com/articles/-/3322433
 (AFP通信 2020年12月26日)

 バングラデシュにある世界最大の難民キャンプで、有刺鉄線が張り巡らされた検問所を
三輪タクシーがやすやすと通り抜けて行く。その運転手らは、海上の恐喝団や腐敗した警
察、麻薬密売組織の親玉などが関与する密航ネットワークの末端を担っている。

 三輪タクシーには、何人かの若い男女と子どもらの小グループが乗っていた。国籍を持
たないイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)の難民だ。彼らはバングラデシュの掘
っ立て小屋のキャンプに同胞と一緒に押し込められている惨めな暮らしから、脱出したい
と望んでいる。

 エナムル・ハサン(Enamul Hasan)さん(19)もその中の一人だった。今年初め、三輪
タクシーに乗って海岸に連れて行かれ、そこから小さな船でベンガル湾(Bay of Bengal
)に停泊していた大型漁船まで運ばれた。船にはマレーシア行きを望むロヒンギャ数百人
が乗っていた。

「学業を修めて、家族を貧困から救うために稼ぐチャンスがあると言われた」。ハサンさ
んにそう約束したのは、キャンプの中にいた密航組織の手先だ。そしてハサンさんは海上
で6週間、船の乗組員らに殴られるのを耐え、人が死ぬのを見た。

 今年、バングラデシュとインドネシアには、海上を何か月もさまよった何百人ものロヒ
ンギャ難民が漂着した。AFPでは密航ネットワークに対する徹底調査のため、ハサンさん
をはじめとする数十人のロヒンギャ難民や密航に関わった漁師、警察、役人、共同体の指
導者や援助活動家らを取材した。

 調査で明らかになったのは、高度化され進化し続ける数百万ドル(数億円)規模の密航
ビジネスの実態であり、そこで同じロヒンギャの共同体の一員が重要な役割を担っている
ことだ。

 さらにこうした密航ネットワークには、1000人を乗せることができるタイ船籍の複数の
漁船と衛星電話、小型補給船の小船団、そしてバングラデシュの難民キャンプをはじめと
する東南アジア各地の腐敗した役人らも不可欠となっている。

 インドネシアを拠点とする難民の権利擁護団体「Geutanyoe財団」の共同創設者イスカ
ンダル・デワンタラ(Iskandar Dewantara)氏は、「これは人道を隠れみのにした一大ビ
ジネスです」と訴える。


□新婦
 仏教徒が多数派を占めるミャンマーでは、イスラム教徒であるロヒンギャは市民として
認められず、何十年にもわたって迫害に耐えてきた。そうした中、陸海路での国外への密
航ルートは以前から存在していた。

 ロヒンギャが主に目指すのは、比較的裕福なイスラム教国マレーシアだ。現在、10万人
以上のロヒンギャが難民として登録され、マレーシア社会の底辺で生きているが、仕事を
することは許されていない。そのためロヒンギャの男性らは仕方なく違法の建設現場や低
賃金の職に就いている。

 国連(UN)調査団がジェノサイド(大量虐殺)に当たると報告した2017年のミャンマー
軍による弾圧で、ロヒンギャの国外脱出は加速し、75万人が国境を越えてバングラデシュ
南東部沿岸のコックスバザール(Cox's Bazar)に逃れた。

 現在、コックスバザールの広大な難民キャンプには100万人が暮らす。そこから外に出
る唯一の方法は危険な船の旅だ。

 権利擁護団体や女性の体験者らによると、密航の需要に拍車をかけているのは、マレー
シアにいるロヒンギャ男性だ。彼らは密航業者に金を支払って、自らの家族やあっせんで
結婚した新婦を呼び寄せようとする。

 マレーシア当局は頻繁(ひんぱん)に船を追い返している。さらに新型コロナウイルス
感染症(COVID-19)を恐れて、ますます難民の受け入れを拒否している。だがAFPの集計
によると、今年は3隻の船で500人近いロヒンギャがマレーシアに到着した。

 6月以降、インドネシア北部にも過去5年間で最多のロヒンギャ約400人が上陸している
。全員、目的地は隣国マレーシアだ。

 一方、洋上で暴力や飢え、脱水症状などで死亡したとみられるロヒンギャは数百人に上
るとみられる。バングラデシュに戻った船もある。

 インドネシアに到着した船に乗っていたロヒンギャの多くは女性だった。その一人、ジ
ャヌーさん(18)はインドネシア・アチェ(Aceh)州沿岸の町、ロクスマウェ(
Lhokseumawe)の仮設キャンプでAFPの取材に応じた。

 ジャヌーさんは家族の仲介によって、マレーシアにいるロヒンギャ男性の労働者と結婚
すると明かした。「キャンプで2年間待ちましたが、危険を冒したかいがありました」と
ジャヌーさん。何人も成し遂げた例があるように、自分もマレーシアへ行く方法を見つけ
られるかもしれないと語った。


□脱出

 バングラデシュの難民キャンプ脱出は、2000ドル(約20万円)相当の前金の支払いで始
まる。支払いはマレーシアにいる夫や親類が、携帯電話からネットバンキングのアプリを
使って行うことが多い。前金を払うと難民本人に電話がかかってくるが、通常は知らない
人物からだ。

 マレーシアにいるロヒンギャ男性と、ビデオチャットアプリを通じて結婚したジュレカ
・ベグム(Julekha Begum)さん(20)は、「数日後に電話がかかってきて、男性にキャ
ンプの中央食品市場にある三輪タクシー乗り場に行くよう指示されました」と語った。

 密航業者に雇われた三輪タクシーの運転手らは難民を連れて、有刺鉄線が張り巡らされ
たいくつかの検問所を通る。治安部隊は通常、賄賂を受け取り、通行を許す。

 AFP記者が海岸沿いに確認した数か所の出発地点までは、三輪タクシーで数時間かかる
。そうした港からは夜になると数千隻の漁船が漁に出る。

 ロヒンギャの人々は定員10人余りの小型船がいっぱいになるのを待ってから、はるか沖
合の大型船に連れて行かれる。時に1000人の収容が可能な2階建ての大型船のこともある
。ひとたびマレーシアに向かい始めると、小型船が定期的に食料や水を運んで来る。

 AFPが取材したロヒンギャの人々は、約4000キロ離れたマレーシアに到着するのは、1週
間後だと言われたと語った。だが実際には、首尾よくいっても数か月かかる。

 インドネシアに到着した難民らの話によると、船上では暴力や虐待があり、食料の配給
は飢えるほど少なく、船上の難民を人質にとって親類からさらに金を脅し取る行為もあっ
た。つまりは身代金を要求する脅迫で、親類が追加で支払った何人かは最終目的地に向か
う小さな船に移されたという。

 9月に上陸したアスモット・ウラー(Asmot Ullah)さん(21)は、密航業者らは「親類
が払わなかったり、それ以上払えなかったりすると、いつも船の上の難民を殴っていまし
た」と語った。

 モハンマド・ニザーム(Mohammad Nizam)さん(25)は金がないために、マレーシア行
きの小型船に乗せられはしなかったという。「彼ら(密航業者)は前もって合意していた
金額から、さらに多く要求してきました。けれど私の両親は払えなかったのです」とニザ
ームさん。「余分に払えば、マレーシアに(真っすぐ)行かせてもらえるのです」

 当局によると、定員1000人の船1隻で、密航業者は最大300万ドル(約3億円)を稼げる
という。


□偽「救助」

 インドネシアの漁師らは当初、6月に初めてロヒンギャ約100人が乗った船を救助したと
主張していた。

 だが彼らが主張する「救助」は、実際にはより厳格なマレーシアの入国管理を回避する
ための密航業者らによる組織的行動だったことが、当局や関与した密航業者によって明ら
かになっている。

 インドネシア当局によれば、密航業者はいったんインドネシアに入ってしまえば、狭い
海峡を横断してロヒンギャをマレーシアに上陸させられると思っている。

 だが大半の難民は、インドネシア当局がスマトラ島北部ロクスマウェで校舎だった建物
2棟に用意したキャンプに留め置かれる。


□同情心と欲

 バングラデシュの難民キャンプ内でロヒンギャを密航ネットワークへの関与に駆り立て
ているのは、同情心と絶望感、そして欲が混じり合った複雑な感情のようだ。このネット
ワークはまた薬物の違法取引ともつながっている。

 この地域は東南アジアで人気がある「ヤーバー」と呼ばれる安価なメタンフェタミンの
中心的な生産地として知られている。

 ムハンマドという名だけを明かした男性(25)はAFPに対し、バングラデシュの最も古
い難民居住区の一つで生まれ、ロヒンギャの犯罪組織のボスの下で14歳から働き始めたと
語った。

「彼の下で2年間働き、この難民キャンプの狂気から逃れて、マレーシアに行きたがって
いた少なくとも200人のロヒンギャを集めることができた」。そうした難民を見つけるこ
とで一月当たり550ドル(約5万6000円)を受け取っていたという。

 ムハンマドさんは、ボスがバングラデシュの治安部隊に射殺されてから何年間か違法行
為からは遠ざかっていたが、もう一度、この稼業に復帰する道を探っている。「ここで空
きが見つからなければ、自分自身の(外国の)つながりを使って始めるつもりだ」と、ム
ハンマドさんは稼ぎのもくろみについて語った。

 だがバングラデシュのコックスバザールで密航に関与する他のロヒンギャは、自分たち
は道徳的義務からやっていると語った。

 三輪タクシーで検問所を通り、小型船に乗せるまでを受け持っているモハンマド・タヘ
ル(Mohammad Taher)さん(34)は、「これは共同体の福祉活動であって、犯罪ではあり
ません」と語った。「この地獄から出たいと願う人がいれば、良識ある兄弟として、出口
を示してあげるのが自分の義務だと思っています」

 映像は6~10月に取材・撮影したもの。冒頭の船上の貴重映像はエナムル・ハサンさん
提供。

 

 

 

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番組の画像使用 (西岡孝輔)
2021-02-15 19:06:52
突然のご連絡申し訳ございません。
お世話になっております。
日本テレビで「ザ!鉄腕!DSH!!」を制作しております。
株式会社日企の西岡です。

2月21日の放送で、イナダは手頃な値段で買える魚であるという説明の際に、2010年08月29日に投稿されているイナダのお写真を借用させて頂きたく思っております。

お忙しい中恐縮ですが、メッセージご覧になられましたら、一度ご連絡を頂けますと幸いです。
納品が17日水曜日まではお待ちさせて頂きます。

--------------------------
株式会社 日企
西岡孝輔(にしおか こうすけ)

東京都港区虎ノ門2−4−1虎ノ門ピアザビル5F
TEL:03-3591-3811 FAX:03-3591-3822
携帯:090-7776-4099
メール:nishioka@nichiki.co.jp

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