はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博「博物館に初詣 犬と迎える新年」

2018-02-10 | Art

東博「博物館に初もうで 犬と迎える新年」 2018.1.2~1.28

1970年以来の大寒波で、すっかりお正月気分も抜けてしまっているけれど、先日行ってきました。

その年の干支の特集のコーナーが例年の楽しみ。数年を思い起こしてみると、サルではサルの群れの楽園感、トリでは美しさと装飾、とその動物の持つ特性によってどうモチーフとしてきたかが、毎回展示から伝わってくる気がします。

では今年のイヌは・・、

”ペット感”が全体に満ち溢れていました。サルにもトリにもない、身近さ。ネコがいない以上、干支の中では一番身近な動物かもしれません。

縄文時代にはすでに人間は犬と暮らしていたのだそう。先日行ったブリューゲル展でも、犬がペットとしてそこここに登場していましたっけ。

以下、備忘録です。

一室目は「いぬとくらす」

古来より日常の暮らしのなかに、さりげなく溶け込んでいる犬たち。ひとのそばに犬を一匹描きこんでおくことで、ぐんと穏やかさや安心感が増す。地味に効果的なアイテムなのかもしれない。

●中国、朝鮮半島の画から始まっていた。

桃源郷を描いた各シーンにも犬が一役かっている。点みたいに小さく存在しているイヌも、意地で探し出しましたよ。

桃花源図(韓画帖のうち) 金喜誠筆 朝鮮18世紀 桃花源記を描いている。漁師が村人にあたたかく迎えられている。

 

右と左のページに一匹ずつ、クロ犬のかわいいのが人間たちの村社会に溶け込んでいる。中国の仇英の影響とのこと。

 

仇英では、狩野養信が模写した「西園雅集桃李園帰去来図(模本)」1814年(原本は仇英、明代16世紀)も展示。「模写魔」の養信、昨年来、見るたびほんとに模写ばかり出てくる笑。しかも労苦を厭わず、丁寧。

あれ?犬はどこにいたんだろう?

 

桃源問津図 4幅(8幅のうち) 馬元欽筆 清時代・順治11年(1654)(写真不可)も、桃花源記を描いたもの。桃源郷の住人に迎えられるシーンに、やっぱり犬がいる。個人的には三幅目、雪景色のなか、女性が渡る橋の下にイノシシがいたのが気になっている。ちゃんとふたまたに分かれたひずめも見えたし、確かにイノシシだと思うんだ。

 

山水画にもイヌは登場。

伝夏珪の山水図 南宋~元時代・13~14世紀  経年で見にくい中、元気よさそうなのを探し出しました。

夏珪はこの画に(多分)人の姿を描いていない。でもイヌがいるだけで人が住んでいる気配がする。このイヌは帰ってきたご主人に気づき、しっぽをびゅんびゅんさせているのかな。

 

っていうか、こんな小さな犬を探し出してきて展示する東博の学芸員さんたちがすごすぎる!。あの絵にイヌいたなあって全部覚えているんだろうか⁉

隣の伝姜希顔(朝鮮15世紀)の山水図にも、こんなに小さいのをよく…。ミニチュアダックスフンドっぽく足が短くてかわいい

これは明の戴進の影響がみられるとのこと。戴進と同世代の文人画家・姜希顔(1417~64)は、北京に派遣され明の宮廷画に感銘をうけたそう。

 

そして、日本の画へ。まずは浮世絵から。

●美人画にはかわいい愛玩系が定番らしい。美人とイヌとのたわいなくも愛すべき日常。

橋本周延「江戸婦女」明治時代・19世紀には、鮮やかな着物の美人とおしゃれなイヌが描かれている。

田村水鴎「婦女図 」18世紀では、寝ているイヌ。平和だ。

至信の「二女図」18世紀は、かごの下に寝ている犬を発見したのか?、捕まえようとしているのか?。

魚屋北溪の「五金之内・銅(狆洗い美人)」19世紀は、美しい着物の袖を大胆にまくり上げ、けっこうドスのきいた表情でチンを洗う美人の素の姿に、ある意味脱帽。カレイがつるされているのも好きなところ。

 

●母子のふれあいにも、イヌがまじる。

鈴木春信「犬を戯らす母子 」18世紀は、ネコじゃらし風

 

喜多川歌麿「美人子供に小犬」1806年には、宗達や応挙みたいな、二種のころんころんタイプ。

 

●広重の鮮やかな浮世絵の街角にいるのはノラ犬。ノラさんたちの存在を無視することなく、すくいあげている広重が意外でもある。

歌川広重「名所江戸百景・高輪うしまち」1857 食べたあとのすいかの皮が・・。これを西洋画で描いたなら(そもそも描かないか...)真逆な印象になるであろうリアリズム。広重のいたいけな犬たちに移入してしまう。

 

歌川広重「名所江戸百景・猿わか町よるの景 」1856 月影と、通行人たちの影が印象的。ノラ犬たちにも等しく影があり、人間と同じレベルで後ろ姿が語る。

 

●街の雑踏の中にも。

菱川師宣「北楼及び演劇図巻」17世紀 寛文末から元禄までの年紀を持つ吉原遊郭と歌舞伎の光景を集めたもの。吉原へ続く日本堤のあぜ道にイヌがいる。17世紀の吉原、門を一歩出れば当時はこんな田園だったのね

 

鍬形蕙斎の近世職人尽絵詞 下巻 18世紀は、いろいろな職業が面白すぎて、イヌを探すのを忘れてしまった。羽子板、イセエビなどお正月のためのいろいろなものを売り買いする街の雑踏。

 

●仲良しなばかりでなく、博物学的視点を向けられたイヌの姿。背景には江戸時代中期以降の博物学への関心がある。

唐犬・ムクイヌ(随観写真のうち)1757年は、幕府医学館で本草学を教えた後藤光生の編。後藤のヘタウマな画力ゆえか、妙に印象的なイヌ。浦上玉堂ら文人たちとの交流でよく名を目にする木村蒹葭堂の旧蔵というのが興味深い。蒹葭堂はオランダ語が得意で、博物学ほか幅広く興味を持つ「浪速の知の巨人」。

 

狆(ちん)(博物館獣譜のうち)博物局 江戸~明治時代・19世紀 中国やオランダによって長崎にもたらされた外国イヌ。そういえば南蛮屏風にもかなりの確率で外国イヌが描かれている。展示では、オランダ産と記載された4頭が展示されている。牡と牝、大きさまで記して写実だけど、なんとなくかわいいなあ。今の「ちん」っぽくないのだけれど、シーボルトは、戦国から江戸時代にかけて北京狆がポルトガル人によってマカオから導入され、現在のに改良されたと解説している。南蛮船によりもたらされた小型犬、または日本で品種改良が進んだ犬をあわせて、開国するまでは小型犬のことを狆と呼んだそう。

 

最後に、どんと「獅子」が鎮座していた。彼は、東博の草創期の1896年の蒐集品。東博のヌシなのね。

耳がツノの小鬼みたいで、怖かわいい。と思ったら、胸のあたりが赤い着色が残っており、なんか凄惨な現場を見ているようで、ちょっとぞくっ。

彼については、19世紀江戸時代、木製、長野の中野氏から寄贈されたとあるが、詳しい出自は記載されていない。それまでいったいどこにいたのだろう。

彼の後ろ姿も黙して語らず。

 

 

**

二室目は「いぬのかたち」

●彫刻や工芸

立体化しても、イヌはとってもかわいらしい造形になっていた。龍や鷹の工芸品とは正反対なアプローチ。

江戸時代の水滴  かわいい

佐世保の三河内焼(平戸焼)の染付香炉 の犬は、このおばかっぽいとこがかわいい

と思ったら、あなどれない美しさ。背中には菊の彫塑と絵付け。純白の肌は、天草石。

 

後漢の緑釉犬(2~3世紀)もとってもかわいい 螺鈿のような光沢だった。

わううん

でも彼の役割は、墓守りか、冥界への案内人らしい。

1089ブログには、首輪と胴のベルトは、多産の象徴とされるおめでたい子安貝で飾られた凝った意匠で、飼い主から彼に注がれた愛情の深さが感じられます。中国では古くから犬を表した工芸作品が作られましたが、これらは墓を守る番犬とも、死者を冥界へ導く犬とも言われています。
人間の最も身近な友人として、死後の世界においても犬と共にいたいと願った当時の人々の心情が偲ばれます。

 

鎌倉時代の板彫狛犬(12~13世紀)は、経年によって風化した木肌が心に残る。

奥行きのない社殿で神体の隣に立てかけられていたと想像されるとのこと。本館の開館翌年の1883年の購入ということなので、こちらも東博のもっとも古株なのね。ヒノキから彫り出した顔や体のふくらみ、名も残らないこの彫師の作品は、他に現存してないのだろうか。

 

●絵

江戸以降の屏風や掛け軸に、主役として描かれるイヌは、皆がほぼ一様に「かわいい」方向を目指しているのが印象的。宗達のイヌを踏襲したような、”ころんころん+たれ耳” の仔犬。

 

宗達より以前に、イヌが主役の「かわいい」イヌ絵はあったのだろうか?。元祖は宗達なのだろうか??日本独自のものなんだろうか?

と、素人の積年の疑問を抱えていたところ、南宋の李迪の犬が、ころんころんのたれ耳だった(!)。

李迪「狗子図(唐画手鑑 第二帖のうち)」南宋時代12世紀 を、17~8世紀に狩野常信(1636~1713)が模写。ころころ+たれ耳の仔犬のかわいさに注目しつつも、応挙以降のようにそこまでかわいいでしょアピールはしてこない。 

模写だけれども、しっかりとした筆目に、目線も強く、常信の画力と精神性を感じた絵。そとぐまの白い毛部分は、並みを一本一本丁寧に描きこんであった。

 

英一蝶(1652 ~1724)(好きなので嬉しい)「子犬図(雑画帖のうち) 」(大倉集古館蔵・写真不可)でも、まだまだそこまでかわいいアピールはないのだけれど、複数匹が固まって寝ている分、かわいく平和な感じになっていた。 

 

複数匹のイヌだんごの”寝姿”では、南宋絵画の模写したものがあった。一蝶より後の時代だけれど、狩野派出身の一蝶なら中国由来の寝ているイヌ絵を目にすることがあっただろうか?。

群狗図(模本) 義文(生没年不詳)模写 1794年、原本=毛益 南宋時代・12世紀  寝顔がかわいいい~。笑いながら爆睡している。

寝姿では、礒田湖龍斎(1735~)の掛け軸、「水仙に群狗」18世紀も、こんなふうな”にっこり眼”で、イヌだんごを形成。こういった感じが人気であったのでしょう。

 

”ころんころん”の元祖か、”中興の祖”か、わからないけれど、このかわいいイヌ人気を不動のものにしたのは、応挙なのでしょう。弟子たちもこういった戯れるイヌをたくさん描いた。

円山応挙「朝顔狗子図杉戸 」1784

 

歌川広重の「薔薇に狗子」(19世紀)は、花鳥にイヌ。広重は花鳥画では、四条派の影響を受けたけれど、イヌもだったのね。一室目の展示で、ノラ犬さんたちに優しい目を向けた広重だけれど、花鳥との取り合わせもとっても愛らしい仔犬だった。

 

この展示室のかわいい流れを一転させたのは、しゅっとした洋犬。ここにも李迪の模写が(!)。

「犬図」安倍養年(生没年不詳)模写、原本=李迪筆 江戸時代・天保11年(1840)、原本=南宋時代・12世紀 微妙に李迪の筆致から離れているのではという疑念も沸くけれども、雰囲気は伝わる。洋犬の大人犬はあばら骨が重要ポイントなのかな。母の献身か?。

 

明代の洋犬の模写にも、あばら骨が線描き。

「竹犬図」西山養之(生没年不詳)模写、原本=辺景昭筆 江戸時代・文政7年(1824)、原本=明時代・14~15世紀 

 

竜眼のような、あはれを感じるような。

 

日本では洋犬の絵は、これらの模写よりもっと早い時期、江戸初期から、雲谷派や長谷川派で描かれたそう。そういえば、摘水軒記念文化振興財団の所蔵品で見た長谷川等いの洋犬図はインパクトがあった。

酒井抱一「洋犬図絵馬」1814 (写真不可)の洋犬は、鶴ケ岡八幡の雲谷派を参考にしたとのこと。発注は、江戸の料理屋「八百善」。当主の干支ということ。大きな黒犬と、小さめの赤い犬。鎖も鈴も立派だった。

 

この流れにあって、明治の意外な大家二人がかわいい系を踏襲しているのに、目が点。ムリしてかわいくしなくてもって思わないでもないけど、やっぱりすごい。

竹内栖鳳「土筆に犬」明治時代 栖鳳のほのぼの系って珍しいような不思議なような。でも仔犬のぽっちゃりした身体すらも、画面から飛び出てきそうな躍動感なのが、さすが。

 

柴田是真「狗子」明治時代 是真まで、かわいい方向に寄せて描いている。是真の見事な筆使いで形どられた仔犬が、なんかアザラシ…。しかも少女漫画みたいな眼とはいったいなにごと?。ぱらぱら画集をめくると、柴犬や桃太郎の犬やいろいろ描いている。そしてイヌに限らず、是真は時々意表を突くような不思議ワールドを生み落としている。

 

普段はネコ派の私ですが、イヌ絵はとてもほのぼのした気分になれました。