hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●奥村土牛展 山種美術館

2016-04-17 | Art

奥村土牛展  山種美術館   2016年3月19日(土)~5月22日(日)

 
先日行ってきました。
東京・京橋生まれの土牛(1889年–1990年 )、小さい頃体が弱かったため、家で絵を描いて遊ぶことも多かったそう。その画業、100年近く。
 
入ってすぐの「醍醐」1972 83才 光が満ちた輝きに目をみはってしまう。
 
この世とも思えないような、特別な優しい世界だった。つつまれるような感動。
 
それから、真ん中に大きく太く、じっくり描かれた幹。
やわらかなタッチの木肌ですが、幾重にも丁寧に色が重ねられている。
この絵のメインはもしや幹なのでは、と思う。
 
まるで、ひとのように見えてきました。
横の支柱は、おじいさんの杖のよう。
この木とこの杖は、静かに、寄りそうように支えあうように。
 
 そして年を重ねたこの幹から、今年もやわらかくやさしく花を咲かせている。
 83歳の土牛も、この桜に深い感動を感じて描いたのかもしれない。
 
 土牛は、人柄も実直で謙虚だっただそう。
 前田青邨が87才の時に、84才の土牛を描いている写真。
固まった土牛。大先輩に描いていただく緊張が伝わる。
 
「胡瓜畑」1927 38歳
 この日のトップ3に入る好きな絵。
脇役の竹の支柱すら、竹の感じが自然で、でもちゃんとしっかり見ていて。
 
巻きつくつる、かさついたロープ、少し透明感のある花。見え隠れするきゅうり
 対象をじっと見つめる、真剣な姿勢を感じるような。
胡瓜の生命力に対する心情が織り込まれてる。なんだかあたたかい。
 
 17歳で梶田半古の画塾に入門した土牛は、塾頭の23歳の小林古径から指導を受け、古径の部屋で住み込みしていた。
対象を目で触れるように包むように描いた絵は、二人に共通しているようにも思う。
 
土牛は古径の七回忌法要に訪れた帰りに、醍醐寺のこの桜に出会い、「まるで古径先生のような」と思った。そして描き上げるまで10年近く。
初めて古径に出会った時の印象を、「古径先生の美しいご人格に打たれて、こんなにも清らかな世界があるものかと驚いた感激は…」と言っていますが、まるで醍醐の桜の印象そのもの。
 
古径から、技術的なことだけではなくて、気持ち的な写生の大切さを教わった、土牛の言葉。
「外的な写生にとどまらず物質感、つまり気持ちを捉えること」。
「色はみたままでなく、色の気持ちを捉え、その色は精神を意味していなければならない」。
 
”イロノキモチ”、土牛の絵はまさにその通り。
「啄木鳥」1947  58歳
 「ごつごつ」とか「すべすべ」とか日本語の偉大な擬態語をもってもなかなか表現しにくい木の感触を、そのまま絵に表現されていて、しかもシンプル。
 
「枇杷と少女」1930 41歳
 これも大好きな絵。枇杷も女の子も葉っぱもかわいい、いい。当たり前のことしか言えないけど。
 
枇杷の実の色に、確かに色の気持ちを感じるような。
「色の気持ち」って、たぶん枇杷の気持ちなのでしょう。
 
「罌粟(けし)」1936 47歳
 
細部までじっくり近づいて見られる山種美術館の展示は、本当にありがたいです。
 
「雪の山」1946 57歳
 古径に買ってもらったセザンヌ画集から学んだことが多かったという。
たしかに面の捉え方がセザンヌのような。
 
「鳴門」1959 70歳
 観潮船から身を乗り出すようにして、新鮮な印象を刻み付けるように何十枚も写生。帰ってから、印象を堀起こして描いたので苦労した絵だそうです。
 
「城門」
 ど~んと立ちはだかる、腕白坊主的な。
 
自由でのびのびな子供のような感性。「書きたいと思った対象に恐れずにぶつかっていきたい」と。
いくつになっても守りに入らない、この姿勢。
 
「門」1967
 これも、土牛の子供のように新鮮な感性が、ここに興味を持ったのかな。四角の囲いのむこうに、小さな四角い穴。
光があふれている。どんなにか美しいと感じたのでしょう。優しくて瑞々しい光。
 
「茶室」1963
 これも面と線で切り取られたこの感じ、土牛もおもいしろいって思ったんでしょうか。
直線的な構図と逆に、古い壁は、いろいろな色が重ねられ、何百年を重ねた時間的な質感たっぷり。大徳寺の一休の庵居だそうです。
 
外の淡い光も、室内の薄明るい光にも、土牛的な光を描きだしているよう。
フェルメールのような差し込む光じゃないけど、そっと満たす、土牛ならではの光。
 
「泰山木」1958  69歳
もくれん科の花だそう。九谷焼の花器はお気に入り。
 
 「聖牛」 1953  64歳 
長野の善光寺に、インドから牛が贈られたと聞き、見にでかけた。
 
「しみじみとした愛と画心を覚えて、その気持ちで持って書けば稚拙であってもいい味わいの絵が」。
 出産後の牛に母の強さと気高さ。胡粉で塗られた白さは、聖なる感じ。
というか、かわいい!、ちょっと得意げな顔が(^^)。
 
このインド牛に興味をひかれた土牛に共感。東南アジアを旅すると、こんな白い牛によく出会う。だいたいやせているけれど。
 
「蓮」1961  72歳
 毎朝4時に起きて写生に出かけたそう。
生命の神秘みたいな。水面は白っぽく、蓮には仏教的なあちらの世のようにもかんじますが、この年に亡くなった方への追悼の意も込めたとのこと。
 
 この後は、80歳を超えてからの絵が並びます。
「朝市の女」1969 80歳
 能登の朝市で見かけ、その場の写生で足りず、この服を買って三男の妻に着せて描いたそう。
健康そうな小麦色の肌の売り子の女の子。
お魚の眼も、女の子の眼も、同じようなかわいさ。
動物の眼が楽しいから、動物を描くのが好きなんだそうです。
 
花も鮮やか。
「薔薇」1970 81才
 こちらを向くかわいい花と、丸くされたこれもかわいい葉っぱが、ともに遊んでいるよう。
邪心的なものが一切ありません。
 
「牡丹」1978 89才
 葉の色がきれい。色で遊んだよう。
 
薔薇も牡丹も、花も葉も、かわいらしく感じる、土牛の愛。
 
 一貫した姿勢がありながらも、90を超える年齢になると、どこか違う次元に入っているようにも。
筆致が変わってきたようですが、対象のとらえ方が、ストレートに本質に限っていて、よけいなものなく描き出しているように思いました。
 
「富士宮の富士」1982  93歳
 不思議な感じの富士だと思いました。
「平凡な構図の中でどれほど表現できるか試みてみた」一枚。
93歳で新たなチャレンジ!
 
「犢(こうし)」1984  95才
 
お母さんに隠れて、ちら見している子牛の眼がかわいい。
 
 
「山並み」1987  98才
 適当な言葉では、形容しがたいような。
胡粉とわずかな墨のにじみで描かれた富士と山並み。
 
95歳の「犢」の時からかもしれませんが、これまでのほんわか、優しい色彩とは変わってきたようにも。
より、よけいなものを捨て、わずかなもので表現しているような。
筆致も潔く、98歳でたどり着こうとする境地は、このようなものなのでしょうか。
限りなく到達を極めつつあるようでもあり、それでもまだ「未完」という言葉がぴったりな気もします。
 
 もう一度はじめから一周してみて、感じたのは、
若いころの作品には、土牛の意欲。
そして、80になっても90になっても、衰えないどころかますます増す、対象との出会いに対する喜びや新鮮な驚き。
年を取るにつれ、絵にわくわくが満ちていました。
 
101歳まで一貫して変わらなかった、謙虚で、愛情深く真摯な、土牛の感性。
明治から平成まで、これだけ世の中は変わったのに。
大きな変化、ドラマティックな演出、奇をてらったこととか、そういうものは一貫してありませんでした。
 
 
無口で、でもあちこちスケッチブックをもって写生に出歩いて、実はわくわくしていたおじいさん。
 「これから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい」(84才)
いつまでも未完成。
元気がでる展覧会でした。