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日記・物語・エッセイ・感想その他

梶井基次郎論草稿 その27

2007-04-30 05:49:31 | エッセイ
 11 補遺

 梶井に「栗鼠は籠にはいっている」(一九二七年十月)という遺稿がある。小鳥屋の店先にふとたたずむ梶井は籠の中で絶え間なく動く小さな動物に惹きつけられている。栗鼠である。
 「この連中は十匹で二十匹の錯覚をあたえるために活動している。餌を食いに来ている奴のほかに、まるで姿がつかまらない。籠を垂直に駆けあがってゆく。身をひるがえす。もう向こう側を駆け下りている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。また駆けあがってゆく。もう下りて来ている。
 アーチだ!いつも一定の、好もしい、飛躍の恰好の残像で構成されている。
 餌を食っている彼等はほんとうに可憐に悧巧そうに見える。猫じゃらしの穂のように芯の通った尻っ尾をおったてて鉢の前へ座る。拝むような恰好に両手をそろえて、穀類をすくっては食うのである。まるで行儀のよい子が握飯を食っているようではないか?そしてまた錯覚の、群衆の、アーチのなかへ駆けあがってゆくのである。」

(画像は市川市内、高圓寺の藤。この寺の裏手の坂を登ったところに、高齢の詩人が一人暮らししておられる。今日、訪問して帰宅。顔色も良く元気であった。)

梶井基次郎論草稿 その26

2007-04-29 06:09:36 | エッセイ
 10 総括

 梶井文学とは、視覚へのこだわりにおいてゲシタルト心理学的であり、その根元的な問いの射程において存在論であり、認識の科学性は弁証法である。
 あまりにも早く来すぎた晩年において、梶井が資本論に深い興味をおぼえたのは時代状況もさることながら、マルクス弁証法の透徹した論理への共鳴であったことは、資本論の最初の数頁を読むだけでも十分にうなずける。
 本稿は、病者による文学でありながら、全体として健康な文学となりえた梶井文学の構造へ一歩でも近づくことを目的とした。

(画像は三越玄関のライオンのブロンズ。ドン・キホーテは後篇の最初のところで、国王へ献上するため運ばれるライオンの檻を開けさせて、戦いを挑む。全篇の中でも、白眉の感動の場。以降、彼はライオンの騎士と名乗る。)

梶井基次郎論草稿 その25

2007-04-28 05:50:41 | エッセイ

 作品『檸檬』において梶井の心を終始圧えつけている不吉な塊とは感情の灰神楽のことであり――筆者自身にも重苦しい塊としての所在のない憂鬱があればこそ――一顆のレモンとはその解放の詩的な象徴でありながら、具体的なものとしての美的オブジェであろう。それはなによりも鮮烈なドラマだ。
 「見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえってゐた」
 

梶井基次郎論草稿 その24

2007-04-27 06:34:00 | エッセイ

 「感情の灰神楽!妹の看病をしている時私はふと大きな蟲が小さな蟲の死ぬのを傍に寄添ってゐる――さういう風に私達を想像しました。それは人間の理智情感を備へてゐる人間達であると私達を思ふよりより真実な表現である様に思はれました。全く感情の灰神楽です。夕立に洗われた静かな山の木々の中で人間に帰り度いと思います。とにかく一先ずは済みました。(以下略)」
 この手紙は妹の死を悲しんでいると云うにはあまりに冷たい目を感じさせる。茶化していると取れないではない。梶井にとって、なによりも耐え難いのは、妹の死であるよりも感情の灰神楽であり、蟲けらであることである。もちろん、梶井は妹の死をただ冷静に観ていただけではあるまい。ただ、彼にとって書くという行為は、手紙にしろ、作品にせよ、別の醒めた次元のことなのである。彼は感情の灰神楽という表現を見出したことによって、妹の死という苛立ちの状況に決着を付けたかったのかも知れない。

梶井基次郎論草稿 その23

2007-04-26 06:06:23 | エッセイ
 
 鳴いている蝉を見詰める梶井の目は、いかなる観念にも汚されていない科学者の視線であり、純粋な驚異の感情でありながら、なお、そこには強烈なエロチシズムを見据えている。くだらない一匹が風景を圧する音となる。
 ここにも対象と自己との絶望的な隔絶、しかも弁証法的な乖離が存在する。たとえ、梶井はこの一文に続けて「ふと蝉一匹の生き物が無上に勿体ないものだといふ気持に打たれた」と付け加えられても、ここに東洋的な諦観や無常観を見てはならないだろう。ただ観念への妥協が垣間見えるのは確かで、作品全体の爽やかなみずみずしさから救われているとはいえ、後年の梶井ならきっと書かなかった結びに違いない。
 さらに前文の「たくさんの蟲が、一匹の死にかけてゐる蟲の周囲に集って、悲しんだり泣いたりしてゐる」という一節を捉えて、梶井の日本的な心情を云々しているのは中村真一郎氏であるが、この一文のもとになった手紙を梶井は、妹の病死に立ち会った後に、近藤直人に実際に出している。

梶井基次郎論草稿 その22

2007-04-25 06:15:54 | エッセイ
 9 感情の灰神楽

 もう少し突っ込んで梶井の視線の特異な様相について触れてみたい。例を『城のある町にて』の一節にとろう。
 「峻は此の間、やはりこの城趾のなかにある社の桜の木で法師蝉が鳴くのを一尺ほどの間近で見た。華車な骨に石鹸玉のやうな薄い羽根を張った、身体の小さな昆虫に、よくあんな高い音が出せるものだと、驚きながら見てゐた。その高い音と関係があると云えば、ただその腹から尻尾へかけての伸縮であった。柔毛の密生してゐる、節を持った、その部分は、まるでエンジンの或る部分のやうな正確さで動いてゐた。――その時の恰好が思い出せた。腹から尻尾へかけてのプリッとした膨み、隅々まで力ではち切ったやうな伸び縮み」

梶井基次郎論草稿 その21

2007-04-24 06:06:55 | エッセイ

 「私は好んで闇のなかへ出かけた。渓ぎはの大きな椎の木の下に立って遠い街道の孤独な電灯を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めてゐるのを知った。またあるところでは渓の闇へ向かって一心に石を投げた。闇のなかに一本の柚の木があったのである。石が葉を分けてかつかつと崖へ当った。ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂ひが立ち騰って来た」
 梶井は石を投げるという行為とその結果である柚の匂いとの間の徹底した乖離を推し量り、訪れるものとしての柚の匂いを果報として受けとめている。梶井がレモンを掌にして「つまりは此の重さなんだな」と呟くのも感覚を超えた存在論的な洞察にまで到達していることを示しており、さらに「ずっと昔から、こればかり探していたのだ」と告白して一方的な示唆力の由来を物語っている。

(昨日、女房と秋葉原のヨドバシカメラに行った後、日銀裏を通って三越に出る。画像は三越のグレース・ケリー展のポスターから。ケータイの映像にしては鮮明に撮れているのではないか)

梶井基次郎論草稿 その20

2007-04-23 05:33:08 | エッセイ

梶井基次郎の張りつめた意識は、日常生活において忘却が果たす役割を転位に求める。「片方の極端にゐてその片方の極端でなければそれに代へるのを肯じない」(「瀬山の話」)と書いたような、徹底したボードレール的な飛躍であり転位である。この転位は、自ずから訪れるものとして、もたらされる。感情の絶対性の場が、登坂であるとすれば、それは下山であり、すでに述べた実存から存在へ、視線の方向の逆流である。
 「美しいもの――と云って無気力な私の触覚にむしろ媚びて来るもの」と書いた美は、人間が働きかけて掴み取るのではなく、美みずから転がり込む一方的な示唆力としてある。裸電灯の中の細長い螺旋棒は眼の中へきりきりとさし込んでくるものでなくてはならず、レモンの冷たさは肌身にしみ透ってくるのであり、果実の香りは鼻を撲つのである。
 おそらく梶井の文章のうちで名作『闇の絵巻』の次の一節は最も美しい場景の一つであろう。

梶井基次郎論草稿 その19

2007-04-22 06:19:17 | エッセイ

 ごく最近、彼の書簡集を読んでいる内に、嫁ぎ先の姉宮田富士(教員)に宛てられた原稿用紙六枚分にも相当する長文の手紙を読んで、異様な感じを持った。出産を間近にひかえた姉への返信だが、その冒頭の数行を引用したい。
 「姉さん、どうも長い手紙になり相です。洋紙とペンになってから基次郎は姉さんに日頃から少し云ひたく思ってゐたことを云はせていただきます。どうか心を落ちつけて聞いて下さい――『女教員は産前産後に立って七週間は云々、私は二週間だけ休んだだけです』及び『未だに母に洗濯物一枚もしてもらひません』の二句を読んで私は不愉快になりました。以下省略」
 この手紙を富士がどう読んだか知るよしもないが、放蕩と病気で家族の疫病神であり続け、日銭すら稼いだことのない弟が、後文でまさに得々と婦徳を説いたり、一家の伝統を云々しているのである。なにか姉の幸福と健康を祈る者にしてはどこか逸脱しているのを感じるのは私だけであろうか。
 実は、姉の態度に彼としては到底許すべからざる片意地、それによってもたらされる救いようのない泥沼を鋭敏に嗅ぎ取っているのであり、後にふれる〈感情の灰神楽〉と彼自身が表現したいらだちの場と一致するものを見ているのである。

〈画像は書斎のマスコット、ドン・キホーテ像、スペイン製とか。後ろに見える黒い物体は「大人の科学」の付録で作ったプラネタリウム、部屋中が星空になる〉

梶井基次郎論草稿 その18

2007-04-21 06:54:15 | エッセイ

自分を凝視するもう一人の自分、または、冷徹な視線は、幼い頃から彼に注がれた母ひさの視線を淵源としながら、十六歳のときの初恋を経て、放蕩、そして宿痾の予感によって、鍛えられ非情さを増していく。
 おのれを見詰める、それは見詰めざるを得ないから見詰める。自己と切り離せない、しかもどうしようもない異物としての自分である。他人のように、自分ではどうにもならない自分である。
 思考の根源的な意味あいにおいて、他者が確認される。自分よりも他者の存在の始原性は疑い得ない。そこから、はじめて他者の照り返しとしての自己――他者を認識する主体とでも呼ぼうか――が問われる。まるで自己が他者によって産み落とされたかのように。
 初期習作を読むと、梶井自身が「拘泥はおれの畑」(友人宇賀康宛の手紙の一節)と書いたように、出口なしの感情の場に対する拘泥は目の覆いようがない梶井のテーマであると言えよう。
 習作「小さな良心」は、先にふれた日記の裏返しに設定され、渡辺とおぼしき学生を杖で半殺しに打ち据えた自分が、京都の街を呵責と拘泥にさいなまれながらさまよい歩く姿を描いている。「鼠」では猫に射すくめられたた鼠の戦慄を猫のサディスティクな嗜好との対比で際立たせている。「矛盾のような真実」においてはいじめっ子と弱虫のやりとりを、さらに「夕凪橋の狸」では、母から弟を捜しに行くように頼まれた自分の大人げない屈折した反抗を執拗に描いてあまさない。