弁当日記

ADACHIの行動記録です。 
青年海外協力隊で2006年4月からバングラデシュに2年間住んでました。

バングラデシュのニュース(2018/1/22) ◆ロヒンギャ難民について

2018年01月24日 | バングラデシュのニュース
◆イベント情報◆
〇あなたのはがきが、だれかのために。キャンペーン
 https://www.shaplaneer.org/sutenai/hagaki_cam/
〇ラカイン・ロヒンギャ問題の現状とミャンマーの今後 (1/24)
 http://pari.u-tokyo.ac.jp/events/201801/pari/event-8171/
〇新興国市場開拓補助事業「バングラデシュ・ビジネスにおける危機管理と
 安全対策 ‐現地駐在員からの実情報告と安全対策トレーニング‐」
 https://www.jetro.go.jp/events/ora/8c23991d5c68e730.html
〇バングラデシュ映画「テレビジョン Television」 2018/2/10
 国立民族学博物館 みんぱく映画会
 http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fs/movies1802
〇第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキメラ(正月祭) 4/15
 https://www.facebook.com/boishakhimelatokyo/
 http://japanbangladesh.com/jp/

■見出し(2018年1月22日) No2018-06
〇【ロヒンギャ難民危機】ホストコミュニティ支援 第1回現地調査を実施しました
〇ロヒンギャのミャンマー帰還開始が延期に、準備作業完了せず
〇ミャンマーの仏教系少数民族、衝突で死傷者。
〇ロヒンギャ難民、登録者数100万人突破 バングラ軍発表
〇ジフテリア、ロヒンギャ難民キャンプで猛威 世界的にはまれな疾患に
〇バングラでの医療支援 難民の苦境伝える
〇河野外相、26億円拠出を表明 ロヒンギャ帰還を支援
〇河野外相、ロヒンギャの村視察 外国閣僚で初
〇ロヒンギャ帰還2年で完了、ミャンマーとバングラデシュが合意
〇ラカイン・ロヒンギャ問題の現状とミャンマーの今後
〇外相、ミャンマーへ出発 UAE、カナダも訪問
〇ミャンマー治安部隊、ロヒンギャ10人の虐殺認める
〇ミャンマー政府が帰還ロヒンギャ難民の受け入れ施設を公開
 取材はミャンマー人記者らに制限
〇バングラデシュ:「学校へ行きたい・・・」 家を失ったロヒンギャ少年の希望
〇ミャンマーのイスラム教徒難民数百人、ミャンマーとバングラデシュの合意に抗議
〇ロヒンギャ人道危機を理解するために必要な視座
 倉橋功二郎 / 参加型プロジェクトマネジメント

■【ロヒンギャ難民危機】ホストコミュニティ支援 第1回現地調査を実施しました
http://www.icnet.co.jp/?news=%E3%80%90%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A3%E9%9B%A3%E6%B0%91%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%80%91%E3%83%9B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E6%94%AF%E6%8F%B4
 (IC NET 2018年1月19日)

深刻化するロヒンギャ難民危機をうけ、弊社では、2017年12月に現地調査を実施しま
した。

現在、バングラデシュには、ミャンマーから避難してきたロヒンギャの人々が100万
人近くにものぼると言われています。
ロヒンギャの人々の厳しい状況は、ニュースなどでも知られていますが、難民を受け
入れるバングラデシュのホストコミュニティの窮状については、あまり報道されるこ
とはありません。
弊社の調査では、多くの難民の流入により、生活のあらゆる面で大きな影響を受ける
ホストコミュニティの人々にも注目し、ロヒンギャ難民危機の現状を調査しました。

報告書は以下からダウンロードできます。
◆和文報告書:http://www.icnet.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/d096510e03a0701cb147c25fae5d084f.pdf
◆英文報告書:http://www.icnet.co.jp/wp-content/uploads/2018/01/Survey-for-Rohingya_Host-Community.pdf



■ロヒンギャのミャンマー帰還開始が延期に、準備作業完了せず
 http://www.afpbb.com/articles/-/3159511
 (AFP通信 2018年1月22日)

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)が隣国バングラデシュへの
避難を余儀なくされている問題で、23日に始まる予定だったロヒンギャの帰還が延期
されることが分かった。バングラデシュ側の当局者が22日、明らかにした。帰還途中
の一時収容施設の準備や帰還者名簿の承認といった、膨大な作業が残っているためだ
という。

 昨年8月、ミャンマー西部ラカイン(Rakhine)州でロヒンギャの武装組織が警察の
検問所を襲撃したことをきっかけに、ミャンマー軍がロヒンギャの掃討作戦を実施。
以後バングラデシュに避難したロヒンギャは約75万人に上っている。

 バングラデシュの難民救済・帰還支援機関のアブル・カラム・アザド(Abul
Kalam Azad)氏は、「あす(23日)からの送還に欠かせない準備が整っていない。多
くの準備がさらに必要だ」と述べたが、帰還開始がいつになるかは明言しなかった。

 アザド氏によると、一時収容施設の建設や、ミャンマー側の照合作業に必要な帰還
者名簿の作成など、帰還開始前に「徹底した作業」が求められるという。

 ロヒンギャをミャンマー側へ引き渡す前の収容先となる移送地としては、両国の国
境付近の2か所が選定されているものの、「未完の状態で、これらの人々を突然送り
返すわけにはいかない。作業は現在も続いている」とアザド氏は強調した。

 ロヒンギャの帰還完了には、2年かかる見通し。



■ミャンマーの仏教系少数民族、衝突で死傷者。
 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO25802440X10C18A1FF1000/
 (日本経済新聞 2018年1月18日)

 ミャンマー西部ラカイン州の古都ミャウーで16日、地元仏教徒のラカイン族の住
民と警察隊が衝突し、警察の発砲を受けた住民9人が死亡、12人が重傷を負った。
住民らは、ビルマ族王朝の侵攻で18世紀に滅亡したラカイン族の王国「アラカン王
朝」を追悼する行事に参加していた。警察側は当局の開催許可がないとして解散を求
めたが、反発した住民1000人超が政府施設を取り囲み、衝突に発展した。
 ラカイン族はミャンマーの少数民族だが、ラカイン州内では多数派だ。中央政府は、
同州北部から隣国バングラデシュに逃れたイスラム系少数民族ロヒンギャの難民帰還
の準備を進めるが、地元住民は「土地を奪われる」として反発が根強い。今後さらに
民族意識が強まる恐れもある。
 州政府は2014年以降、追悼行事の開催を認めていたが、今回はロヒンギャ問題
で情勢が不安定だとして認めなかった。



■ロヒンギャ難民、登録者数100万人突破 バングラ軍発表
 http://www.afpbb.com/articles/-/3158918?cx_position=9
 (AFP通信 2018年1月17日)

ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)が隣国バングラデシュへの
避難を余儀なくされている問題で、バングラデシュ軍は17日、ミャンマーとの国境近
くの難民キャンプに暮らすロヒンギャの登録者数が100万人を突破したと発表した。
両国はロヒンギャの帰還に向けて作業を進めているが、ロヒンギャ難民の数が当初推
定されていた96万人より多かったことが明らかとなった。

 バングラデシュ軍は昨年、ミャンマー軍の掃討作戦から逃れるために大量のロヒン
ギャが流入してきたことを受け、生体認証を用いたロヒンギャ難民の登録作業を開始。
登録は帰還作業の一環とされているが、一方でロヒンギャの多くは帰還を望んでいな
い現状もある。

 登録作業を率いるバングラデシュ軍のサイドゥル・ラーマン(Saidur Rahman)准
将は「これまでに100万4742人のロヒンギャを登録した。登録者には生体認証カード
が与えられている」と述べ、さらに未登録のロヒンギャも数千人いると明らかにした。

 国連(UN)は当初、バングラデシュ南東部に暮らすロヒンギャの数を96万2000人と
推定していたが、軍による登録者数はこれを上回った。

 昨年8月25日、ミャンマー西部ラカイン(Rakhine)州でロヒンギャの武装組織が警
察の検問所を襲撃したことで、ミャンマー軍は報復としてロヒンギャの掃討作戦を実
施。以降、およそ65万5000人のロヒンギャがバングラデシュに避難している。国連の
推計にもこの数字は含まれている。

 ロヒンギャ難民には何年にもわたってバングラデシュで暮らしている者もいるが、
両国の帰還合意の対象は2016年10月以降にバングラデシュに入国したロヒンギャのみ
だという。



■ジフテリア、ロヒンギャ難民キャンプで猛威 世界的にはまれな疾患に
 http://www.afpbb.com/articles/-/3159209
 (AFP通信 2018年1月22日)

昨年、隣国ミャンマー軍の流血の弾圧を逃れたロヒンギャ難民65万人以上が国境を超
えて流れ込んだ影響により、バングラデシュの難民キャンプで同国ではそれまでほぼ
根絶状態にあったジフテリアが瞬く間に広がった。キャンプに設けられた簡易診療所
では、マスク越しに苦しい表情を見せながら呼吸する幼い子どもたちが治療を受けて
いた。

 世界保健機関(WHO)の報告によると、発生件数は3600件以上となっている。すで
に子どもを中心とする少なくとも30人以上が犠牲となり、キャンプ付近に住むバング
ラデシュ人の中でも感染者が現われ始めているという。

 国際医療支援団体「国境なき医師団(MSF)」が運営するジフテリア専門班の看護
師長、カルラ・プラー(Carla Pla)さんによると、キャンプに到着する子どもたち
の症状は深刻だという。

 12月にこの診療所を開設してから600人近くが診察を受けており、まん延する栄養
失調や水媒介性の疾病など、キャンプ内の他の病気とも闘っている医師らにさらに大
きなプレッシャーを与えている。AFPの取材班が訪れたときにいた患者の大半は幼い
子どもで、呼吸をするのも苦しそうだった。

 バングラデシュ当局は他の疾病対策については準備を進め、公衆衛生の大災害を防
ぐために新たに到着する難民には即座にコレラやはしかの予防注射を行っていた。だ
が、ジフテリアの流行は予期していなかった。

 ジフテリアは呼吸困難や心不全を引き起こし、治療しなければまひや死にも至る。
12月になってバングラデシュ当局は大規模なワクチン接種を開始。これまでに15歳以
下の子ども32万近くが接種を終え、今月中にさらに16万人の子どもが接種を受ける。

 ジフテリアは世界ではワクチン接種率が高く、まれな病気となりつつある。しかし、
ロヒンギャ難民の出身地であるミャンマーのラカイン(Rakhine)州は貧しい上、イ
スラム教徒のロヒンギャに対しては政府が課したさまざまな制約があり、子どもたち
の多くはワクチン接種を受けていない。

 プラーさんによると、実際のジフテリア患者を初めて診察する医師も多く、「教科
書の中にしか存在していなかった病気」の治療を行うことは困難を伴うという。また
現在、診療所には400床のベッドが用意されているが、医師が不足しているため国外
から医療スタッフを招く必要があることが指摘されている。



■バングラでの医療支援 難民の苦境伝える
 http://www.yomiuri.co.jp/local/tokyo23/news/20180118-OYTNT50061.html
 (読売新聞 2018年01月18日)

昨年11月からバングラデシュで難民の医療支援に当たっていた武蔵野赤十字病院
(武蔵野市)の中司峰生医師(42)が17日、同病院で帰国報告会を開いた。同国
を巡っては、隣国ミャンマーのイスラム系住民「ロヒンギャ」が難民として逃れてい
る。中司医師は「人々は低栄養や感染症に苦しみ、劣悪な環境で暮らしていた」と語
った。

 昨年11月24日に日本をたった中司医師は今月11日までの派遣期間、現地で医
療支援に当たった。中司医師によると、バングラデシュ南東部コックスバザールの難
民キャンプで、難民たちは竹を組み、防水シートをかぶせたテントで生活。一つのテ
ントに30人ほどがひしめき、雨が降ると土砂がテントの中に流れ込むこともあった。

 食事は1日1食程度。トイレの数も足りない劣悪な環境の中、はだしで生活する難
民たちは下痢や皮膚疾患、呼吸器感染症の症状に悩まされていた。中司医師は「難民
キャンプ特有の疾病が多い一方、異常所見がないのに痛みを訴える人も多かった。生
活を追われた人の苦しさは計り知れず、緊張感を持って診察に当たった」と話した。

 ジフテリア感染も広がる中、現地の診療所で1日100人~150人を診察し、手
が回らないこともあったという。中司医師は「この経験を生かし、今後も臨床医とし
て働きつつ、赤十字の仕事を手伝っていきたい」と語った。



■河野外相、26億円拠出を表明 ロヒンギャ帰還を支援
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25621760S8A110C1EA3000/
 (日本経済新聞 2018年1月12日)

河野太郎外相は12日、ミャンマーの首都ネピドーでアウン・サン・スー・チー国家顧
問兼外相に会い、イスラム系少数民族ロヒンギャの難民問題などを協議した。両氏は
多数派仏教徒などとの民族融和が重要との考えで一致。河野氏は難民の帰還を支援す
るため日本政府が新たに総額2300万ドル(約26億円)を拠出すると表明した。

 昨年8月のロヒンギャ系過激派組織による治安部隊襲撃以降、掃討作戦を逃れ西部
ラカイン州などから隣国バングラデシュに出たロヒンギャは65万人に達したとされる。

 河野氏は会談で、国連や人道支援組織、メディアのラカイン州への受け入れ拡大や、
難民の安全で自発的な帰還と再定住の実現をスー・チー氏に要請。アナン元国連事務
総長が率いた諮問委員会がまとめた、ロヒンギャ問題解決のための勧告の履行も求め
た。

 スー・チー氏は「バングラデシュとの同意に基づき難民の帰還を進める」と改めて
表明。アナン勧告の実施にも取り組む意向を示した。会談後の共同会見では「ラカイ
ン州のすべてのコミュニティーの融和と信頼構築が重要」と話し、日本の支援への謝
辞を述べた。

 日本政府の新たな支援2300万ドルのうち300万ドルは12日に閣議で決まった。2017
年度補正予算案に別途2千万ドルを盛り込んでいる。国会で承認されれば日本のロヒ
ンギャ関連支援は累計で5760万ドルになる。

 河野外相は続けてミン・アウン・フライン国軍最高司令官とも会談した。国軍は10
日、ラカイン州の村で昨年9月に治安部隊によるロヒンギャ殺害があったことを初め
て認めたばかり。司令官は遺憾の意を示し、「一部の者が軍の統制から外れた行為を
した。処罰する」と発言したという。

 ミャンマーの憲法上、治安対策などは国軍の専権事項で、スー・チー氏には指揮権
がない。スー・チー氏は河野外相との共同会見で国軍が殺害を認めたことに触れ、
「国軍は(関係者を)処罰するとしている。法の支配のうえで一歩前進だ」と発言し
ていた。



■河野外相、ロヒンギャの村視察 外国閣僚で初
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25662460T10C18A1EA3000/
 (日本経済新聞 2018年1月13日)

 ミャンマーを訪問中の河野太郎外相は13日、イスラム系少数民族ロヒンギャの難民
問題の起点となった西部ラカイン州を訪れた。民族対立で焼失した集落やバングラデ
シュ国境を視察した。昨年の民族対立の激化後、外国閣僚がラカイン州入りしたのは
初めて。

 ロヒンギャ約1千人が暮らしていたパンドーピン村では村長らに会い、村の一部地
区が焼失した経緯や再建状況を聞き取った。河野氏は「宗教が異なるコミュニティー
が融和して暮らせる状況をつくれるように(ミャンマー政府を)支援していきたい」
と話した。

 視察はミャンマー政府と国軍の協力で実現した。昨年8月のロヒンギャ系過激派組
織による治安部隊襲撃後、多数派仏教徒とロヒンギャの対立が激化。ラカイン州から
バングラデシュにロヒンギャが大量流出し、大きな国際問題となっている。

 バングラデシュ国境のタウンピョーレッウェでは、近く始まる見通しのロヒンギャ
難民の帰還経路を視察。厳重な警備下にある国境の小さな橋を訪れ、難民の受け入れ
手順などを確認した。現地では23日にも帰還の受け入れが始まると伝わっている。

 13日にはミャンマーの主要国営メディアに河野氏のインタビューが大きく掲載され
た。その中で同氏は「ミャンマー政府が人権に配慮しつつ地域の治安を回復すること
が重要だ」と指摘し、過激派対策を口実に一般住民の人権が侵されることがないよう
要請した。



■ロヒンギャ帰還2年で完了、ミャンマーとバングラデシュが合意
 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3265966.html
 (TBSNews 2018年1月16日)

 バングラデシュで難民化しているイスラム教徒の少数民族ロヒンギャのミャンマー
帰還について、両国政府は16日、2年で完了することで合意しました。

 ミャンマー西部のラカイン州でロヒンギャの武装集団と治安当局の衝突が起きた去
年8月以降、60万人以上のロヒンギャが隣国のバングラデシュに逃れ難民化してい
ます。ミャンマーとバングラデシュの両国政府は去年11月、「1月23日までの帰
還開始」で合意していて、15日から作業グループによる会合を開き、協議していま
した。ミャンマー政府関係者によりますと、帰還を2年で完了することで16日合意
したということです。

 また、バングラデシュ側は帰還のための一時キャンプを5か所建設し、ミャンマー
側2か所には、帰還手続を行う受け入れセンターを設置するということです。ミャン
マー側はさらに一時収容施設を設置し、帰還や再定住を迅速に進めるとしています。
ただ、ロヒンギャの武装集団が戦闘継続を宣言していることや、生活環境の整備も不
十分なことから、帰還がスムーズに進むかは不透明です。



■ラカイン・ロヒンギャ問題の現状とミャンマーの今後
 http://pari.u-tokyo.ac.jp/events/201801/pari/event-8171/
 (東京大学政策ビジョン研究センター 2018年1月24日)

お申込みフォーム:
https://park-ssl.itc.u-tokyo.ac.jp/pari/app/passy4.cgi?eventid=ev180124

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【日時】1月24日(水)14:00‐16:00(受付開始13:30)
【会場】東京大学 伊藤国際学術研究センター3階 中教室
    地図 http://www.u-tokyo.ac.jp/ext01/iirc/access.html
【主催】東京大学政策ビジョン研究センター(PARI)
【共催】東京大学公共政策大学院
    「社会構想マネジメントを先導するグローバルリーダー
     養成プログラム(GSDM)」
【備考】参加費無料(事前登録制)※定員に達し次第、受付を終了いたします。
【言語】英語(通訳なし)

このたび、ラカイン・ロヒンギャ問題を長年研究してこられたDavid Dapice博士
(Harvard Kennedy School Vietnam and Myanmar Program チーフエコノミスト
、Tufts大学名誉教授)をお招きし、「ラカイン・ロヒンギャ問題の現状と今後
の見通し」について講演いただくこととなりました。
講演後、ミャンマーの経済がご専門の工藤教授(政策研究大学院大学)と
東南アジア政治がご専門の相沢准教授(九州大学)からコメントをいただき、
広範な議論を展開できればと考えております。

【プログラム】
13:30-14:00 開場 受付開始
14:00-14:05 趣旨説明 芳川恒志
 (東京大学公共政策大学院、政策ビジョン研究センター 特任教授)
14:05-15:00 講演 David Dapice
 (Chief Economist, Vietnam and Myanmar Program, Center for
  Business and Government, John. F. Kennedy School of Government,
  Harvard University, Professor Emeritus, Tufts University)
15:00-15:15 コメント 工藤年博(政策研究大学院大学 教授)
15:15-15:30 コメント 相沢伸広(九州大学地球社会統合科学府 准教授)
15:30-16:00 質疑応答

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東京大学伊藤国際学術研究センター会議
政策ビジョン研究センター10周年記念国際会議
サステナビリティと国際関係- 持続可能な開発の実現に向けて-

イベント詳細:
http://pari.u-tokyo.ac.jp/events/201802/pari/event-7932/

お申込みフォーム:
https://park-ssl.itc.u-tokyo.ac.jp/pari/app/passy4.cgi?eventid=ev180214

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■外相、ミャンマーへ出発 UAE、カナダも訪問
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2557000011012018PP8000/
 (日本経済新聞 2018年1月11日)

 河野太郎外相は11日、ミャンマー、アラブ首長国連邦(UAE)、カナダの3カ国
を歴訪するため民間機で成田空港を出発した。ミャンマーでは12日にアウン・サン・
スー・チー国家顧問兼外相と会談。カナダ・バンクーバーで16日に開催される北朝鮮
核問題に関する外相会合に出席する予定だ。

 スー・チー氏との会談では、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャの迫害問題につい
て懸念を伝える。隣国バングラデシュに逃れたロヒンギャ難民の帰還に向けた支援も
表明する考えだ。

 14日にはUAEで国際再生可能エネルギー機関(IRENA)総会に出席し、再生
可能エネルギーに関する外交政策について演説。18日に帰国する。



■ミャンマー治安部隊、ロヒンギャ10人の虐殺認める
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25540180R10C18A1000000/
 (日本経済新聞 2018年1月11日)

ミャンマー国軍司令部は10日、同国の治安部隊がイスラム系少数民族ロヒンギャの住
民10人を拘束後、虐殺していたことが判明したと明らかにした。治安部隊を束ねる国
軍が、自ら迫害行為を認めたのは初めて。欧米や国連は治安部隊によるロヒンギャ迫
害を指摘しており、ミャンマーに対する国際的な圧力が強まるのは必至だ。

 国軍司令部が10日、フェイスブック上に投稿した声明で明らかにした。2017年12月、
ロヒンギャの武装集団と治安部隊が衝突した西部ラカイン州の村で10人の身元不明の
遺体が見つかったことを受け、国軍が調査を開始。国境警備隊の構成員4人が殺害に
関わっていたことが分かった。

 声明によると、10人が殺害されたのは17年9月初旬。8月下旬に治安施設を襲撃し
たロヒンギャ系武装集団に対し、治安部隊が掃討作戦を展開していた時期にあたる。
国軍司令部は虐殺に関与した者を「交戦規定を定めた法に基づいて訴追する」として
いる。

 虐殺が起きたのはロヒンギャと地元仏教徒の村が混在する地域。ある村で仏教徒の
住民が殺害される事件が発生し、9月1日に治安部隊が介入した。その際に拘束した
10人が武装集団との関係を認めた。翌日、墓地に穴を掘り、10人に入るよう命じた上
で射殺した。

 規則では最寄りの警察施設に連行することになっていたが、移動手段である船が破
壊されていたため、現場の部隊が殺害を決断したという。

 国軍は11月中旬、迫害疑惑に関する内部調査の結果を公表し「治安部隊が無実の住
民を殺害したり、性的暴行を加えたりしたことは一切ない」としていた。

 今回の発表には、仮に違法行為があったとしても、あくまで国軍司令部による組織
的な指示ではないことを示す狙いがありそうだ。欧米や国連は、治安部隊が組織的に
ロヒンギャ住民を迫害しているとし、掃討作戦が「民族浄化」にあたると非難してい
る。

 国連の推計によると、治安部隊の掃討作戦を受けて隣国バングラデシュに逃れた難
民は65万人以上に達する。11月に締結したミャンマーとバングラの二国間合意では、
18年1月下旬から難民帰還を開始するとしている。



■ミャンマー政府が帰還ロヒンギャ難民の受け入れ施設を公開
 取材はミャンマー人記者らに制限
 http://www.sankei.com/world/news/180109/wor1801090059-n1.html
 (産経ニュース 2018年1月9日)

ミャンマー西部ラカイン州の当局はこのほど、隣国バングラデシュに逃れたイスラム
教徒少数民族ロヒンギャの帰還受け入れ施設を一部メディアに公開した。多くの難民
を出した同州北部の国境近くの施設のほとんどがまだ建設中か未着工だが、同州幹部
は「今月23日を予定する帰還開始までに一定の準備を間に合わせる」としている。

 取材はミャンマー人記者らに制限され、産経新聞の通信員を含む約30人が、7~
8日に現地入りした。

 帰還者を一時収容するキャンプは、同州北部の中心都市マウンドー郊外の国境近く
の2カ所に建設中。取材が許可された規模の小さいキャンプでは、身元確認などのた
め1~2週間宿泊できる住居が十数棟完成していたが、大型施設などはまだ骨組みだ
けだった。

 キャンプ近くには焼失したロヒンギャの村が点在し、帰還者用住居の建設予定地は
整地も始まっていない。



■バングラデシュ:「学校へ行きたい・・・」 家を失ったロヒンギャ少年の希望
 http://www.msf.or.jp/news/detail/video_3655.html
 (国境なき医師団 2018年01月19日)

「皆、追いかけられて殺された」。2017年8月にミャンマー西部ラカイン州で起きた
殺りくで、11歳の少年は家を失い、長い道のりを経て、バングラデシュへ逃れました。
痛む足、手も動かず食べ物もない……今、幼い彼が望んでいるのは学校へ行くこと。
希望 をしっかり、持ち続けています。

事件から半年。バングラデシュでは64万人以上のロヒンギャが避難しています。国境
なき医師団(MSF)は南東部コックスバザール県で、心も身体も傷ついた人びとの診
療を続けています。



■ミャンマーのイスラム教徒難民数百人、ミャンマーとバングラデシュの合意に抗議
 http://parstoday.com/ja/news/world-i39009
 (ParsToday 2018年01月19日)

バングラデシュにいるミャンマーのロヒンギャ族の難民数百人が、ミャンマーへの帰
還に関するバングラデシュ政府の状況を無視した計画に抗議し、デモを行いました。
IRIB通信によりますと、ロヒンギャ族の難民は、19日金曜、スローガンを叫び、
横断幕を掲げ、ミャンマー・ラカイン州に戻る前に、安全が保障され、ミャンマーの
市民権が与えられるよう求めました。
この抗議は、国連のヤン・リー・ミャンマー問題担当特別報告者がバングラデシュを
訪問し、この国の南東部のロヒンギャ族の難民キャンプを視察するのを前に行われて
います。
バングラデシュとミャンマーは、昨年11月25日、ロヒンギャ族の難民のラカイン州へ
の帰還に関して合意しましたが、ロヒンギャ族のイスラム教徒の多くは、ミャンマー
に帰るつもりがないことを明らかにしています。
国連も、ロヒンギャ族の帰国は自発的に行われるべきだと発表しています。



■ロヒンギャ人道危機を理解するために必要な視座
 倉橋功二郎 / 参加型プロジェクトマネジメント
 https://synodos.jp/international/20968
 (シノドス 2018年01月19日)

はじめに
2017年12月に国境なき医師団が発表した推定値によると、最低でも6,700人のロヒン
ギャの人々が、ミャンマー・ラカイン州北部において2017年8月25日以降に殺害され
ている(注1)。この数値はミャンマーを逃れ、国境を超え、バングラデシュまでた
どり着いた人々の証言をもとに算出したものであるため、国境を越えずに亡くなった
人たちも考慮した場合、実際の数値はさらに増加するだろう。

(注1)Médecins Sans Frontières. “Myanmar / Bangladesh: MSF surveys
estimate that at least 6,700 Rohingya were killed during the attacks in
Myanmar.” December 12, 2017
http://www.msf.org/en/article/myanmarbangladesh-msf-surveys-estimate-least-6
700-rohingya-were-killed-during-attacks

同年11月には、国際人権NGOであるヒューマンライツウォッチにより、ラカイン州北
部において、ミャンマー国軍および治安部隊によるロヒンギャの女性を対象とした大
規模な性的暴行を告発する報告書も発表されている。この報告書はバングラデシュに
逃れてきた52人のロヒンギャ女性へのインタビューをもとに作成しており、彼女らが
経験、目撃してきた集団レイプ、殺人、暴行などの非常にむごたらしい現実が記され
ている(注2)。

(注2)Human Rights Watch. “All of My Body Was Pain” – Sexual Violence
against Rohingya Women and Girls in Burma (2017)

2017年8月25日に発生した「アラカン・ロヒンギャ救世軍」を名乗るロヒンギャ武装
勢力によるミャンマー警察や軍施設への襲撃は、ミャンマー国軍による容赦ない掃討
作戦を引き起こし、60万人以上のロヒンギャが隣国のバングラデシュへ避難すること
となった。同年9月にはゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官は「民
族浄化の例として教科書に出てくるようなケース」として、この悲劇的な状況を形容
したわけだが、今世紀最大の人道危機とも言われるロヒンギャの不幸は未だに解決の
目処が立っていない。
多くの人道危機と同様に、 ロヒンギャの苦難を理解するためには、長い時間をかけ
て複雑に捻れ絡まりあった様々な背景を注意深く読み解いていく必要がある。本論考
においては、現在もなお進行するロヒンギャ危機に対して少しでも理解が高まるよう、
ロヒンギャ危機の主な舞台であるラカイン州およびミャンマー国内の背景を解説した
い。

ラカイン州で続く複数のクライシス
ミャンマー南西部に位置するラカイン州は、西をベンガル湾、東をラカイン山脈に挟
まれており、北部はバングラデシュと国境を接している。2014年の国勢調査によると
約320万人が州内には居住しており、その内100万人強がロヒンギャと自らを名乗るイ
スラム教徒の民族である。
ラカイン州はミャンマー国内でももっとも貧しい州の一つとして知られており、ラカ
イン州と同様に地理的に孤立している隣のチン州と歴史的に貧しさを競ってきた。
2014年のUNDPの分析によると、ラカイン州内における貧困率は78%と、ミャンマーの
平均貧困率38%に対して非常に高くなっている。

このラカイン州が世界的な注目を集めるのは、つねに危機的状況が州内に発生した時
である。
2012年の6月および10月には、ラカイン州内に住むマジョリティ民族であるラカイン
人とロヒンギャとの間に大規模な暴動が発生した。5月末に発生したムスリム男性に
よる仏教徒女性のレイプおよび殺害が引き金となり、暴動はラカイン州内各地に広が
り、200人以上の死傷者が発生し、1万軒以上の主にロヒンギャの住んでいた家屋が破
壊された。
ミャンマー政府によって非常事態宣言が出され、最終的には14万人以上の人々が避難
生活を余儀なくされた。国内避難民となった人々の大半はロヒンギャであり、治安の
悪化を恐れた政府により、多くの避難民は国内避難民キャンプに隔離された。現在で
も12万人以上のロヒンギャは、ミャンマー中部に集まる国内避難民キャンプでの生活
を強いられている。
2012年の暴動が人道危機として世界に知れ渡るようになると、人道支援の資金が貧し
いラカイン州内に流れ込むこととなった。前述の通り、ラカイン州はミャンマー国内
においても非常に貧しい州だが、長く続いた軍事政権のもと、多くのドナー国はミャ
ンマーの経済開発を支援するための資金拠出を止めていた。
そのような背景もあり、急速に避難民キャンプに流れ込む、ロヒンギャのみを主なタ
ーゲットとした国際コミュニティからの援助に、ラカイン人はフラストレーションを
募らせてゆき、2014年3月にはラカイン州内で活動する国連や国際NGOの事務所への襲
撃が発生した。幸いなことに被害を被った人の数は少なかったが、約300人の援助関
係者が緊急避難することとなり、避難民キャンプへの支援も一時的に中断された。

2015年にはベンガル湾/アンダマン海を漂流し続けるバングラデシュ人およびロヒン
ギャの人々が、東南アジアの移民危機として世界に報道されるようになる。苛烈な迫
害や非人道的な扱いを逃れて、ラカイン州あるいはバングラデシュ南部からタイやマ
レーシアへ向かうロヒンギャの移動については、過去にも報告がなされていたが(注
3)、2012年の人道危機以降、その数は急激に増加していた。

(注3)Lewa, Chris. “Asia’ s New Boat People Myanmar’ s Forgotten People.
” Forced Migration Review 30 (2008). 40-42

UNHCRの報告によると、2012年より2015年の間に同地域より海上ルートでの移動を試
みた人の数は17万人に達するとされている(注4)。多くは非合法な業者の手に頼ら
ざるをえず、小さなボートに無理やり詰め込められて目的地に向かうわけだが、2015
年に多くのボートの経由地であったタイでの取り締まりが厳しくなると、業者が連れ
てきた人々を海上に置き去りにしてしまうという事態が発生した。

(注4)UNHCR Regional Office for South-East Asia. Mixed Maritime Movements
in South-East Asia 2015 (2016)

同レポートによると2015年の前半には約3万人がこのルートを使い、同地域からの脱
出を試みたとされるが、この時期には5,000人が海上に取り残され、370人が死亡した
ことが報告されている。
2012年の暴動が発生してから4年が経過しようとしていた2016年は、危機的状況が頻
繁に発生していた過去数年間に比べて、8月に大規模な洪水がラカイン州内を襲った
ことを除き、状況は落ちついているように見られた。とはいえラカイン州内のロヒン
ギャを取り巻く環境に変化はなく、キャンプ内外において貧困は相変わらず蔓延して
おり、ラカイン人とロヒンギャの関係にも改善は見られなかった。
8月にはコフィ・アナン前国連事務総長を委員長とする諮問委員会が設立され、同年4
月に発足したミャンマー新政権のもと、ラカイン州が直面する問題に対して政府主導
で対処していく体制が整いつつあるかのように思えた。しかし、そのような楽観的な
観測に反して、10月9日にラカイン北部・マウンドーで発生した襲撃事件は、ロヒン
ギャをめぐる暴力の問題に新たな局面が加わることを示すものとなった。
2016年10月9日にマウンドー・タウンシップで発生した新たな「人道危機」は、9日未
明に武装したロヒンギャのグループ数百名が、マウンドーの国境警備隊の事務所3箇
所を襲撃したことにより始まった。ミャンマー政府の発表によると、襲撃の際には警
備隊9人が殺害され、武装したロヒンギャグループの8人が死亡し、2人が拘留された
とされている。
襲撃後直ちに現場へのアクセスは封鎖され、ミャンマー国軍による掃討作戦が開始さ
れた。これと共にラカイン州北部への人道支援団体のアクセスも閉ざされ、掃討作戦
という名の下に何が行われているのか不明な状況が続くこととなる。ミャンマー国軍
による主にロヒンギャを対象とした人権侵害が懸念され、ヒューマンライツウォッチ
は衛星画像を分析した上で多くの建造物が破壊していることを指摘し、ミャンマー政
府に対して正当な調査の開始を求めた。最終的には9万人が避難せざるを得ない状況
に追いやられた。
そして2017年8月25日には武装したロヒンギャグループによる再襲撃がラカイン州北
部で発生し、現在も危機的な状況が続いている。

ロヒンギャとは誰か
危機的状況がラカイン州内に発生するたびに、ロヒンギャはミャンマー国内のみなら
ず世界的なメディアに取り上げられることになる。その際に必ず問われることは、
「ロヒンギャとは誰か」という問いである。
国際社会で語られる典型的なロヒンギャの説明は以下のようなものである。
ロヒンギャとはミャンマー北西部ラカイン州に住むイスラム系の民族であり、2017年
8月に大量の難民が発生する以前は、ラカイン州内には100万人ほどの人口が居住する
とされてきた。ミャンマー政府によってロヒンギャは正規の国民として認められてい
ない。また、ミャンマー国内ではバングラデシュより非合法に流入してきたベンガル
人として捉えられており、長い間、迫害を受けてきた、国籍を持たない民族としては
世界最大の民族である。
本論考の目的はロヒンギャの民族としての正統性を歴史的に検討することではないた
め、ロヒンギャの土着民族としての正統性を詳細に検証することは行わないが、以下
ではロヒンギャ問題を考えるにあたり非常に重要となる2つの視座を示しておきたい。
まず重要なのは、国民としての正統性の有無を理由に、特定の集団に対して暴力を行
使することはいかなる状況であれ許されることではない、という当然の事実である。
1948年にイギリス統治下より独立して以来、ミャンマーは近代国民国家を建設するた
めの苦難の道を歩んできた。その間に「135の民族が、ミャンマー国内を出身とする
土着の民族である」という認識が生まれ、国民の間に普及することとなったのである
が、ロヒンギャがそういった国民の物語に主要な登場人物として組み込まれることは
なかった。
ロヒンギャへの迫害としてこれまでに報告されているものは、レイプ、性的暴力、集
団虐殺、家屋の破壊といった原始的な暴力を伴うものから、移動や信仰の自由、教育
の機会および医療サービスの制限など多岐に渡る。これらすべては基本的人権を構成
する要素であり、国籍の有無、あるいは正統な国民としての認識を得られていないこ
とを理由になおざりにされることは許されない。
また2点目として、ロヒンギャはミャンマーの歴史上、一貫して無国籍者の集団とし
て取り扱われてきたわけではなく、事後的に国籍を奪われた民族である、という点も
決して軽視されるべきではない。
現在ミャンマーと呼ばれる地域において、国籍ないしはシティズンシップが制度化さ
れたのは比較的最近のことである。1948年に独立して以降も、1951年以前はこの領土
内に住まう人々は正式に国民として登録されていたわけでは無く、多くは身分証を所
持していなかった。1952年以降、12歳以上にはNational Registration Card (NRC)
が発行され、ロヒンギャの一部にもこの身分証は発行されたのであるが、ミャンマー
国内の他の少数民族地域同様に、すべての人々がそのカードを得たわけではなかった。
1982年に新しいシティズンシップ法が制定された後、この新しい法律の求める要件を
満たすものに対してNRCの代わりにCitizenship Scrutiny Card (CSC)が1989年に発
行された。しかしながら、ロヒンギャに対してはNRCを返還した後もCSCが発行される
ことはなく、ロヒンギャは恣意的に法的な身分を証明する書類を取り上げられること
となり、当然のごとく、この処置によりロヒンギャは新たに無国籍となった。
その後、1995年には、ロヒンギャに対してTemporary Registration Certificate
(TRC)という証明書が発行されるようになるが、これはあくまでの法的な身分が確
定されるまでの一時的な書類と見なされており、1982年のシティズンシップ法が規定
する3種類のシティズンシップのいずれかを保証する証明書ではなかった。2015年に
なると身分を証明する唯一の書類であったTRCまでもが失効することとなり、現在も
不安定な身分が続いている。【

ロヒンギャの苦難
現在、ラカイン州北部および避難先のバングラデシュにおいてロヒンギャを襲い続け
る危機的な状況は、近年、突如として、発生したわけではない。シティズンシップを
めぐるミャンマー(ビルマ)政府のロヒンギャへの差別的な対応の歴史に関してはす
でに概略を述べたが、ロヒンギャないし現在のラカイン州に居住していたイスラム教
徒たちの苦難はビルマ独立以前から歴史的に長く続くものである。
1826年に現在のラカイン州に当たる地域が英国領インドの属領となると、ベンガルか
らさらに多くのイスラム教徒がこの地域に流入してきていた。帝国主義の煽りを受け、
第2次世界大戦中の1942年には、英国の支持を受けたラカイン人と日本の支援を受け
たイスラム教徒が激しく対立することとなり、このことは両者の関係に歴史的な大き
な傷を残すこととなる。
ビルマ連邦がイギリスより独立した後も、決して両コミュニティの関係は改善されず、
1970年代半ばに不法移民の一掃を狙うナガミン(ドラゴン王)作戦と呼ばれる軍事作
戦がビルマ全土で開始されると、ラカイン州内でも暴力的な排斥運動が展開され、20
万人を超えるイスラム教徒がバングラデシュへ逃れることとなった。
同様に1990年代に入り、ラカイン州北部に大量の国軍が配置されると、その圧政に耐
えられず25万人のイスラム教徒がふたたび難民と化した。そして前述の通り、2012年
には コミュニティ間の暴動が発生し、12万人を超える人々が避難し、隔離される状
況が起こり、2017年には60万人のロヒンギャがバングラデシュへ避難し難民化すると
いう大惨事が発生するに至る。
現在も続く、ミャンマー国軍がラカイン州北部にて展開している軍事作戦に関しては、
国際コミュニティの該当地域へのアクセスが著しく制限されていることもあり、その
詳細を知ることが非常に難しくなっている。
しかしながら、冒頭にも述べた通り、国境なき医師団やヒューマンライツウォッチと
いったNGOがバングラデシュに逃れた人々に行った聞き取り調査をベースにしたレポ
ートは、ミャンマー国軍の手により非常な人権侵害が行われていたことを指摘してい
る。
また2017年2月に国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が発表した、2016年10月に発生
した、ロヒンギャの武装勢力による国境警備隊事務所襲撃に対する掃討作戦に関する
レポートは、ラカイン北部において現在も進行する悲劇を推測するうえで参考となる。
このOHCHRレポートはバングラデシュに逃れた220人のロヒンギャの聞き取り調査をも
とに作成されたものであり、具体的な被害者の推定値は算出されていないが、掃討作
戦が引き起こしたとされる数多くの惨事を記している。
報告されている残虐行為に含まれているものは、集団レイプ、性的暴行、銃を用いた
殺害、ナイフを用いた殺害、焼死、拷問、家屋やコミュニティ施設の破壊、放火、未
成年者殺害などがある。ミャンマー政府は、指摘されている人権侵害に関しては国軍
の関与は確認されなかったという立場を取っており(注5)、おそらくこの見解が翻
されることはそう簡単には起きないであろう。

(注5)Human Rights Watch “Burma: National Commission Denies Atrocities.”
August 7, 2017
https://www.hrw.org/news/2017/08/07/burma-national-commission-denies-atrocit
ies

しかし、このレポートが非常に興味深いのは、一連の残虐行為に一体誰が関わったか
についての記述である。ロヒンギャ側の武装グループを除く本惨事のメインプレーヤ
ーとして、報告書は以下の5つの集団の関与を指摘している。
まずミャンマー政府の治安部隊としてミャンマー国軍、ロヒンギャ勢力の襲撃の対象
となった国境警備隊、およびミャンマー警察の関与が指摘されている。これらの政府
組織に加えて指摘されているのは、最近になって治安部隊に雇われることとなったラ
カイン人村民、および治安部隊を個人的に支援し残虐行為に参加したとされるラカイ
ン人村民である。
ミャンマー治安部隊の勢力に自ら加担し、ロヒンギャに対して残虐行為を行なったと
されるラカイン人とはどのような人たちなのであろうか。

ラカイン人の苦悩
ラカイン人とは主にミャンマー国内に居住する仏教徒の少数民族であり、 ラカイン
州にはラカイン州全人口の6割に当たる200万人のラカイン人が居住しているとされ
る。
ラカイン人はビルマ語とは区別されるラカイン語を話し、ミャンマー国内のカレン人
やシャン人といった他の少数民族と同様に、長い間、ミャンマー政府による圧政に苦
しんできた民族である。言わずもがな、ラカイン人はロヒンギャ問題を構成するキー
グループの一つであり、ロヒンギャが直面する数多くの問題を理解するためには、ラ
カイン人自身が歴史的に経験してきた苦悩を無視することはできない。
ラカイン人とミャンマー国内のマジョリティ民族であるビルマ人の間に見られる何重
にも捻れた関係性は、長い時間をかけて歴史的に形成されてきたものである。
現在ラカイン州と呼ばれている地域は、1948年に独立を達成したビルマ連邦の一部と
なり、1974年には少数民族州としての地位を得た。しかしながら、長いラカインの歴
史において、ビルマ人に支配されていた時期は非常に短い。それは、15世紀より続い
ていたラカイン人の統治するアラカン王国が、ビルマ人勢力に制圧された1785年から、
英国の属領となる1826年までの間にすぎない。ビルマ連邦が独立した後も、ラカイン
人たちはビルマ人による統治を素直に受け入れることはなく、他の少数民族同様に中
央政府に対する抵抗が続いた。
ラカイン人のビルマ人に対する複雑な感情は時代とともに変化してきているが、現在
でも多くのラカイン人は、ラカインはビルマ人によって経済的・政治的に長い時間を
かけて周縁化されてきたと認識している。
たとえば、軍事政権下のミャンマーにおいて、ラカイン人はラカイン州内の政治から
は排除されてきており、数多くの強制労働や性暴力などの人権侵害の被害にも遭って
きた。
また2015年の総選挙の際には、ラカイン人が率いるArakan National Party(ANP)が
州内で最大数の議席を得たにも関わらず、アウン・サン・スー・チー率いる
National League for Democracyがラカイン州の州首相にANPのメンバーを選ばなかっ
たことにも多くが不満を表した。
加えて、自然資源が豊富なラカイン州が、もっとも貧しい州の一つであり続ける現状
についても、多くのラカイン人は、ビルマ人によって、ラカイン州の富が収奪されて
いるからだと説明する。
一方ラカイン人は、ラカイン州内に居住するロヒンギャに対しても、長年にわたって
不満を募らせてきた。このことはラカイン人にとってロヒンギャが人口学的な恐怖と
して認識されていることが端的に示している。
ラカイン州は歴史的に隣国のイスラム教徒との交流が盛んな地域であったが、英国に
よる統治が進行すると、英国領インドからのイスラム教徒の流入がミャンマーの他地
域同様に増加した。ラカイン州におけるイスラム教徒の増加は、ラカイン州内におけ
る主要な民族としてのラカイン人の地位を脅かすものであると見なされ、古くからラ
カイン人によって危惧されてきた事柄であった。
近年、ミャンマー国内での民主化が徐々に進行していくにつれ、少数民族の置かれた
国内政治状況にも変化が出始めてくると、ラカイン人のロヒンギャに対する不満・恐
怖感はますます強化されるようになった。
2012年の暴動以降、ロヒンギャに対して国際コミュニティから提供されるようになっ
た人道支援に対して、本来はラカイン人が受け取るべき国際支援をロヒンギャが不当
に奪っていると捉えるようになり、2014年には国連や国際NGOの事務所を襲撃する事
件にまで発展した。
同時にロヒンギャが国際的な注目を集め、新たな政治的主体としてミャンマー社会に
参入してくる可能性に対しても、ラカイン人は強い危機感を持つようになった。対ビ
ルマ人との関係において長い時間をかけて周縁化されてきたラカイン人にとって、ロ
ヒンギャは自らの地位をさらに周縁化する新たなる脅威として映るようになったので
ある。

ますます複雑化するロヒンギャ危機
現在も進行するロヒンギャ危機は、もはやラカイン州内のみに着目しているだけでは
その全容を理解することはできない。国連やアメリカ、ヨーロッパ諸国は、ミャンマ
ー政府によるロヒンギャへの人権侵害をやめさせようとミャンマー内外からコンスタ
ントにミャンマー政府に圧力をかけ続けている。
一方、 内政干渉としてロヒンギャ問題に関して沈黙を貫いていたASEAN諸国の中でも、
インドネシアやマレーシアといったイスラム諸国は、長く続く非道な事態に対してミ
ャンマー政府を名指しで非難することが増えてきている。
危機的状況が長期化するにつれ、ロヒンギャ問題が近隣諸国へも波及していることを
2015年の移民危機は明らかにしてきた。ロヒンギャをめぐる状況がますます複雑化す
る中、今日もロヒンギャの命を脅かし続けているのは一体誰なのだろうか。
昨今のミャンマー国内における反ロヒンギャ感情の劇的な高まりを可能にしたのは、
ラカイン州のみならずミャンマー国内に長く根付く反イスラム感情である。Gravers
が指摘する通り、ミャンマー国内での反イスラム感情は、反コロニアリズムの運動と
密接に関連してきた(注6)。

(注6)Gravers, Mikael. “Anti-muslim Buddhist nationalism in Burma and Sri
Lanka: Religious violence and globalized imaginaries of endangered
identities.” Contemporary Buddhism 16, Issue 1 (2015). 1-27

英国統治下においては、国の統治と宗教が区別され、仏教徒たちは自らの宗教的価値
観が軽視されていくことに危機感を感じていた。同時に、英国領インドから大量のイ
スラム教徒がミャンマー国内に流入してきたことも、仏教徒にとって恐怖として受け
取られていた。独立前の1938年には、インド系イスラム教徒が出版した本をめぐる大
規模な暴動がすでに発生している。
2011年にテイン・セイン大統領が就任し、ミャンマーが民主化の道を徐々に歩み始め
るようになると、ミャンマー国内における反イスラム主義のダイナミズムは新たな局
面を迎えることになる。ミャンマー国内において言論の自由が少しずつ認められるよ
うになり、969運動やミャンマー愛国協会(Ma Ba Tha)といった仏教ナショナリズム
を中心的な価値とする過激な愛国主義運動は、民族の壁を乗り越えて、ミャンマー国
内の仏教徒の支持を広げていくことになる。
2012年にラカイン州で発生した暴動は、その後にマンダレー、バゴー、カチンといっ
た地域にも飛び火した。また2015年にはミャンマー愛国協会の熱心なロビー活動が奏
効し、イスラム教徒に対して非常に差別的な人口管理政策を正当化する4つの法律が
制定された。昨今のロヒンギャへの暴力に関するビルマ人とラカイン人との共犯性は、
このようなミャンマー国内で絶大な支持を得る反イスラム感情に支えられている。
こういった過激な愛国主義運動は、近年際立って改善されたインターネットを含む情
報通信技術の発達にも支えられている点も無視することはできない。ミャンマー国内
では、100年以上もミャンマー国営通信事業者が通信サービスを独占して提供してき
たが、通信業に関する規制緩和が進み、2014年より外資の通信事業者が業務を開始す
ると、国内での携帯電話の普及率が一気に上がり、インターネット利用者数も急激に
増加した。しかし、このような通信インフラの変化は単純に、ミャンマー国内の民主
的な言論空間が拡大されたことのみを指すわけではなかった。
ラカイン州内に居住する当事者の他にも、世界中に広がるディアスポラのロヒンギャ
やビルマ人、ラカイン人が、ラカイン州の危機的状況に関する言説の生産に積極的に
関われるようになり、ロヒンギャ危機に関連する流言やヘイトスピーチの生産、拡散
にも関与するようになったのである。2017年8月に発生した襲撃事件などが起きると、
根拠のない流言やヘイトスピーチがインターネットを介して瞬時に拡散され、人々の
不安を必要以上に煽る事態が発生している。
一方、国際社会のロヒンギャ危機に関する関与も非常に複雑である。ラカイン州内に
おける人道支援及び国際開発援助は、ロヒンギャばかりを対象としていて差別的であ
るとされ、国連や国際NGOの活動はつねにミャンマー政府やラカイン市民の監視のも
とに置かれている。
また国連や多くのドナー諸国がミャンマー政府に対する批判を強めるたびに、ミャン
マー国内の仏教徒間では反ロヒンギャ感情が高まることになる。ミャンマー国内では
こうした国際社会の姿勢に対する不信感が着実に醸成されており、2016年10月および
2017年8月に武装ロヒンギャ勢力によるミャンマー治安施設への襲撃が発生した際に
も、ラカイン州北部から逃れてきたラカイン人は国際社会から支援物資を受け取るこ
とを拒否し、ラカイン州内のロヒンギャへの支援の提供も中断せざるを得ない状況が
続いた。
国際社会によって生産されるロヒンギャに対する言説は、現実に生きるロヒンギャの
人々の生活に直接の影響をもたらすことも忘れてはならない。ルクセンブルク人の歴
史家であるJacques Leiderによるロヒンギャの歴史に関する研究が顕著な例である。
彼はロヒンギャという言葉はもともと特定の民族を指し示す言葉ではなく、1950年代
に入ると、現在ロヒンギャと自らを名乗る人たちによって、民族アイデンティティを
示す言葉として政治的に使われることになったと指摘する。
このようなヨーロッパの学者によるロヒンギャ概念の歴史的形成に関する見解は、ミ
ャンマーメディアでも取り上げられており(注7)、しばしば反ロヒンギャ勢力によ
ってロヒンギャのミャンマー国内における非合法性を訴えるために援用される現実が
ある。

(注7)The Irrawaddy. “History Behind Rakhine State Conflict.” The
Irrawaddy, September 1, 2017. Accessed January 11, 2018
https://www.irrawaddy.com/in-person/interview/history-behind-arakan-state-conflict.html

現在、民政移管の真っ只中にあるミャンマーは、急激にミャンマー国外に開かれてき
ており、国際社会からの援助を受けつつ、より広大な国際システムとしての「自由で
民主的な国民国家システム」に取り込まれつつある。そのような環境の変化を受け、
ロヒンギャ危機自体もより複雑で、より多くのプレイヤーを巻き込んだグローバルな
問題として変化しつつある。

よって現在のロヒンギャ危機を理解するためには、密接に関連するミャンマー国内で
急速に変化し続ける政治状況や、ミャンマーと国際社会との関係にも細心の注意を払
う必要がある。そして同様に、決して一枚岩ではなく、滅多にメディアに取り上げら
れることのないロヒンギャあるいはラカイン人自身が、ロヒンギャ危機の解決に向け
て今後何を望むのか、忍耐強く彼(女)らの複数の声を聞くことも必要になるだろう。

終わりに
本論考においては、現在もなお世界的に注目を集めるロヒンギャ危機への理解が高め
られるよう、ロヒンギャ危機を理解する上で必要とされる基礎的な視座を提示した。
まずは、ロヒンギャは歴史的に長い時間をかけて様々な危機を経験してきたことを説
明した。加えて、ロヒンギャと同様に様々な苦難を長い期間をかけて経験してきたラ
カイン人の背景にも言及した。最後に、現在のロヒンギャ危機はより複雑化しており、
ラカイン州内のみならず、ミャンマー国内の政治的状況や、ミャンマーと国際社会と
の関係にも注意を払う必要があることを指摘した。
ロヒンギャ危機の複雑な背景を理解すればするほど、その困難さ、解決策の見えなさ
に直面せざるを得ない。だが少なくとも、「ラカイン人仏教徒」対「ロヒンギャのイ
スラム教徒」といった過度に単純化された宗教間対立としての理解や、「援助者」と
「被援助者」の非対称的な力関係を内在した既存の援助スキームは、ロヒンギャ問題
の根本的な解決には資さないと言えるだろう。こうした単純化した見方や不平等な力
関係に依拠しない、新しい国際人道・開発支援の知識や実践の必要性を、ロヒンギャ
危機は私たちに訴えかけている。

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