hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

東博常設20200116 東東洋、花車、狩野永敬、若冲

2020-01-26 | Art

この日の高御座の公開はなんと120分待ち。

すでに先日拝見したのだけど、その日でも比較的すいているという夕方に来た。しかしこの日はすでに夕方までめいっぱい大行列。

一方、常設展はガラガラ。

 

屏風ルームに素敵な3点があった。

それも室内の色どり効果が抜群。

立林何帠(かげい)の「松竹梅図屏風」18世紀がある。

確か、渡辺始興に似た芭蕉としゅろの図を根津美術館で見たのだった。以来気になっている何帠(かげい)。生没年すら不明なのだ。

解説には、尾形乾山の江戸での弟子であり、光琳の画風を継承したとある(!)。乾山に直接学んだ人物とは貴重。ますます興味がわく。

”松と梅の重なりは色意図的にそうしたのでは。なんらかの手本があるのでは。”と解説にあるが、もしや光琳か乾山の図案があったのかもしれない。シンプルな図柄から、本当にそうかもしれないと思ったりする。

さらにその重なりには、よりそう男女を感じ、艶っぽくもある。光琳の紅白梅図を思い出す。

梅もつぼみも、上手っていうのではないけど、いい屏風だ。全体の対角線構図と明快さが心地よく、はれやかな気持ちになる。

すっといさぎよい竹。ほっこりする丸い松。点々とリズミカルな花。竹の葉もその合奏に参加している。

屏風の裂も鶴の模様がかわいい。

光琳もかげいも乾山も、もっと知りたい。始興にもつながる話も出てくるかもしれない。

 

「花車図屏風」筆者不詳17世紀

「花車の屏風は大名に人気があり、狩野派の絵師によってよく描かれた」とあるので、これも大名家のものか。

中国の画に小さな花車をたまに見るけれど、これは大きな花車がメインに5つも。

そしてこの絵師の質感描写へのこだわりぶりときたら(‼)。車の素材、花かごの素材や網目を細密に描き分けている。

金砂を散らして、梨地の金蒔絵ののようなもの。

漆の塗りの照りが美しいもの。細密な金の文様。

模様はもしや螺鈿でしつらえてあったのかな。ほのかな色の変化が見える気がする。

 

これは木目を活かしたもの。

 

金の金具のもの

籠の編地もそれぞれ描き分け、芸が細かい。

 

菊にもこだわりがある。多くの種類の菊を描き分け、ていねいにもりあげてある。

とてもきれいで、かわいいなあ。なんかおいしそう。。

アジサイの描き方もとてもかわいい。やはり白系が好みなのか、涼やかな色合い。

藤もいい風情。

葉の色、裏表などていねいに描き分けている。

線描きもしっかりと、勢いがある。花も実物を写生して描いたかのようなものもある。

全体を見直してみれば、

花車ひとつには、白を基調にピンクのユリがひとつ、二つ目の花車には白の中に赤い菊ひとう、3つ目は白に少しの紫と、白を基調にして、鮮やかな色を少し挿す。なかなかの美意識といいましょうか。

左隻の菖蒲は、白と紫,アジサイと、青でまとめている。

そして3つめの木目の花車には、菊の文様が。百合の勢いも生き生きしている。

4つ目の菊の盛り上げは、これも畠山の始興を思い出す。

5つめの桜の模様の車は、紅白つばきに桜の枝。その桜は花は少なめで、春の訪れを予感させている。

5つの花車で四季なのか。そしてそれがほんの少しなのがツボだ。

細密で勢いのある技術もすばらいしいけれど、花の美意識も卓越。これはお大名の奥方様の生けた花を頼まれて描いたのだろうか?

この名前不詳の絵師は誰なのだろう。

 

 

その隣には、狩野永敬(1662~1702)の「十二ヶ月花鳥図屏風 」17世紀 がある。京狩野、狩野山楽ー山雪ー永納の次、4代目。公家の庇護を受けた。

藤原定家の「詠花鳥和歌各十二種」に詠まれた花鳥を右から左へと各扇ごとに月順に配している。

永敬を庇護した公家の屋敷を飾ったのだろうか。

優雅にどこを見ても細部まで行き届いている。

1,2扇には、雉が存在感。また民家にかかる竹と柳のたたずまいも抒情性がある。

金に薄くはいた青い空が美しい。大きめの鶯がわかりやすい。竹や柳がうまい。

3,4扇には、満開の藤が印象的。2扇の桜と藤ともに満開で、一つの見せ場となっていようか。

葉も花びらも着色がていねい

ふっくら感のある松の葉

4扇

水流にかかる萩と藤、座っていたくなるいい場所。萩の枝ぶりは感情的。

さすがは山楽山雪の流れをくむ、くねくねさ。

かかれたひとつひとつはちいさくとも、よく見ると松もめらめらと押してくる。

山のラインもいいなあ。

5扇には、これはミカンの花?

そして6扇にかがり火。煙や炎も。

左隻には、秋から冬。

橋が上に描かれたている。二つの群れが交わる渡り鳥には動きがある。

赤い萩もみもの。

すすきの近くには、定番の鶉が描かれてる。ウズラの目線、すすきの粒粒もわかる。

4扇には、赤い太陽が。しかも幻惑されそう。雲の色には驚き。描いた本人の実感を追体験できるような。花鳥図には珍しいかもしれない。

この太陽に対し、すすきも暗いところ、照らされたところとかきわけてある。

そして鶴と周りを彩る菊の美しいこと。

野菊の花びらの反り返り具合、種を作りつつあるところに、季節の移り変わりまで観察している。

5扇には琵琶の花?

そして最後には、冷たい冬の月。そのまわりに空に色が冷たく澄んで浮かび上がる。角度によっては、金色もあいまってとてもきれい。当時の灯りならどんなふうだっただろう。

大きめの鴛がかわいい。水面には氷が張っている。

月光にうかぶ梅と雪のうつくしいこと。

ここなど、生け垣や梅は和風だけれど、もはやクリスマスカード。

細部にも手を抜かない永敬には恐れ入りました。金のまきかたも丁寧で、水辺や雲にもまいている。

この屏風を描き上げるのに一体どれくらいかかるのだろう。

場面は小さくても、その小さな花や木、背景に、桃山的な絢爛さがを継承している。

桃山と琳派の中間にあるのだろうか。

 

三点とも、室内をどんなふうに帰るだろう。

かげいの屏風は、ごてごてしたもののない、大人の空間になるだろうか。もしかしたら都会的、中性的になるかも。シンプルなのに、ちょっと艶っぽい。

花車はもう、文句なく美しく豪華に。動きもある。外での茶席にも使えるのかな。

花鳥図は、四季の移り変わりも愛でつつ、さまざまな余情を呼び起こし、招かれた人々の会話につながるかもしれません。

優雅な暮らしですわね。

 

着物コーナーは最近の楽しみである。

絵に描きたいような文様の洗練された美しさ、色つかいの自由さが魅力。

火消の襦袢がみもの

火事襦袢 黒木綿地波に雨龍模様刺子  19世紀

まるで北斎のような波と龍。なんと龍には羽根?。ドラゴンか。雲のくろぐろとした墨使いも、なんかかっこええなあ。手書きで、しっかりと縫い込んである。

 

その隣の、火事装束(革羽織・革袴) 薄茶地斜め格子模様 19世紀

おやっ袴がとっても現代的でおしゃれ。皮の色、ボタン使い、リボンと、こんな皮のタイトスカートがあったらいいかも。

 

豪華な源氏絵彩色貝桶 や存在感ありありの犬張り子獏南天蒔絵枕 19世紀。 

 

獏マークがすてき。南天もいいなあ。寝心地的にはどうなのだろう。

 

書画の展開

お正月らしい画題の絵が並ぶ。

光琳の宝船図(撮影不可)

乾山のようにさっと描いていい味。晩年の作。カメ、エビ、松とたのしげな船出。宝船図を枕に敷いて眠るといい初夢がみられるという。

 

狩野益信(1625~94)の高砂図

じじばばの目線の織り成す穏やかさ。ふわっとした葉がほんわかしつつも格調高い。

 

応挙の雪松図

描かない雪が見える、この技法。ごく薄い墨から、次第に濃い墨、さらに濃く。逆もありか。水はたっぷり、上にはかすれも。

金を使っているのは、向こうの空気や光が見える。

この雪の白さ!これはほかの描きこみとの関係で、相対的に白く感じているのだろうか。

これは32歳の絵。この描き方で世に出た。

 

若冲 松梅孤鶴図  18世紀は」は感動的な体験だった。

明の「松上双鶴図」京都・大雲院 陳伯冲筆 を原図にしてなぜにこのデフォルメ。

こんなに勢いよく払いながらも、とても込み入ってる。

松葉も松のみも薄墨から濃い墨へと重ねている。この払いが気っぷがいいよね。

タコに見えてしまう

幹はたらしこみで、即座に茶をにじませている。

梅の花はまるでもう一羽鶴がいるようなラインを描く。命が通っている枝だと思う。金の花びらとつぼみにしらず微笑んでしまう。。

鶴の体は、つけたてで即座にぼかしているのだろうか。微細な鶴の震え、ぬくもりが放たれている。

まさに松も鶴も梅も、この絵の中で生きているのだ。静止している構図なのに、すべてが生命の振動を放っている。

若冲の水墨にはこんなシンプルな絵にさえ、こんなに心震わせるものがある。

 

岡本秋暉(1807~62)の孔雀 19世紀 もすさまじいほど。

孔雀を多く描いた本領発揮といったところか。しかし孔雀以外でも、技法だけではないなにかが、秋暉に絵には立ちのぼってくる。

羽根に金泥がさいみつにいれらている。

線描きもぼかしも巧み。

足元のたんぽぽも見える。

地面には薄い影があり、蠅がいたりする。蠅はいなくてもいいんじゃ?。遊び心?

濃彩なのだが、若冲の濃彩とはまたちがうキレのある絵の具の使い方。

 

その横には真逆の英一蝶。「富士山図」18世紀

あっさり軽妙洒脱。

薄い色が落ち着く。丸い山も日本的で落ち着く。

街道をゆく山を見やる馬上の人物、馬を押す人物と、小さくかかれていてもしっかり人間味がある。集落もいいたたずまい。

薄墨でも、山の頂点は少し濃くしたり、貴は濃くしたり、青色入れたりと。

 

木村探元(1679~1767)の「富士山図」も横に並んでいる。(撮影不可)こちらは雪舟風の硬派な感じ。さてつい先日この探元の絵を見たような気がするが、思い出せない。

 

次の富士は、東東洋(1755~1839)。これは今日のお目当ての一つ。東博にはほかにも東東洋の作品はあるのだろうか。

「漁村富士図」1834

何とおおらかなのでしょう。人はいないけれど、この日のうららかな空気に包まれていられる。

ふっくら丸々した松。

朴訥な家に、漁具。

点々と花をつける梅がほんとうに愛らしい。新しい枝のはつらつとした様子も、見ていてうれしい気持ちになる。

木には少し陰影があり、立体的に見える。ふっくらとした線描きも見ていて落ち着く。

牧歌的だなあ。東洋が遊歴していたときに出会った漁村の思いでだろうか。

80歳とある。晩年の作品。いい老境なのだな。楽しいと思える人生だったのだろうな。

無駄な線もなく、ほっこりした空気に満たされ。絵の中に入って、この中に座って、梅を見たり、山を見たり、空を見たり、ぼーっとしていたり、時に海風を感じ。今日は少し暖かい日だと思う。

いい画をみたなあ。

 

金井烏洲筆「月ヶ瀬探梅図巻 巻上 」1833

字も画もうまっ。月ヶ瀬に遊んだ体験をもとに描いたとのこと。写真もない時代、よくこんなにスケッチできるもの。

段々畑や竹林。山中の民家。

手前に木を描き奥行きが出る。

文人の家や水車。旅の思い出。

特徴的な地形も描いている。山は線のしゅんが入れられている。

文人風の住まいも。

 

 

本阿弥光悦の芥子下絵和歌巻 1633 は料紙の秘密?に気づいてよかった。少し角度をつけないと気づかない。

光の加減でようやく気付く、プラチナのごとき芥子の下絵。夜の灯り、日の光、どんなふうに浮かび上がるのだろう。

 

書の中では、烏丸光弘広の「詠草 」の、申し訳ないが掛け軸のほうに惹かれてしまった。白、紺、オレンジ。好きな色あい。

 

霊元天皇筆の和歌懐紙「亀万年友」 1700のほうは、大変豪華な装丁に目が点なほど。

蝶、彩雲、梅。軸にも紅白の梅。

 

小林一茶の詠草 19世紀 に、ほのぼの。

字が絵になっている。空気になっている。情景になっている。

 

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