またまた久しぶりの更新です。
怒涛のような慣れない業務が一区切りした後は、息つく暇もなく
経理処理に明け暮れ・・・何とか終了。
今ようやく、息が付けた感じがします。
「55ステップス」観劇記にも手をつけられていないのですが、これは近日中に。
昨日は、半日休日出勤をした際の振替休日を消化し、
4時間働いたあと、昔住んでいた石橋周辺と大阪空港に足を運んでみました。
なぜ、石橋?と聞かれると自分でもよく分からないのですが
ことあるごとに訪れています。
小学校3年~5年までの約2年間を過ごしただけの土地なのですが
不思議なまでにノスタルジックな気持ちにさせてくれるところなのです。
そして大阪空港は、父の勤務先だった関係で空港から歩いて数分のところに住んでいたこともあり
空港に行くと、とても懐かしい気分になれるのです。
特に展望デッキで行き交う飛行機をボーっと見ているだけで、落ち着きます。
川の流れを見ていると飽きないように、飛行機を見ていると時間が経つのを忘れてしまいます。
以前から行きたい、行きたい・・・と思いながらなかなか行けず
今回ようやく念願叶いました。
梅田から阪急電車に乗って、石橋へ。
石橋商店街を歩いてみました。
商店街に降り立つと、もっと広い道幅だったといつも感じるのですが、
私が大人になって大きくなったので狭く感じるのでしょう。
雰囲気は昔と変わらず賑わっており、昔から続いている(と思われる)お店も多いです。
携帯ショップや金券ショップ、TSUTAYAなどはありませんでしたが。
同級生のお母さんが働いている(という記憶)お店があるのですが、
今も続いていました。(足を運ぶたびにチェックしてしまうのです)
そして、そのお母さんと思われる女性もお店にいらして、お元気な姿にホッとしました。
いつも声を掛けてみたいな・・・と思うのですが、今回も恥ずかしくてできず。
でも、お年を取られたなとしみじみ感じました。
石橋商店街を抜け、通っていた小学校を通りました。
昔とちっとも変わっていない校舎、遊具。ひまわりやジャガイモを育てた場所も健在でした。
小学校から家までの通学路を歩きました。暑い、暑い・・・
昔とほぼ変わらない町並み。昔より寂しい雰囲気が漂います。
もう住んでいない民家もちらほらありましたが、
同級生が住んでいたハイツが健在だったのには驚きました。
あ、この角を曲がると○○さんの家があったな、なんて今まで思い出すことなど
なかった記憶がふっとよみがえってくるんですね。
つくづく記憶の引き出しって不思議だなぁと。
当時、通学路のところにラブホテルが建設されようとしていて
住民が建設反対を訴えていたのですが、その甲斐もなく建設されていました。
完成したのは、私が引越ししてから後のことではありましたが
通学路にあるのは、やっぱりいい気はしませんね。
(写真の右側にちらりと映っているのがその建物。ちなみに左側にはお墓が・・・)
だんだんパンの香りがしてきました。
私の住んでいた家の近所にある第一パン工場が見えてきました。
昔からのまんまでした。そこの寮を通り、住んでいた団地へ。
自分が住んでいたところを懐かしく見しながら、空港へ向かいました。
久しぶりに空港へ行って感じたのは、空港の周りの看板が少なくなっていたこと。
この不況で広告を出す企業が撤退したのでしょうか。寂しい雰囲気でした。
早速展望デッキへ。
昔とは打って変わり、おしゃれなウッドデッキになっています。
デッキと同フロアにはインテリアショップのアクタスやレストランもあります。
夏休みのためか、思っていた以上にデッキに来ているお客さんが多かったのにはビックリ。
友達連れや家族連れが多く、会社帰り丸分かりの私はちょっと浮いていたかもしれません。
ベンチを確保し、ただただ飛行機を眺めていました。
太陽が沈んでいくなか、飛行機は行き交います。
辺りも暗くなり、滑走路には照明が点り始めました。
暮れなずむ空港も良いものですね。
なかなか立ち去ることができず気が付けば1時間ほど佇んでいました。
いつもここへ遊びに来ると、空港の売店で珍味を買って帰るのが我が家の習慣で
(父も時々来ては同じことをしているのです)
今回は小鯛の笹漬けと塩辛を買って帰りました。
私は幼少の頃より各地を転々としていたため、お盆に帰省するような故郷はないけれども、
ここは私にとってかけがえのない「心のふるさと」のひとつなのです。
怒涛のような慣れない業務が一区切りした後は、息つく暇もなく
経理処理に明け暮れ・・・何とか終了。
今ようやく、息が付けた感じがします。
「55ステップス」観劇記にも手をつけられていないのですが、これは近日中に。
昨日は、半日休日出勤をした際の振替休日を消化し、
4時間働いたあと、昔住んでいた石橋周辺と大阪空港に足を運んでみました。
なぜ、石橋?と聞かれると自分でもよく分からないのですが
ことあるごとに訪れています。
小学校3年~5年までの約2年間を過ごしただけの土地なのですが
不思議なまでにノスタルジックな気持ちにさせてくれるところなのです。
そして大阪空港は、父の勤務先だった関係で空港から歩いて数分のところに住んでいたこともあり
空港に行くと、とても懐かしい気分になれるのです。
特に展望デッキで行き交う飛行機をボーっと見ているだけで、落ち着きます。
川の流れを見ていると飽きないように、飛行機を見ていると時間が経つのを忘れてしまいます。
以前から行きたい、行きたい・・・と思いながらなかなか行けず
今回ようやく念願叶いました。
梅田から阪急電車に乗って、石橋へ。
石橋商店街を歩いてみました。
商店街に降り立つと、もっと広い道幅だったといつも感じるのですが、
私が大人になって大きくなったので狭く感じるのでしょう。
雰囲気は昔と変わらず賑わっており、昔から続いている(と思われる)お店も多いです。
携帯ショップや金券ショップ、TSUTAYAなどはありませんでしたが。
同級生のお母さんが働いている(という記憶)お店があるのですが、
今も続いていました。(足を運ぶたびにチェックしてしまうのです)
そして、そのお母さんと思われる女性もお店にいらして、お元気な姿にホッとしました。
いつも声を掛けてみたいな・・・と思うのですが、今回も恥ずかしくてできず。
でも、お年を取られたなとしみじみ感じました。
石橋商店街を抜け、通っていた小学校を通りました。
昔とちっとも変わっていない校舎、遊具。ひまわりやジャガイモを育てた場所も健在でした。
小学校から家までの通学路を歩きました。暑い、暑い・・・
昔とほぼ変わらない町並み。昔より寂しい雰囲気が漂います。
もう住んでいない民家もちらほらありましたが、
同級生が住んでいたハイツが健在だったのには驚きました。
あ、この角を曲がると○○さんの家があったな、なんて今まで思い出すことなど
なかった記憶がふっとよみがえってくるんですね。
つくづく記憶の引き出しって不思議だなぁと。
当時、通学路のところにラブホテルが建設されようとしていて
住民が建設反対を訴えていたのですが、その甲斐もなく建設されていました。
完成したのは、私が引越ししてから後のことではありましたが
通学路にあるのは、やっぱりいい気はしませんね。
(写真の右側にちらりと映っているのがその建物。ちなみに左側にはお墓が・・・)
だんだんパンの香りがしてきました。
私の住んでいた家の近所にある第一パン工場が見えてきました。
昔からのまんまでした。そこの寮を通り、住んでいた団地へ。
自分が住んでいたところを懐かしく見しながら、空港へ向かいました。
久しぶりに空港へ行って感じたのは、空港の周りの看板が少なくなっていたこと。
この不況で広告を出す企業が撤退したのでしょうか。寂しい雰囲気でした。
早速展望デッキへ。
昔とは打って変わり、おしゃれなウッドデッキになっています。
デッキと同フロアにはインテリアショップのアクタスやレストランもあります。
夏休みのためか、思っていた以上にデッキに来ているお客さんが多かったのにはビックリ。
友達連れや家族連れが多く、会社帰り丸分かりの私はちょっと浮いていたかもしれません。
ベンチを確保し、ただただ飛行機を眺めていました。
太陽が沈んでいくなか、飛行機は行き交います。
辺りも暗くなり、滑走路には照明が点り始めました。
暮れなずむ空港も良いものですね。
なかなか立ち去ることができず気が付けば1時間ほど佇んでいました。
いつもここへ遊びに来ると、空港の売店で珍味を買って帰るのが我が家の習慣で
(父も時々来ては同じことをしているのです)
今回は小鯛の笹漬けと塩辛を買って帰りました。
私は幼少の頃より各地を転々としていたため、お盆に帰省するような故郷はないけれども、
ここは私にとってかけがえのない「心のふるさと」のひとつなのです。