さっそく読んでみよう。人文書院版の『フロイト著作集3』収録である。訳は浜川祥子氏。
「食欲は個体を保存しようとする様々の欲動の代表と考えられるし、愛は自分以外の者に向けられている。そして、自然によってありとあらゆる形で優遇されているこの愛という欲動の主要機能は、種の保存である。そこでまず、自我欲動と対象欲動の対比が考えられた。私がリビドーと名づけたのは、こうして、対象欲動のエネルギーであり、かつこのエネルギーだけである。こうして、自我欲動と、もっとも広い意味での愛である対象に向けられた「リビドー的」欲動との対比が成立した。これらの対象欲動の一つであるサディズムは、愛とはあまり縁のなさそうなことを目的としている面が著しいし、いろいろな点で自我欲動に接近していることも明らかであり、リビドー的な意図を持たない征服欲と深い関係があることは紛れもない事実だったが、この矛盾は理論的に解決できた。なぜなら、サディズムは明らかに性生活の一部で、性生活には優しいものと残忍なものがあってさしつかえないと考えられたからだ。神経症は、自己保存欲とリビドーの要求との間の戦いの結果と考えられたが、この戦いで自我は、勝利を収めたかわり、重大な苦難と断念という犠牲を払わなければならなかったのである」473頁
「けれども、われわれの研究が抑圧されるものから抑圧するものへ、対象欲動から自我へと進んで行ったとき、上に述べたような理論の修正は不可避であった。そのさい決定的な役割を演じたのは、ナルシシズムの概念が導入されたこと、すなわち、リビドーは自我自身にもまつわりついていること、それどころか、リビドーのそもそものホーム・グランドは自我であり、いわば自我はいまなおリビドーの本拠地であることが判明したことである。このナルシシズム的リビドーは、対象に向かうことによって対象リビドーともなれば、ふたたびナルシシズム的リビドーの姿に戻ることもできる」474頁
「ナルシシズムの概念が導入されたことによって」「リビドー概念は危機に陥った。自我欲動もリビドー的だとされたのだから、ある時期において、C・C・ユングがすでに早くから提唱していたように、リビドーすなわち欲動エネルギー一般だと考えざるを得ないかに見えた」474頁
「食欲は個体を保存しようとする様々の欲動の代表と考えられるし、愛は自分以外の者に向けられている。そして、自然によってありとあらゆる形で優遇されているこの愛という欲動の主要機能は、種の保存である。そこでまず、自我欲動と対象欲動の対比が考えられた。私がリビドーと名づけたのは、こうして、対象欲動のエネルギーであり、かつこのエネルギーだけである。こうして、自我欲動と、もっとも広い意味での愛である対象に向けられた「リビドー的」欲動との対比が成立した。これらの対象欲動の一つであるサディズムは、愛とはあまり縁のなさそうなことを目的としている面が著しいし、いろいろな点で自我欲動に接近していることも明らかであり、リビドー的な意図を持たない征服欲と深い関係があることは紛れもない事実だったが、この矛盾は理論的に解決できた。なぜなら、サディズムは明らかに性生活の一部で、性生活には優しいものと残忍なものがあってさしつかえないと考えられたからだ。神経症は、自己保存欲とリビドーの要求との間の戦いの結果と考えられたが、この戦いで自我は、勝利を収めたかわり、重大な苦難と断念という犠牲を払わなければならなかったのである」473頁
「けれども、われわれの研究が抑圧されるものから抑圧するものへ、対象欲動から自我へと進んで行ったとき、上に述べたような理論の修正は不可避であった。そのさい決定的な役割を演じたのは、ナルシシズムの概念が導入されたこと、すなわち、リビドーは自我自身にもまつわりついていること、それどころか、リビドーのそもそものホーム・グランドは自我であり、いわば自我はいまなおリビドーの本拠地であることが判明したことである。このナルシシズム的リビドーは、対象に向かうことによって対象リビドーともなれば、ふたたびナルシシズム的リビドーの姿に戻ることもできる」474頁
「ナルシシズムの概念が導入されたことによって」「リビドー概念は危機に陥った。自我欲動もリビドー的だとされたのだから、ある時期において、C・C・ユングがすでに早くから提唱していたように、リビドーすなわち欲動エネルギー一般だと考えざるを得ないかに見えた」474頁