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夢想⑩

2009-11-24 06:12:37 | 感想その他
 「今日は枝の日曜日、初めてヴァラン夫人に会ったときからちょうど五十年になる。今世紀とともに生まれた夫人はその頃二十八歳。私はまだ十七歳にもならず、ようやく形作られようとしていた気質を自分ではまだ意識しなかったけれども、それはもともと活気に溢れた心に新しい情熱を注ぎ込んだ。快活ではあるがおとなしくて慎み深く、顔立ちもかなり感じのいい青年に対して、夫人が親切な気持になったとしても別に不思議はなかったとするなら、才気と優美に恵まれた魅惑的な女性が、私に感謝の心とともに、はっきりとは区別できなかったが、感謝以上に優しい感情を抱かせたというのもなおさら不思議ではなかった。だが、普通の場合と違っていたのは、その最初の瞬間が私の一生を決定してしまったということ、そして、不可避の連鎖によってその後の私の運命を作り出したということである」(今野一雄訳)

 この最後の「散歩」はわずか数頁で、彼の死によって永遠に中断され遺されるのだが、引用はその冒頭の文章である。それがヴァラン夫人(翻訳によってはヴァランス夫人、フランス語圏での発音の相違か)の回想で始まるのは極めて印象的である。いよいよ、ルソーの死について語らねばならない時点に来た。手元にある中里良二氏の『ルソー―人と思想』(清水書院)から引用させていただく。
 「彼は、その晩年の数年をひどい貧困に悩まされる。1777年はテレーズ(ルソー夫人)が病気になり、ルソーがその看病をしなければならなかった。また、彼はもう写譜が出来なくなってきた。貯えは不十分であった。78年5月20日、彼は彼の愛読者のジラルダン侯爵の好意でパリから20マイル離れたエルムノンヴィルに移る」「この地は、彼の気に入った土地の一つであり、ここで彼はジラルダン侯爵と植物採集をしたりして楽しんだ。7月2日、彼は朝早く起きて散歩に行った。そして8時ごろ戻り、テレーズと女中と一緒に朝食をとった。その後、彼はテレーズを錠前屋に払いにやった。彼は、ジラルダン侯爵の娘に音楽を教えに行こうとして突然倒れた。テレーズが戻ってくるとルソーはうめいていた。テレーズはルソーの死のたった一人の目撃者であった」。写譜は、彼が晩年の生業とした楽譜写しの仕事なのだが、残念ながら具体的には不明。
 ルソー少年に深い影響を与えたヴァラン夫人について若干触れておきたい。自伝『告白』の第二巻から第五巻にかけて夫人の人物像が克明に描かれている。乞食にも等しい放浪生活を送っていたルソー少年が、人の紹介で、ヴァランス夫人の屋敷を訪ねた初対面の場面を最後に引用しておこう。「その戸口をくぐろうとしていたヴァランス夫人は、私の声で振り返った。その人を見たときの驚き! 私は気難し屋の信心家の婆さんを予想していた。ポンヴェール氏(紹介者)のいう慈悲深い婦人というのは、それより考えようがなかった。いま目の前に見たのは、愛嬌したたるような顔、優しさを含んだ美しい青い目、まぶしいような血色、ほれぼれする胸の辺りの輪郭。若い改宗者の素早い眼は何一つ見逃さなかった。改宗者などというのは、この瞬間、私はこの人の感化を受けてしまったから」。(岩波文庫『告白』上巻・71頁)


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