『ナジャ』の訳本は何回も精読して、今でも理解できない箇所をいくつか残している。たとえば、ブルトンがナジャと別れてから、新しい恋人を得た後の文章だが、「素晴らしい、決して自己を偽ることのない一つの手が、レ・ゾーブ(黎明)と記された青い空の色の大きな道路標識をぼくに指し示していたのだ。」(清水徹訳) である。どの訳本にも注釈がない。どうしてもイメージが捉えきれない。H・K氏にお窺いして、ようやくオーブaubeの複数形であることを思い出す。なぜ道路標識に「黎明」などという言葉があるのか、すべての翻訳が「黎明」となっているのだから訳が間違っているはずはない。
仏和を引いてみると、別の意味もある。「①(鞍の)横木②(a)(水車の)水受け板(b)(外輪船の)外輪車」。
そうすると対向車線から来る自動車の車輪に注意のことではないかなどと考えてしまう。ブルトンの 恋人はそんなことは百も承知で、ドライブ中に、空色の道路標識を指し示して、新たな意味「黎明」を暗示したのではないか。二人の関係は紺碧の黎明であろう。その少し前に、ナジャとドライブしていたとき、運転しているブルトンはナジャにしがみつかれ危うく命を落とすところであったと記している。それはナジャとの恋の結末が死を暗示していると思われたのであった。それと引き比べての新たな恋の性格を示しているのではないか。以上、おそらく私の解釈は間違っているであろう、私の勝手な妄想である。
いや、待てよ、このような、間違っていようと、辞書を引いてまで妄想をたくましくさせているのは『ナジャ』 という書物の魅力なのではないか。もしかしたら、さらに想像をたくましくして、ブルトンはこうしたとんでもない誤解を大いに推奨しているのではないかと、思えてきたのであった。おまえは馬鹿なことを書いている、そう感じるあなたもブルトンの手の内かも。これから、隣町の図書館にあるという巖谷國士氏の『ナジャ論』を調べに出かける。古本で四千円もするのだ。
仏和を引いてみると、別の意味もある。「①(鞍の)横木②(a)(水車の)水受け板(b)(外輪船の)外輪車」。
そうすると対向車線から来る自動車の車輪に注意のことではないかなどと考えてしまう。ブルトンの 恋人はそんなことは百も承知で、ドライブ中に、空色の道路標識を指し示して、新たな意味「黎明」を暗示したのではないか。二人の関係は紺碧の黎明であろう。その少し前に、ナジャとドライブしていたとき、運転しているブルトンはナジャにしがみつかれ危うく命を落とすところであったと記している。それはナジャとの恋の結末が死を暗示していると思われたのであった。それと引き比べての新たな恋の性格を示しているのではないか。以上、おそらく私の解釈は間違っているであろう、私の勝手な妄想である。
いや、待てよ、このような、間違っていようと、辞書を引いてまで妄想をたくましくさせているのは『ナジャ』 という書物の魅力なのではないか。もしかしたら、さらに想像をたくましくして、ブルトンはこうしたとんでもない誤解を大いに推奨しているのではないかと、思えてきたのであった。おまえは馬鹿なことを書いている、そう感じるあなたもブルトンの手の内かも。これから、隣町の図書館にあるという巖谷國士氏の『ナジャ論』を調べに出かける。古本で四千円もするのだ。