(1966/ミケランジェロ・アントニオーニ監督・共同脚本/デヴィッド・ヘミングス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、サラ・マイルズ、ジェーン・バーキン/111分)
ミケランジェロ・アントニオーニは苦手な監督の一人だ。抽象的なイメージによる比喩表現が独特らしいが、苦手な僕には殆ど受け取れないし、何しろ同じイタリアのフェリーニのような絵力(えじから)を感じた事がない。クールが持ち味らしいからフェリーニとは比べられないかもしれないが、クールなりの生命力が感じられてもよさそうなのに。
更に、ストーリーの語り方に酔いたい僕にはリードの軸がブレブレに感じるのが最大の欠点だ。
かつてベルイマンが、<アントニオーニはこの商売を実は全然学ばなかったんだ。彼は個々のイメージに集中していて、映画というものはイメージのリズミカルな流れである、運動であるとちっとも気づいていない>と言ったらしいけれど、軸がブレていると感じるのは<個々のイメージに集中>し過ぎているからかもしれない。
確か「欲望」は雑誌スクリーンを読み始めた頃に前年度の批評家ベスト20以内(或いはベストテン内)に入っていたけれど、上記の理由から避けていた作品。ベルイマンに言わせると「夜 (1961)」とコレは見ても宜しいらしいので、今回チャレンジした次第。
原題は【BLOWUP】。写真を部分的に、または全体的に拡大することを指す「引き伸ばし」の事だそうです。ま、映画を観ていただければこのタイトルは納得ですね。
1960年代当時のロンドンが舞台。
主人公の売れっ子写真家トーマスが多忙を極める中、ふと立ち寄った公園で年配の男性と若い女性がデートをしている所に出くわす。デートというよりは、その年齢差からは不倫とか良からぬ関係を想像させる二人だ。写真家はとっさに藪の中に身を隠しながら二人に向かって持ってきたカメラのシャッターを押す。大胆になった彼は前方の大きな樹の陰に近づいて何枚も撮るが、気づいた女性はフィルムを渡せと言いトーマスは断り公園を去る。
数時間後、女はトーマスのアトリエに現れ、彼女の容姿が気に入った写真家はネガを渡し彼女の連絡先を聞き出す。
実は女に渡したネガは偽物で、あらためて公園で撮ったフィルムを現像したトーマスは、そこにカップル以外の男性が写っており、その男が二人に向かって拳銃を構えているのに気づく。
なんだ、コレは?
彼女の視線の先にその拳銃があるように見えるから、女はその事を知っていたのか?すると拳銃が狙っていたのは年配の男性の方か?いずれにしても、発砲事件は起きなかったし、彼女も生きているから事件を未然に防いだのだろうけど。
更に、公園で写真家に詰め寄った後に諦めて去って行った女性を写した写真を引き伸ばすと木陰に何やら物体が。ん?まさかこれは死体ではないか・・・。
allcinemaのジャンルは「サスペンス/ドラマ」となっている。
しかもこの後、写真家が件の公園に行ってみると、現像した写真の通りに木陰に死体を発見する。例の年配の男性だ。
当然、観る方としてはこの事件らしきものの進展が気になるんだが、アントニオーニの狙いは単なる犯罪サスペンスではないので、これ以上真相が暴かれることがないことを予め書いておきましょう。傲慢で自信たっぷりだった写真家の心象に焦点を当てた不条理劇へと変貌していきます。
ハッキリ言って作者の意図は僕には分からんです。
モヤモヤして終わるし、観客それぞれの受け止め方でよろしいんじゃないでしょうか。
ラスト。オープニングにも出てきたヒッピーの集団が公園にあるテニスコートでエアーテニスをする。つまり、ラケットもボールもないのにさもあるかのようにテニスをするのだ。見ていた写真家も最後には、コート外に飛び出した目に見えないボールを拾ってコート内に投げ返す。そしてエンドクレジットの背景にもなっている芝生の中で、彼の姿だけ忽然と消えていく。
このラストシーンの意味も色々と書かれてるみたいだけど、僕にはこう思えた。
あの写真に写っていた事件らしきものも、現実に見た死体も消えてしまって、結局残ったのは彼の記憶の中だけ。つまりエアーテニスをやっているあの若者達と同じ立場(無いものを有るかのようにふるまってる人間)になっちゃったと、彼が自虐的な心境になった事をあらわして終わってるんじゃないかと。
1966年のアカデミー賞では監督賞と脚本賞(エドワード・ボンド、アントニオーニ、トニーノ・グエッラ)にノミネート。
全米批評家協会賞では作品賞と監督賞を受賞。更に、翌年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞したそうです。
幾つかトリビアを。
プロデューサーは初タッグのカルロ・ポンティ。この後「砂丘 (1971)」、「さすらいの二人 (1974)」も作っています。
音楽はハービー・ハンコックが担当していて、後半のシーンにはヤードバーズがそのままライヴ中のロックバンドとして出演しています。なんとジェフ・ベックとジミー・ペイジが在籍していた時代で、ベックはアンプの調子が悪いことに怒ってギターを壊したりしています。
写真家に私を撮ってとアトリエにやって来るモデル志願の少女が二人出て来ますが、その一人がジェーン・バーキンでした。ヘアーもいとわない姿勢はこの頃からでしょうか。
ミケランジェロ・アントニオーニは苦手な監督の一人だ。抽象的なイメージによる比喩表現が独特らしいが、苦手な僕には殆ど受け取れないし、何しろ同じイタリアのフェリーニのような絵力(えじから)を感じた事がない。クールが持ち味らしいからフェリーニとは比べられないかもしれないが、クールなりの生命力が感じられてもよさそうなのに。
更に、ストーリーの語り方に酔いたい僕にはリードの軸がブレブレに感じるのが最大の欠点だ。
かつてベルイマンが、<アントニオーニはこの商売を実は全然学ばなかったんだ。彼は個々のイメージに集中していて、映画というものはイメージのリズミカルな流れである、運動であるとちっとも気づいていない>と言ったらしいけれど、軸がブレていると感じるのは<個々のイメージに集中>し過ぎているからかもしれない。
確か「欲望」は雑誌スクリーンを読み始めた頃に前年度の批評家ベスト20以内(或いはベストテン内)に入っていたけれど、上記の理由から避けていた作品。ベルイマンに言わせると「夜 (1961)」とコレは見ても宜しいらしいので、今回チャレンジした次第。
原題は【BLOWUP】。写真を部分的に、または全体的に拡大することを指す「引き伸ばし」の事だそうです。ま、映画を観ていただければこのタイトルは納得ですね。
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1960年代当時のロンドンが舞台。
主人公の売れっ子写真家トーマスが多忙を極める中、ふと立ち寄った公園で年配の男性と若い女性がデートをしている所に出くわす。デートというよりは、その年齢差からは不倫とか良からぬ関係を想像させる二人だ。写真家はとっさに藪の中に身を隠しながら二人に向かって持ってきたカメラのシャッターを押す。大胆になった彼は前方の大きな樹の陰に近づいて何枚も撮るが、気づいた女性はフィルムを渡せと言いトーマスは断り公園を去る。
数時間後、女はトーマスのアトリエに現れ、彼女の容姿が気に入った写真家はネガを渡し彼女の連絡先を聞き出す。
実は女に渡したネガは偽物で、あらためて公園で撮ったフィルムを現像したトーマスは、そこにカップル以外の男性が写っており、その男が二人に向かって拳銃を構えているのに気づく。
なんだ、コレは?
彼女の視線の先にその拳銃があるように見えるから、女はその事を知っていたのか?すると拳銃が狙っていたのは年配の男性の方か?いずれにしても、発砲事件は起きなかったし、彼女も生きているから事件を未然に防いだのだろうけど。
更に、公園で写真家に詰め寄った後に諦めて去って行った女性を写した写真を引き伸ばすと木陰に何やら物体が。ん?まさかこれは死体ではないか・・・。
allcinemaのジャンルは「サスペンス/ドラマ」となっている。
しかもこの後、写真家が件の公園に行ってみると、現像した写真の通りに木陰に死体を発見する。例の年配の男性だ。
当然、観る方としてはこの事件らしきものの進展が気になるんだが、アントニオーニの狙いは単なる犯罪サスペンスではないので、これ以上真相が暴かれることがないことを予め書いておきましょう。傲慢で自信たっぷりだった写真家の心象に焦点を当てた不条理劇へと変貌していきます。
ハッキリ言って作者の意図は僕には分からんです。
モヤモヤして終わるし、観客それぞれの受け止め方でよろしいんじゃないでしょうか。
ラスト。オープニングにも出てきたヒッピーの集団が公園にあるテニスコートでエアーテニスをする。つまり、ラケットもボールもないのにさもあるかのようにテニスをするのだ。見ていた写真家も最後には、コート外に飛び出した目に見えないボールを拾ってコート内に投げ返す。そしてエンドクレジットの背景にもなっている芝生の中で、彼の姿だけ忽然と消えていく。
このラストシーンの意味も色々と書かれてるみたいだけど、僕にはこう思えた。
あの写真に写っていた事件らしきものも、現実に見た死体も消えてしまって、結局残ったのは彼の記憶の中だけ。つまりエアーテニスをやっているあの若者達と同じ立場(無いものを有るかのようにふるまってる人間)になっちゃったと、彼が自虐的な心境になった事をあらわして終わってるんじゃないかと。
1966年のアカデミー賞では監督賞と脚本賞(エドワード・ボンド、アントニオーニ、トニーノ・グエッラ)にノミネート。
全米批評家協会賞では作品賞と監督賞を受賞。更に、翌年のカンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞したそうです。
幾つかトリビアを。
プロデューサーは初タッグのカルロ・ポンティ。この後「砂丘 (1971)」、「さすらいの二人 (1974)」も作っています。
音楽はハービー・ハンコックが担当していて、後半のシーンにはヤードバーズがそのままライヴ中のロックバンドとして出演しています。なんとジェフ・ベックとジミー・ペイジが在籍していた時代で、ベックはアンプの調子が悪いことに怒ってギターを壊したりしています。
写真家に私を撮ってとアトリエにやって来るモデル志願の少女が二人出て来ますが、その一人がジェーン・バーキンでした。ヘアーもいとわない姿勢はこの頃からでしょうか。
・お薦め度【★★=サスペンス部分は、悪くはないけどネ】
アントニオーニの新作が観れるんですから、映画館に駆け付けましたけど、ラストの爆破シーンがくどかった事しか覚えてないㇲ。
>若いときに観たなら惹かれる世界なのかも。
そもそも不親切で映画的語りが破綻してる。
その時代の空気で察せられるシーンもあるでしょうけど、本当に面白い映画は時代を越えて面白いハズですもんね。一人合点な芸術家って古今東西いらっしゃるようで。
淀川さんはアントニオーニ嫌いって仰ってたみたいです。
ありがとうございます。
十瑠さんのおっしゃる通り
超のつくセンス抜群、
絶妙編集動画でしたね。
「欲望」といえば、いつも歌を聴きに
来て下さる私と同年輩の男性が
20代初期に観たこの映画を絶賛してましてね、
「観たけど、どうってことなかった」私は
同じ映画好きでもいろいろだわね〜とご拝聴。
年輪経てからではなく、もしかしてごくごく
若いときに観たなら惹かれる世界なのかも。
そもそも不親切で映画的語りが破綻してる。
でも「砂丘」は衝撃的だったの。
観たのがなんもわからん青い時だったけどね。