サントリー美術館「エミール・ガレ」2016.6.29~8.28
エミール・ガレ(1846~1904)の生誕170周年。
花器「草花」1890頃
ガラスの瓶や花器もさることながら、ガレの絵にひかれました。
学術的にも植物学者として地位を築いていたガレ。葉やしべの付き方まで、繊細に見つめ、細密に描きとっていました。
そして神秘的。花の小さな声を聴いているかのような。これはガレの「愛」なんでしょうか。
ガレといえばガラスなのだけど、ガラスのためのモチーフを植物に求めたのではなく、すべてはこの植物への愛から始まり、植物と相通じ会い、ガレが受け取った神秘が、家業であるガラスに投影されて、形を持った。ガラスはガレの自然界から得た新鮮な感情を具象化する立体のカンバスとなったのかと、頭の中がぐるりと回転したのでした。
ガレの家はロレーヌ地方、ナンシーの花市場の真ん前にあり、母親はじめ家族は花を愛し、家の中にはいつも花があふれていたという。
子供のころに家庭教師とともに読み解いたという本が、ファンタスティックに満ちていました。
「生命を与えられた花々」1847(タクシル・ドロール著 J.J.グランヴィル挿絵)
ぶどうの葉のキャミソール!に、あざみのドレス!。
水仙の精と話しているのは、ヤモリ?なぜ埋まっているんだろう?
ストーリーがわからないのが残念だけれど、グランヴィルの挿絵がとても楽しくて魅力的。
小さい絵だけれど、花の精の顔までも美しい。肩のラインなど妖艶ですらあります。
画像で他の絵も観てみたら、グランヴィルワールドにうっとり。グランヴィルは風刺画家だけれど、ナンシー生まれ。しっかり花好きの根っこがあったのです。(グランヴィルの回顧展がないかと思いましたら、2011年に練馬美術館であったのですね。この絵と同じく鹿島茂さんのコレクション。)
ガレはこの本で文字を覚えたという。こんな本を幼少期に見てしまったら、森や田園の神秘の世界が、心の根幹に刷り込みされているのもわかる気が。
ガレっぽくないのかもしれませんが、好きな作品 水差し「葉」1890
ぶどうは、熟しきっています。豊潤なワインの香りがしそう。
「神秘の葡萄」1892
葡萄の球の一つ一つが生命力を発してます。個人的には、この栓のところがとても好きです。さわってみたい。
一方で、生命の終わりにまつわる気配も。枯れた葉。
「習作 銀杏、日本の楓の葉」
習作「六枚の枯葉」
習作「二枚の葉」 一番心に残った絵。
落ちた葉を拾い上げ手に取った、ガレの心情も映し出しているような。リアリズムの中にあって、なんだか優しい。
ガレは21歳の時にパリ万博で日本の工芸に触れ、コレクションもしていたらしい。「日本の芸術家たちは、自然に対する情熱によって、無意識のうちに森や春の喜びや秋のあわれといった、真の象徴を表している(要約)」と。そのままガレ自身の姿のよう。
壺「枯葉」1900 ガラスですが(被せガラス、プラチナ箔挟み込み)、日本の陶磁器のような味わい。無常のひびきが舞っている。
ガレはどの作品においても、制作工程に手を加えることはなかったようですが、細かく指示を出し、心情をガラスの中に実現。それを可能にしたのは、ガラスを始めとする工芸の盛んなロレーヌ地方の技術力の高さ。
そしてナンシーという町も興味ひかれるところ。
先ほどの風刺画家グランヴィルもナンシーの生まれ。
そして、父の代からガレ家と家族ぐるみの付き合いであり、16歳のころからガレとコラボしていたヴィクトル・プルーヴェ(1858ー1943)の絵も素敵でした。
ヴィクトル・プルーヴェ「習作 ふたつの運命の女神のアレゴリー」(部分)1884
ガラスの杯にしあがったら、いっそういい感じに。
「運命の女神」1884
プルーヴェが描いたガレの肖像画も、小さくてよく見えないけれど、なんだかいい雰囲気。
これを書いてる途中で知ったのですが、先日行ったポンピドーセンター展の1924年の「リクライニングチェア」がプルーヴェの息子、ジャンの作。
1901年に生まれた彼にジャンと名付けたのが、ガレ。(ジャンは、ナンシー市長を務めたりしたそうだけれど、ポンピドー図録では家庭の経済事情で学業を続けられなかったとある。1904のガレ亡き後、プルーヴェ父の絵はあまり売れなかったのかな?)
ナンシーという町でガレの世界が育まれ、彼の地域への貢献がさらにナンシーの芸術性を広げ、深め。他のナンシーの多くの芸術家たちとともにアールヌーボーの一つの中心エリアとなり、ぐるぐると渦をひろげていく。
この展覧会は、キノコで締めくくられていました。
ランプ「ひとよ茸」1902
ヒトヨダケは傘をひらいたら、夜の間に一夜でとけ落ちる。画像を見たら(こちらの「きのこの時間」さんのページなど)、かさの端から、じゅわじゅわ黒く溶けていました。。
会場はこの付近は暗くはしてあったけれど、すべての照明を落としてこれだけにしたら、もっと夜の森の気配と、この生命の炎のような色を感じたかも。
ガレのヒトヨダケは、すでにはじから溶け始めている。溶け落ちて下に黒くたまり、そしてまた新たなヒトヨダケがのびだし。この三本で、輪廻転生のように繰り返すそのエンドレスなサークルを表現しているよう。
この作品の1902年には白血病は悪化し、1904年に亡くなる。いつから白血病の診断があったのかはわからないけれど、1900年の絵や作品の半分くらいには、病の影が落とされているように感じました。そしてどれも幻想的に美しい。
脚付杯「蜻蛉」1903-04 すでに死を予感し、友人や親族に贈ったものだそう
水から生まれ出で水に戻るようでもあり、死によりこの杯のなかに自ら入っていったようでもあり。
展覧会の感想にしては偏ってしまいましたが、ガラスに関しては、実際に手に持ってみたかったし(どうぞと言われても落としたらと思うと恐ろしくて持てないけど)、いろいろな光に透かしてみたかったほど。これなど特に。
花器「蟹・海藻」1900 バルタン星人風のフォルムに金の砂底、ゆらめく海藻。
この展覧会は五章(Ⅰ.ガレと祖国、Ⅱ.ガレと異国、Ⅲ.ガレと植物学、Ⅳ.ガレと生物学、Ⅴ.ガレと文学)の構成。各章が、ガレがなにから影響を受けてきたかが興味深い展示。それぞれの視点のドアを開けたその向こうに、また世界がひろがっていたのですが、ひとまずここで。