11月5日で終わってしまったけれど、東京近代美術館のコレクション展で、田村彰英さんの写真が展示されていた。
MOMATコレクション田村彰英「午後」シリーズ展示
8/15~11/5まで3F9室にて
この日の近代美術館は、東山魁夷の特集。「道」も展示されていた。
東山魁夷「道」1950
解説の要約:青森の種差牧場に取材して描いた。余計なものを省いて単純な構図にまとめることで、心象風景に高めている。魁夷は「遠くの空を少し明るくし、遠くの道がやや右上がりに画面の外に消えていくことによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」という。戦後の日本の再出発への希望が託された絵。
一度実物を見たいと思っていたのに、この日はこの絵にぴんと来ない。その日の気分によるし…とちょっと残念に思いながら、先へ進む。
それから写真ルームで、魁夷に似た構図の写真に出会った。
田村彰英「午後」より 1971
魁夷の道にはピンと来なかったのに、この「道」にはずんと引き付けられた。
おそらく、歩いている自分を感じる写真だったからなんだと思いあたる。私は、真夏の強い光にさらされた道の上にいる。足元にその実感がある。
写真の目線も、まさに私の目線と違わない。
その現実感。
いやでもなんでも、何にもないつまんない道でも、私が何者であっても、とにかくもうこの道を歩いている。
明確なモノクロの対比は、余情をさしはさむ余地もない。そこになにか特別なドラマなんてない。
道の上にいる自分。それ以上でも、それ以下でもない。
それだから、惹かれた。
なんだかね...最近現実どっぷりだからね...。
魁夷の道は、抒情的で、目線は人間の背丈より少し上のほうなので、人間の足で道の地面を踏んでいる感じがしない。だから今の私にピンと来なかったんでしょう。
解説にあったように、魁夷の道は、戦後の希望を「託した」絵なのだ。
託した、と、自分が歩いてる の違い。
総論 vs.各論 みたいかな。
はるかな日本の希望、と、大きな考えはまた別にして毎日のことでただ歩く。の違い。
魁夷の道は、道のど真ん中に目線がある。その先は少し曲がっているけれども、足元を見ると、その重さ。歩いている目線でなく、道を見る目線。
田村彰英の道は、道は少し画面の右にふれ、しかも立っているのはその道の左寄り。重圧はない。向こうからは淡々と歩いてくる人もいる。ただそれだけのこと。そこにこそある、乾いたやすらぎ。
もしかしたら、魁夷の道に重荷を感じたのかも。希望っていう大きなもの、遠い遠い先まで続くこと。茫然とした不安。いまの私にはムリ・頭に入らない。
きっと魁夷はそんなつもりで描いてはいないのだろうけど。魁夷は、何の押し付けもなく、個人的な要望も排して、この道を描いているのだろうし。いつか魁夷の道が、じんわりと響く時もあるかもしれない。それまで、ごめんね。
ともかくも、田村さんの写真、なんというか、言葉に置き換えるのに窮するけれど、いいなあと思う。大げさなものもなく、声高に叫ぶなにかもない。
(解説)社会的な意味が重視された当時の写真界にあって、風景に対し、半ば抽象的にその感覚のみをとらえようとする手法は田村独特のもの」と。
今私が感じるよりも、当時の重圧の中ではもっと安らいだかもしれない。
「午後」シリーズは、1971〜73年の美術手帖の中扉に掲載された、30点の写真を中心に構成された。
なにということもなく、よぎって、通り過ぎていく感覚。
米軍基地をイメージさせる写真もある。
べトナム戦争、70年安保の時代に撮られたのに、政治的、社会的な様相は感じられない。それは当時に批判の対象になったこともあったそう。
「71年にこの写真を撮り始めたころは、特にものが写っているというのが嫌だった。70年安保のシンドかった時代を通った後で、重いものと何もないものが交錯するあたりで撮っていた。」
イデオロギーや声高に叫ぶ時代にも、普通に、現実的にあるものを、無機質にカメラを通して平面におとす。
大きな矛盾。
でもそんなもの。武器にも基地にも、美しい風景はあってしまう。
現実感のなかに、軽いやすらぎ。乾いた包容力。
どうしてかなと、写真を見返してみて最後に思ったのは、田村さんの写真のなかに、大きな分量の空があるからかもしれない。
わざわざ見上げるのではないけど、広やかな空。無意識のさらにその基底を満たす感覚。
魁夷の「道」の絵との重荷感の差は、空の量もあったかもしれない。