hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

日展 2018年

2018-11-27 | Art

改組新第五回 日展 

国立新美術館 平成30年11月2日~11月25日

もう会期が終わってしまったけど、今年も日展を拝見。

この日の新美術館は、東山魁夷展がとぐろを巻く大行列だった。ショップも大混雑らしい。ボナール展は並ぶ人もなくすんなり入場できそうなようす。

日展は、日本画しか見られなかったけれど、受賞作は昨年とはずいぶん違った印象だった。

昨年は日記に、社会の浮遊感、つかみにくい若者の間によぎる感覚、そういう現代社会の断片を切り取ったような日本画、というようなことを書き残していた。

今年は、上手く言えないけれど、現代どころか時間を超えた、普遍なものを描こうとした受賞作が多かった気がする。こういうことを描いているのねなんて簡単に言えない、深淵さというか大きさというか。画家の方も、昨日今日の発想で描いたのではなくて、その容易ではないテーマに何年も取り組んでいるのかなと想像した。描くことと精神的なものとを一緒に追っているような。

以下、心に残った作品の備忘録を見た順に。(今年から記名なしで撮影できるようになったそうです)

松永敏「顔」(特選)

 画家自身?。学生くらいなのか、坊主頭の男子?が顔を並べ替えている。手の届く範囲に放射状に顔。何枚も切り取られた顔のスケッチは無表情だけれど、目や口のパーツを切り取った仮面のような顔のほうが、逆に何かを叫んでいるように見える。

実際の顔はどんな表情をしているかはわからない。もしかしたらにやっと笑っていたら、けっこう微妙な。顔の用紙は少し厚みがあるのだけれど、いつのまにか手より上にきているのは故意なのか気になる。

カッターの刃にドキッとするけれど、危ないほうに偏るでもなく、まんじりと不思議なところで保っている。

 

新川美湖「予感」(特選)

画像だとよくわからなくなってしまったけれど、墨の画に見入ってしまう。二年続けての特選はめったにないことらしい。

破れた無数の蜘蛛の巣越しに見る水辺のその先。空。暗雲。そのむこうに広がる無限の空間。明るさと暗さ。黒い羽にどきっとする。

「予感」ってなんの予感なんだろう?。気象と自然がざわついている。移ろいの予感?終わりの予感?それとも。

降り出した雨はもっと激しくなって、きっと蜘蛛の巣は見る影もなくなる。しばらくの時間見ていると、次第にコスモスの色が濃さを増しはじめ、湖や空が輝きを増して見えてくる。少し神秘的な体験だった。雨がやんで再び静かになった水辺も頭によぎって、自然の理を思ったりする。それにしても墨ってきれいでうっとり。

 

大崎多実穂「画室の花」(特選)

グリーンの同系色だけなのに、花も椅子も存在感を持って感じられるなんて不思議。たったこれだけのものが特別なものに見えてくる。近づくと、花も椅子も、実はとても強いものを放っていて、声が聞こえそうなほど。

 

猪熊佳子「風の森」(特選)

幾重にも重なる森の木々、葉、草。奥へ奥へと入り込める。さらに、かすかな気配、些細な音、木漏れ日、森のにおい、耳や鼻も澄ませたくなる。

多様性の保たれた健やかな森。どこを見ても、そこに生き生きした生命体があって。写実的に描かれているわけではないのに、幹も葉の一枚一枚も生きているような。

 

行近壯之助「崖」(特選)

圧倒されてしまう。明確な形が認識できないまま、国造り神話を思い出したり。崖から向こうに続く道が見え、神話の世界に続いているんだろうか。その向こうは原始的な燃える地。そこを単眼鏡で見たら、それはもう神々しくて、のけぞりそうだった。少し離れて見ると、崖の入り口に守り神のような獣と、踊り祈る巫女のように見えてきたり。

 

山田まほ「山ノ図」(特選)

山に雲がおり、風が吹きすさび、草樹をふき飛ばす。山と、山を囲む気。すさまじいエネルギー。どこの山とわからないのだけれど、この方の内部のエネルギーと融合され、一体となって吹きあがるよう。古来の山水画のエネルギーもすごいのがあるけれど、超えているくらい。浦上玉堂の山はうごめく。この方の山の本体はどっしりと動かず。この山の中からと周囲にまとうパワーを、一身にうけて描くっていうのは、相当パワフルでなくてはいけないんだろうか?それともしなやかでなくてはいけないんだろうか?

 

今年の特選の作品は、大きくて深い世界を描いたものが多い。私が深いって言ったら逆に浅く聞こえてしまうのだけど。日展の大画面の作品は、離れて見ても圧倒されるのだけど、近寄ってみるとすさまじいエネルギーが込められていることを実感させられる。ものすごい世界を作り上げられるものだなあと、画家の方々がまぶしく見えてしまう。

 

そんななか、これはほっこりする夜。

稲田雅士「静かな夜に」(特選)

 

横断歩道の信号と、家路につくおばちゃんとウインドウのワンピースは、もしかしてシンクロしているのかな?。ウインドウの商品もかわいくて、窓からはクロネコがのぞいているし。きっちり描いた街並みでなく、道路や屋根にはゆがみが許されていて、三角の空は狭いけれど星がとてもきれいに見える。いつものふつうなんだけど、少しずつ、楽しいことのある夜なのだった。

 

岩田荘平「蜜蜂の軌跡」

いつも極彩色の濃い画面が印象的なのだけど、今年は大きな余白。でも余白もしっかり、まるではちみつが固まった表面のような。しべから取って運ぶ花粉が、蜜蜂の軌跡として微量の金に。大きな余白は、本当は花の合間の小さな空間。この距離感は蜜蜂目線なのかも。

 

高増暁子「森の声を聴く」 

影がステキ・・。木漏れ日もささやく感じ。また富津のカフェと美術館に行きたいなあと時々思う。牛やキジもいたしね。

 

川島睦郎「翔」 

花でなく、花たちといいたくなる。鳥もかわいいなあ。上村松篁を思い出す。

 

成田環「月瀬の大杉」

幹の筋ひとつひとつが立っているというか。木は樹皮のところで生きているんだと、知床のネイチャーガイドさんが言っていたっけ。向こうの景色も深まって好きなところ。

 

樹皮ではもう一作印象的な作品も。

「久遠」西野千恵子

昨年も驚いた、この膨大な筆跡こそが久遠ではないかと思う。今回は一瞬ポップに思えたりもした木肌。古木からは若い枝が生まれて伸びあがっている。

 

膨大な作業では毎年感嘆する、池内璋美「映ゆ」

毎年見いってしまう。写真と写実の違いをしみじみ感じる。どの部分を見てもそこが立ち上がってくるというか。つまり、この方は、描き続けながら、どの細部にも長い時間目を遣っているのだ。

水面に写る上下の重なり、静かな波のしじま、柳の葉のずっと川の奥まで続く見通せる距離感。淡々とした静かな光景だけど、胸にせまってくるもの。

 

山本隆「伴偶」 老いた夫婦、これまでともに歩んできた厳しい。。なんと言っていいものなのだろう。

 

水野收「HIRUSAGARI」 

なんだかいいなあ。色も、簡略化された花や犬や鳥も好きなところ。サリーのおばあさんは目がよく見えないのだろうか。おばあさんの手に感じる子供の顔の感触、子供の顔に感じるおばあさんの手、子どもの手やすりすりしているイヌの顔にあたるサリーのやわらかさ。触覚を感じるような絵だった。

 

伊東正次「野仏図」

いくつかの作品で見た蝶や野仏。この蝶があちらの世界とこちらの世界を行き来する感じで、ではこの世界はどちらの世界なのだろう。仏教的な慈光のような光があたる石畳をひとあしひとあし踏んで入って行ったら。その先は絵の中には描かれず。一枚一枚の落ち葉さえなにか響いてくる感じ。

 

光の光景 海亀」土屋禮一

これまでのあしかやいるかも印象的だけど、今回は海亀。ぐいぐい泳いでくる、大きくて力強い亀。光が神秘的でドラマティック。

 

もうひとつの亀の作品もお気に入り。

「何処へ」佐藤隆太 

こちらは、”どこ行くのー?決めてなーい”、みたいな浮遊感。

与那国でシュノーケリングしたときに出会った海亀は、こんふうにゆら~んと通り過ぎていったのだった。なんとなくついていく感じの一匹の魚や、三匹で話し合っている感じの赤いフグ?もかわいいなあ。海中のほほえまし気な世界。

 

「二つの季 冬から春へ」藤井範子

芽吹いた季節と花が咲く季節。枝のスキマの空気感も、それぞれの季節で違う。赤い芽がかわいいなあ。があいだのスミレやわらびもいいなあ。

 

加藤晋「思い出せない忘れ物」 楽しみにしていた大好きな絵。最初にささっと1周して場所は知っていたけど、先に見ちゃうと足が止まって他の絵が見られなくなりそうなので我慢していたのだった。

なんてきれいな緑。でも遠い記憶のなかのような色。水田が広がる。少しずつ山がちになっていく。画家の私や個が先に立ちぐいぐいくる絵は多いけれど、ただただこれをこんなふうに描いてくれる絵ってなかなかないのだった。すごい。すうっと入っていける気がする。

 おお雲だ。ああっしっぽが。楽しすぎる。小鬼たちが!前にも絵のなかにいた小鬼たちだ!。また会えたね。とてもうれしくなる。絵の中で生きているってほんとうにあるのね。龍や風神雷神はのんびりしている。だからこちらもとってもなごむ。

加藤さんの絵には、深い深い緑の人里や山に、いろいろな生き物たちが暮らしている。あ、そこにひとり、あそこにも、と彼らに気が付いていくことは、ほんとうに楽しい。しかもみんなとってもかわいい。なかにはこっそり山並みにわからないくらいに紛れているのもある。そうすると、だんだん山の端、葉っぱの濃淡、なんでも動物かなにかに見えてきたりする。ウサギが走っているからにはどこかに亀が仕込まれているのではないかと捜してみたり。(16人(匹)は見つけたけど、他にもいる気がする)。

ずっとこんなふうにして人間は自然になにかを見て生きてきたのかもしれないと思う。登り龍なんて竜巻に神をみたんだと思うし。子どものころには、冬の初めに遠くの山に雪が降ると、白くガイコツの形が浮かび上がって、登校途中に皆で今日は不吉なんだよってことになっていたっけ。

それにしてもいいなああ。この前に布団を敷いて眠りたいぞ。このなかに入れて眠れるなんて夢のよう。まず小鬼たちを探しに行く♪。ちゃんと道も橋も描かれている。朝起きても幸せな気持ちだと思う

会場でも、幾人ものひとが、”あっ見てあそこ”と同行の方とニコッとなる。会場の中でここは幸せなスポットなのだった。

 

「水の音」木村光宏

はっと意識を向けるカワセミ。ススキやねこじゃらし、枯れ草に光が反射する。光の線と粒が踊るよう。

 

岡田繁憲「そば畑」 おおお、そば畑って見たことがないけれど、こんなに真っ白になるのだろうか。キジもいる

 

これ以外にも心に残った作、好きな作は、、

・「いっしょにいるしあわせ」時田麻弥「鼓動の旋律」戸田淳也(特選)「風韻」石崎誠和(牛と見る者との間の距離感が印象的。スーっと抜けていったような風の跡)・森美紀「燦雨」、・「蘇鉄綬」北川由紀恵(蘇鉄のかぶさるような量感が。)、・「鮭」坂本幸重(新聞の文字まで描いたのかな(!)鮭のうろこもミクロの世界(!)。金地にイカもいて、お正月セットを意識?新聞の見出しも新年っぽいような)、

能島浜江「寒山拾得」、・「空と海とのはざま」川田恭子、・「幻影の安土城服部泰一(安土城の再現は気になるところ。どこかから絵図が発見されないものか。人影はなく、馬が一頭だけ駆けている。滅亡しそこねたのか?)、・諏訪智美「兆し」(毎年水中と魚を楽しみにしている。水中のほの暗さがいいなあ。)、・東俊行「碧」、那須勝哉「姿見の池」(少しシュールな雰囲気。鯉、カモ、それぞれの動きがなんとも。)、

・「遡上の舞」平戸孝、・「時空巡り童子(遥かなる認識への旅)」間瀬静江(金箔の上に塗り重ねた背景に、かたつむり、ミジンコ、ナマズ、てんとう虫、とかげ、、)・「たどり着いた町」中村文子(すてき・・)、「暮れゆくとき」村居正之(暮れきる直前の暗さ、灯りが特に好きなところ)、「漁火」山田毅(海上の月と満天の星空!)、

・福田宏之「FIELD LINE ススキ」(セザンヌを思い出したり)、「花たちの宴」佐久間香子(菊(!))、北川咲「積」(トタン板が。。。壁の雰囲気がすてき)・・

 

時間が無くなり、日本画すら全部は周れなかった。もし時間があってももう頭がいっぱいいっぱい。でも好きな絵に出会えて、今年も楽しい一日だった。