ルソーの「自然状態」とは、原始時代の現実を想像したというよりも、現実の高度に文明化された社会を、相対化し、それを豊かに変革するために開発され、精緻に仕上げられたプラトン的な幾何学的なモデルであり、「社会状態」を的確に批判するための装置である。「自然状態」の概念の強固な構造は、「社会状態」という疎外の呪縛の強度によって、逆説的に付与されている。
しかも、それは単なる観念的な批判ではなく、人間存在の深部まで届くことは、多くの文学作品を理解するための鍵になることからも理解できる。例えば、極めて類型的な指摘になるが、太宰治の「人間失格」における、主人公大庭と堀木との対比は、「自然状態」と「社会状態」とに一致する。この物語で描かれる、幼児性、あるいは無垢性、処女性は「自然状態」である。フロイト精神分析の領域でも、エディプスコンプレックスは、社会的な症状と認められた心理的な疾患ために見出された現象学的装置という点で、「自然状態」と同じ位置にある。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』は、ルソーの「自然状態」に導かれて西欧文化全体を相対化するための浩瀚な思想的な営為と呼べよう。
しかも、それは単なる観念的な批判ではなく、人間存在の深部まで届くことは、多くの文学作品を理解するための鍵になることからも理解できる。例えば、極めて類型的な指摘になるが、太宰治の「人間失格」における、主人公大庭と堀木との対比は、「自然状態」と「社会状態」とに一致する。この物語で描かれる、幼児性、あるいは無垢性、処女性は「自然状態」である。フロイト精神分析の領域でも、エディプスコンプレックスは、社会的な症状と認められた心理的な疾患ために見出された現象学的装置という点で、「自然状態」と同じ位置にある。レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』は、ルソーの「自然状態」に導かれて西欧文化全体を相対化するための浩瀚な思想的な営為と呼べよう。