まさに万事休すかと思ったとき。
目の前に、ぱらぱらと埃《ほこり》と木くずの雨が降ってきた。
なんだろうと思う間もなく、ばきばき、めりめりっ、と派手な音がして、壊れた木材と一緒になって、人間が降って来た。
あっと声をあげることもできなかった。
降って来た人間は、剣を一閃させると、徐庶と大男の前に割って入ってきた。
そして、風のようにくるりと身をひるがえすと、迷うそぶりもなく、大男のどてっ腹に、手にしていた剣の切っ先を突き立てる。
大男は呆然と、おのれの腹に深々と突き刺さった剣を見つめた。
それから、がふっと血を吐いて、その場に崩れ落ちた。
「て、敵だっ、こっちにも敵がいるぞっ」
鍾獏《しょうばく》が慌てふためいて叫ぶが、応援がやってくる気配はない。
床に転がったままの徐庶は、唖然として、突如としてあらわれた助け手の背中を見上げた。
その頼りなさそうな、やせっぽちの背中。
その者は、顔を頭巾で隠していた。
振り向くと、その顔を覆っていた布をずらす。
そして、にっ、と人懐っこく笑った。
「元直さま、ご無事でなによりです!」
「おまえ……」
梁朋《りょうほう》だった。
皿洗いの少年・梁朋は、表情をふっと消すと、鍾獏のほうへ向き直る。
鍾獏は自分も大男と同じ運命をたどるのだと気づいたらしく、大男の落とした焼き鏝《ごて》を拾い上げると、めちゃくちゃに振り回しはじめた。
「来るなっ、あっちへ行け! わたしはただ、都督に命令されただけだっ」
梁朋は、無言で剣をかまえ、鍾獏にゆっくり近づいていく。
一気に襲われるよりも、よほど恐ろしい思いをしているらしく、鍾獏はひいひい言いながら、焼き鏝をいっそう大きく振りまわした。
と、逃げ回っているうちに、火桶に足が躓く。
「危ないっ」
徐庶が思わず叫ぶが、間に合わなかった。
火桶のなかにあった熱せられた炭や燃えカスが、地面にどっとぶちまけられる。
そして、その中に突っ込むようにして、鍾獏の身体が倒れ込む。
鍾獏は熱さにはじかれるように起き上がろうとしたが、それよりさきに、鍾獏の衣に火が燃え移った。
「う、うわあああああっ」
鍾獏は慌てて、動き回る。
しかし火の勢いは激しく、あっという間に鍾獏の全身を焦がしていった。
悲痛な叫びが拷問部屋に響く。
ものすさまじい焦げた臭いがあたりに漂い、さすがの徐庶も思い切りむせた。
吐き気もするし、視界は煙いし、ひどいものだ。
やがて、鍾獏は真っ黒こげになってその場に崩れ落ち、動かなくなった。
この凄惨な状況においても、梁朋はまったく動じることなかった。
かれは拷問部屋の壁にかけられていた器具のなかから手斧を取り出すと、素早く徐庶の手枷《てかせ》を打ち壊した。
「さあ、早く逃げましょう!」
言いつつ、傷ついた徐庶に肩を貸す。
徐庶は驚きの連続で、生返事しかできない。
これが、ほんとうに、あの痩せっぽっちの梁朋だろうか。
何度もまぶたをぱちくりさせて、目の前の少年を見るのだが、どう見ても、やはり梁朋なのだった。
「どうなっているのだ」
「詳しくは、あとでお話します。さあ、早く外へ! 曹操の応援が来ちまうとやっかいだ」
梁朋にうながされて、けんめいに足をうごかす。
そして拷問部屋の外に出て、徐庶はまた驚くことになった。
拷問部屋の外に配置されていたとおぼしき衛兵たちが、梁朋とおなじ黒装束の一団と激しく戦っていた。
衛兵のうちの目のいい者が、徐庶と梁朋が部屋から出てきたのを目ざとく見つけて、
「逃げるか!」
と大音声をあげて斬りかかって来た。
剣を両手で振り上げてくるその男にたいし、徐庶に肩を貸している梁朋はすぐには動けない。
その代わり、徐庶をかばって、覆いかぶさろうとする。
逃げられたと思ったのに、と徐庶が悔しく思っていると、梁朋を|袈裟懸《けさが》けに斬ろうとしている男の手が止まった。
縄鏢《じょうひょう》が絡みついたのだ。
縄鏢を投げつけたのは、やはり黒装束の一団のひとりで、かれは、
「おまえの相手はわたしだっ」
と言いながら、素早く衛兵に斬りかかっていく。
さすがに曹操軍の衛兵らしく、縄鏢に絡みつかれてもあわてず、力任せにそれを引いた。
衛兵は剣を持つ手を入れ替えて、斬りかかってくる相手をいなす。
それからは激しい剣戟のはじまりだった。
小柄な黒装束の人物は、大柄な衛兵に、一歩も退かない。
どころか、その華麗な剣さばきで、相手を翻弄し始めている。
仲間の衛兵がやってきて、劣勢をくつがえそうと二人がかりで斬りかかるが、それでもなお、黒装束の人物はひるまない。
剣だけではなく、足蹴りも有効に使って、相手を徐庶たちから退き離そうとしている。
さらには、黒装束の人物は、周りがよく見えているらしく、梁朋に叫んだ。
「このままこの場は、わたしたちに任せろっ! おまえは行くのだ!」
「で、でも」
「いいから行けっ」
叱咤されて、梁朋が徐庶に肩を貸したまま、動き出す。
徐庶は張允に強かに蹴られて痛むろっ骨を気にしつつ、けんめいに動いた。
振り返ると、黒装束の一団が、どんどん衛兵たちを圧倒しているのがわかった。
しかし、ここは要塞の真っただ中だ。
このまま騒ぎが大きくなれば、応援がつぎつぎとやってきてしまう。
つづく
目の前に、ぱらぱらと埃《ほこり》と木くずの雨が降ってきた。
なんだろうと思う間もなく、ばきばき、めりめりっ、と派手な音がして、壊れた木材と一緒になって、人間が降って来た。
あっと声をあげることもできなかった。
降って来た人間は、剣を一閃させると、徐庶と大男の前に割って入ってきた。
そして、風のようにくるりと身をひるがえすと、迷うそぶりもなく、大男のどてっ腹に、手にしていた剣の切っ先を突き立てる。
大男は呆然と、おのれの腹に深々と突き刺さった剣を見つめた。
それから、がふっと血を吐いて、その場に崩れ落ちた。
「て、敵だっ、こっちにも敵がいるぞっ」
鍾獏《しょうばく》が慌てふためいて叫ぶが、応援がやってくる気配はない。
床に転がったままの徐庶は、唖然として、突如としてあらわれた助け手の背中を見上げた。
その頼りなさそうな、やせっぽちの背中。
その者は、顔を頭巾で隠していた。
振り向くと、その顔を覆っていた布をずらす。
そして、にっ、と人懐っこく笑った。
「元直さま、ご無事でなによりです!」
「おまえ……」
梁朋《りょうほう》だった。
皿洗いの少年・梁朋は、表情をふっと消すと、鍾獏のほうへ向き直る。
鍾獏は自分も大男と同じ運命をたどるのだと気づいたらしく、大男の落とした焼き鏝《ごて》を拾い上げると、めちゃくちゃに振り回しはじめた。
「来るなっ、あっちへ行け! わたしはただ、都督に命令されただけだっ」
梁朋は、無言で剣をかまえ、鍾獏にゆっくり近づいていく。
一気に襲われるよりも、よほど恐ろしい思いをしているらしく、鍾獏はひいひい言いながら、焼き鏝をいっそう大きく振りまわした。
と、逃げ回っているうちに、火桶に足が躓く。
「危ないっ」
徐庶が思わず叫ぶが、間に合わなかった。
火桶のなかにあった熱せられた炭や燃えカスが、地面にどっとぶちまけられる。
そして、その中に突っ込むようにして、鍾獏の身体が倒れ込む。
鍾獏は熱さにはじかれるように起き上がろうとしたが、それよりさきに、鍾獏の衣に火が燃え移った。
「う、うわあああああっ」
鍾獏は慌てて、動き回る。
しかし火の勢いは激しく、あっという間に鍾獏の全身を焦がしていった。
悲痛な叫びが拷問部屋に響く。
ものすさまじい焦げた臭いがあたりに漂い、さすがの徐庶も思い切りむせた。
吐き気もするし、視界は煙いし、ひどいものだ。
やがて、鍾獏は真っ黒こげになってその場に崩れ落ち、動かなくなった。
この凄惨な状況においても、梁朋はまったく動じることなかった。
かれは拷問部屋の壁にかけられていた器具のなかから手斧を取り出すと、素早く徐庶の手枷《てかせ》を打ち壊した。
「さあ、早く逃げましょう!」
言いつつ、傷ついた徐庶に肩を貸す。
徐庶は驚きの連続で、生返事しかできない。
これが、ほんとうに、あの痩せっぽっちの梁朋だろうか。
何度もまぶたをぱちくりさせて、目の前の少年を見るのだが、どう見ても、やはり梁朋なのだった。
「どうなっているのだ」
「詳しくは、あとでお話します。さあ、早く外へ! 曹操の応援が来ちまうとやっかいだ」
梁朋にうながされて、けんめいに足をうごかす。
そして拷問部屋の外に出て、徐庶はまた驚くことになった。
拷問部屋の外に配置されていたとおぼしき衛兵たちが、梁朋とおなじ黒装束の一団と激しく戦っていた。
衛兵のうちの目のいい者が、徐庶と梁朋が部屋から出てきたのを目ざとく見つけて、
「逃げるか!」
と大音声をあげて斬りかかって来た。
剣を両手で振り上げてくるその男にたいし、徐庶に肩を貸している梁朋はすぐには動けない。
その代わり、徐庶をかばって、覆いかぶさろうとする。
逃げられたと思ったのに、と徐庶が悔しく思っていると、梁朋を|袈裟懸《けさが》けに斬ろうとしている男の手が止まった。
縄鏢《じょうひょう》が絡みついたのだ。
縄鏢を投げつけたのは、やはり黒装束の一団のひとりで、かれは、
「おまえの相手はわたしだっ」
と言いながら、素早く衛兵に斬りかかっていく。
さすがに曹操軍の衛兵らしく、縄鏢に絡みつかれてもあわてず、力任せにそれを引いた。
衛兵は剣を持つ手を入れ替えて、斬りかかってくる相手をいなす。
それからは激しい剣戟のはじまりだった。
小柄な黒装束の人物は、大柄な衛兵に、一歩も退かない。
どころか、その華麗な剣さばきで、相手を翻弄し始めている。
仲間の衛兵がやってきて、劣勢をくつがえそうと二人がかりで斬りかかるが、それでもなお、黒装束の人物はひるまない。
剣だけではなく、足蹴りも有効に使って、相手を徐庶たちから退き離そうとしている。
さらには、黒装束の人物は、周りがよく見えているらしく、梁朋に叫んだ。
「このままこの場は、わたしたちに任せろっ! おまえは行くのだ!」
「で、でも」
「いいから行けっ」
叱咤されて、梁朋が徐庶に肩を貸したまま、動き出す。
徐庶は張允に強かに蹴られて痛むろっ骨を気にしつつ、けんめいに動いた。
振り返ると、黒装束の一団が、どんどん衛兵たちを圧倒しているのがわかった。
しかし、ここは要塞の真っただ中だ。
このまま騒ぎが大きくなれば、応援がつぎつぎとやってきてしまう。
つづく
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さて、ちょっと事情が変わってきまして、近々、すこしお休みをいただくことになるかもしれません。
楽しみにしてくださっている方、すみません!
ハッキリわかりましたら、またご連絡させていただきますね。
ではでは、また次回をおたのしみにー(*^▽^*)