日展 新国立美術館 2016.10.28 ~12.4
先日行ってきました。今年もいくつか好きな絵に出会えたので、備忘録を少し。(平日は申込書に記名すれば写真可です。)
「野仏図」伊東正次
羅漢なんでしょうか?耳をふさいでいる野仏は、どことなく困ってるみたいでかわいい。光がさし、黄色い蝶に気付いた。踏みしだく枯葉の山道に、通り過ぎた人の気配。野仏も判別しがたいくらい木々に溶け込んで、彼ら自身がいつか通り過ぎた人のような気がしてきた。
仏様の世界と、人の歩く世界が別のものではなくて、ふとチューニングを合わせれば、交錯することができるのかもしれない。蝶はどちらの世界に住んでいるのだろう?いったりきたりしているのかも。
じっと見ると、ひたすら描き続けたような鉛筆?の線が、無数に画面を埋めているのに驚いた。底なし沼に沈み込みそうなほどの線。どれだけの時間、鉛筆を動かし続たのだろう。
大きな絵なので上のほうの野仏さまがよく見えなかったのが残念。脚立貸してくれないかな(無理か)。もういちど見たい絵。
「遠い遠い近く」加藤晋
こんなに農村で育ったわけではないけれど、子供のころはこんな中で生きていた。手前には遠く隔たってしまった時間のような湖があり、でもちゃんとあの家への道がついている。
重なる山々が夢のように美しくて、どこか朴とつに描かれた森の木々にじんわりしていたら、
こっそりいろいろなものが忍ばせてある!。龍、とら。そしてわからないくらい小さく、天狗だったり青鬼、赤鬼、うさぎ、いぬ・・ネタバレになったらいけないのかな。でも点みたいなひよこちゃんなんか見つけたときは本当にうれしかった。
楽しい時間でした。これもまた見たい絵。
「雪餘」土屋礼一
墨絵の突然の出現に驚きました。木の精気が闇の中で内から放っているような。この気に打たれてみたいと思った。雪をまとった人の肢体のようにも見えてくる。暗闇に目が慣れると、朱や緑のかすかな色を放っていた。この木の奥に広がる闇が深くて、でも怖い感じじゃなく、濁っていなくて。奥へ奥へどこまでも深くて美しいです。
これは他の絵もみたいなと思いましたら、画像で見る限りですが、浄龍寺という禅寺の襖絵が素晴らしそう。この方が描く龍図を見てみたい。
ほかにもひかれる絵、参考にさせていただきたい色や書き方の絵などたくさん。
「畏怖」山内登喜雄、尾が重量感ある孔雀。若冲も応挙も岡本秋きも孔雀に神秘や生命を見る。この絵は、尾がざらついた岩肌のようで、宇宙のように感じたのはなぜか?。火星の表面のようだったからかな。
「雪花の森」稲田亜希 一見ファンタジックな絵のに、木の幹の荒く強い筆致に見とれた。日本画の魅力のひとつは私にとっては筆致だと改めて思った。そこに散る真っ白な雪の花はパタン化されていて、素敵だった。
「善悪の交錯」谷川将樹 せめぎあう感情が爆発するよう。狼の間に人の手が。特に狼の眼は内なる慟哭のようで、通り過ぎることができなくなった。
「風音」森美樹 枯れたものがこんなふうにひょうひょうとしている絵、好きだな。昔の日本画や水墨は余白に入り込めるのが魅力なんだけど、今頃の多くの日本画はしっかり描き込んでいて余白がないのが寂しい(涙)。でもこの方の絵は余白が多くて、しんとした耳に風の音が聞こえそうだった。
「朝ー大坪の里」高増暁子 ホルスタイン♪。のどかでちょっとシュールで。千葉でカフェと美術館とを併設されているようなので、いつか行かなくては。
「朝の始まり」東俊行 ト音記号みたいにそかすかな動き。そっと目を覚ましていく波動のような。
「Demeter and Kore」藤島大千 美しい二人。娘は無垢な瞳、母はこれから来るできごとを予感しているかのような陰のある瞳。手や足の線描が仏画みたいに美しくて、見惚れること。筆ネイティブ。
きりがないので、この辺で。
毎年見ていると、今年はあの方はどんな作品を出されているのかなと楽しみにもなります。また、初めて知る方の絵になんの先入観もなく出会えるのが、うれしい。
今年は時間がなく日本画しか見られなかったけれど、工芸も感嘆する作品が多いので、来年に。