11 補遺
梶井に「栗鼠は籠にはいっている」(一九二七年十月)という遺稿がある。小鳥屋の店先にふとたたずむ梶井は籠の中で絶え間なく動く小さな動物に惹きつけられている。栗鼠である。
「この連中は十匹で二十匹の錯覚をあたえるために活動している。餌を食いに来ている奴のほかに、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆けあがってゆく。身をひるがえす。もう向こう側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
アーチだ!いつも一定の、好もしい、飛躍の恰好の残像で構成されている。
餌を食っている彼等はほんとうに可憐に悧巧そうに見える。猫じゃらしの穂のように芯の通った尻っ尾をおったてて鉢の前へ座る。拝むような恰好に両手をそろえて、穀類をすくっては食うのである。まるで行儀のよい子が握飯を食っているようではないか?そしてまた錯覚の、群衆の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。」
(画像は市川市内、高圓寺の藤。この寺の裏手の坂を登ったところに、高齢の詩人が一人暮らししておられる。今日、訪問して帰宅。顔色も良く元気であった。)
梶井に「栗鼠は籠にはいっている」(一九二七年十月)という遺稿がある。小鳥屋の店先にふとたたずむ梶井は籠の中で絶え間なく動く小さな動物に惹きつけられている。栗鼠である。
「この連中は十匹で二十匹の錯覚をあたえるために活動している。餌を食いに来ている奴のほかに、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆けあがってゆく。身をひるがえす。もう向こう側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
アーチだ!いつも一定の、好もしい、飛躍の恰好の残像で構成されている。
餌を食っている彼等はほんとうに可憐に悧巧そうに見える。猫じゃらしの穂のように芯の通った尻っ尾をおったてて鉢の前へ座る。拝むような恰好に両手をそろえて、穀類をすくっては食うのである。まるで行儀のよい子が握飯を食っているようではないか?そしてまた錯覚の、群衆の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。」
(画像は市川市内、高圓寺の藤。この寺の裏手の坂を登ったところに、高齢の詩人が一人暮らししておられる。今日、訪問して帰宅。顔色も良く元気であった。)