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ベルクソン30 【逆さ円錐の構造】

2009-12-26 05:35:36 | エッセイ
 次に掲げる文章――逆さ円錐の内部構造を説明した『物質と記憶』の記述――を何度読んでも、私には、精確に読み解けないでいる。あえて言えば、ベルクソンは説明に意を尽くしていない。

 「総体的な記憶は現在の状況の呼びかけに対し、二つの同時的運動によって応える。ひとつは移行(translation)であって、これによって記憶はその全体が経験の前面へと移動し、そうすることで、多かれ少なかれ、分割されることはないが行為することを目指して凝縮する。もうひとつは自分自身の回転(rotation)であり、これによってそのときの状況へと向かい、それに対して最も有用な面を差し出すのである」(上村博訳『ベルクソン』文庫クセジュ70頁、田島節夫訳『記憶と物質』190頁、ちくま学芸文庫・合田他訳240頁)

 冒頭の「総体的な記憶」とは、底辺ABを純粋記憶とし、先端Sを感覚-運動機能とする「逆さ円錐」であり、記憶の全体像のことである。私は移行と回転の「同時的運動」にこだわりたい。言うなれば、物を消化して排泄する方向であり、回転する渦が中心へと収斂されるレオポルド・ブルームの便座の過程である。
 トランスレーションは現実行動の関心の度合い――収縮の強度――によって、記憶の一般的階層、つまり、逆さ円錐内部の位置が決められて――どのように決められるか不明――、そこから自動的に平行移動して先端Sの純粋知覚と結びつく。状況に即応した記憶の呼び出しのことであろう。ローテーションは、思い出や臨死体験のような、感性的な記憶の自立的な、かつ包括的に選り分けであろう。両者が渾然一体の同時的運動となって記憶が収斂し、Sである純粋知覚(像)にはまり込む。逆さ円錐の内部はスパイラル状に回転しているということ。回転の動力はどこに由来するか問わないとして。
 大切なのは、「分割されることはないが行為することを目指して凝縮する」という表現だろう。ベルクソン的思考の基本中の基本は、人間を含めて動物の行動が外界の刺激を受動し(求心神経)、それを能動化しておのれの利益のために外界へ働きかける(遠心神経)。その反復するナチュラルな、アメーバ的円環を決して失わないことである。そこでは、まったく余分な特殊な能力を必要としない。それが物質と精神を結びつけるベルクソン思想の精髄と呼んで良い。逆さ円錐の内部での記憶の動きについても、その思想は全うされている。円環のどこにも弁証法で言う「否定」の契機は見当たらない。ベルクソンにとって潜在的なものである記憶は、現実化はしていないがすでに実在している。先端Sは現実化のための弁にしか過ぎず、外界Pとの違和感は一切認められない。もちろん、収斂のための努力は必須だが。


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