Kawolleriaへようこそ

日記・物語・エッセイ・感想その他

ラピスラズリは屈辱の色 (28)

2006-06-30 05:05:42 | 物語
 気づくと、地下のレノアの部屋にいた。しかも、青みがかった灰色の大女に抱きかかえられていた。のぞき込む女の顔の整った輪郭があらわになってくる。なんと、その女には大理石の彫像のように、目に瞳がなく石みたいになめらかであった。にっこりと微笑むと思いがけなく、柔らかな乳房を押しつけてきた。無我夢中で吸った。なんの味もなかった。ようやく、女の顔に思い当たった。小さい頃、自殺した母であった。わたしはがむしゃらに乳房を吸った。
「痛い」と抱いていた女が言った。
 おれをソファに下ろすと、血の滴る右の乳房にハンカチを当てて部屋を出て行った。おれは寝かされたまま、火がついたように泣いた。去っていく女は素っ裸で、腰がくびれて尻が大きく張り出して、それはサピの後ろ姿そっくりであった。出口の奥でちょっと立ち止まると振り向いて、泣いている赤ん坊のおれに口の形で「愛している」と言って姿を消した。
 どうしても泣きやむことが出来なかった。まるで自分が泣く機械になったような錯覚にとらわれた。じっさい、心底、悲しくてならなかった。しばらくすると、おれの泣き声はぴたりと止んだ。不思議なほどの心の安らぎがやってきた。すやすやと眠る自分の寝息が聞こえてきた。
 やはり、夢を見ていたのだ。目覚めると体に降りかかっている細かい塵を払って立ち上がった。朝立ちのペニスを感じて苦笑した。十分眠ったせいであろう。すでに、日が落ちたらしく辺りは薄暗かった。入り口に人の気配を感じて振り向いた。
 そこにレノアが立っていた。驚いて、一歩彼女に近づいた。
「やっぱり戻ってきてくれたのね」
 紛れもないレノアの魅力的な眼差しだった。


ラピスラズリは屈辱の色 (27)

2006-06-29 05:21:10 | 物語
 エレメリオ神殿を後にして廃塔に向かった。白亜の塔は昔の高さの半分ほどに爆風で崩れていたが、どっしりとした基礎部分は、頑強に持ち堪えていた。そそり立つ廃塔はまだ十分に見応えがあった。崩壊した入り口のすぐ脇から、暗い螺旋階段を登った。もちろん、近代になってから観光用に備え付けられた鉄の階段である。だんだん階段に巻き込まれるような錯覚に陥り、そのころから記憶があやしげになった。
 ようやく、へとへとになりながら広い回廊に出た。壁のレリーフは破壊を免れ見事なものであった。古代ベルデナウル神話が精緻に描かれていて、エレメリオ、ブガビジャビエル、イエンビルドネ、湖の女神などの神々は教養の乏しいおれにも見分けられた。
 破風から一望に見下ろす眺めは、広大な首都をパノラマのように繰り広げていた。現実にしては、やけに晴れ晴れと澄み切った空と街の景観を時の経つのも忘れて見入った。
 優美に蛇行するシクル河の悠久の流れ、国会議事堂も遙かに見えた。最高裁判所、中央広場、凱旋記念公園、森林公園、遠くに窓ひとつない陰気な旧人間収容所、その脇に火葬場、かつての職場、今は占領軍の本部である高層ビル、占領軍のイナゴ型ジャイロがせわしなく発着する飛行場、ずらりと百機以上の戦闘機が待機している。整然と区画された道路を行く占領軍の黄色い戦車や軍用車があちこちに見られた。
 疲れが、がしっと両肩を掴み、無理矢理ひざまずかせた。昏倒するようにその場で眠りに落ちていった。
 

ラピスラズリは屈辱の色 (26)

2006-06-28 05:05:51 | 物語
 ある日、足はひとりでに古代遺跡に向かっていた。
 風紀警察の破壊活動によって、遺跡は荒れ果てて、何世紀もの間風雪に耐えてきた、がっしりとした石段も崩れ落ちて、瓦礫の流れと化していた。土埃にまみれたオリーブの灌木の枝にしがみつきながら、足を踏みしめ瓦礫を登った。一歩踏み滑らせれば奈落の底が待っていた。
 一時間ほどでアーカンサスの繁みを掻き分けて古代遺跡の丘の上に出た。見るも無惨な姿に変形したエレメリオ神殿の一抱えもある石の門柱をくぐり抜けると、石段の上に汚れた裸の男がまるで門番のように、腰を下ろしていた。この男にとっては、占領騒ぎなど何処吹く風なのであろう。乞食男は座ったまま、喉声であった。
「街を逃げ出してきたのか」
 おれは黙って頷いた。神殿の内部は見る影もないほど破壊されていた。壁画レリーフがあちこちで崩れ落ち、色鮮やかなモザイクが飛び散っていた。分厚い石壁や床には大きな穴がいくつも空けられていた。爆薬を使っての破壊だから、仲間たちもどれほど犠牲になったことでろう。
「ほかに誰かいるのか」
 男が視線を走らせ、その先に枯れ木のように痩せ細った老婆の乞食がうずくまっていた。うつろな目でちらっと見たが、すぐ目をそらせた。
「仲間がここに戻ってきている。奥のイエンビルドネ神殿の廃墟には百人くらいはいる」
「レノアはどうなったか知らないか」
「知らない。噂によると今もこの地下に閉じこめられて生きているという」
「地下へ降りる道はあるのか」
 男は、顎をしゃくって指し示した。大理石の床に大きな穴が空いていた。その暗い穴に近づいて中を覗いた。
「あまり近づくなよ。落ちたらおだぶつだぞ。やつらはレノアを水攻めにしようと、水を注いだのだ。それも戦前のことだが」
 達者な喉声であった。
 足元の小石を拾うと、穴の中へ投げ入れた。しばらくすると、遠くから尾を引くような水音が返ってきた。かなり深い穴だった。

ラピスラズリは屈辱の色 (25)

2006-06-27 05:48:33 | 物語
 占領一か月後、占領軍は成人市民の一人一人に、奇妙な器具を配布した。いや、一人一個あて有料で与えたのだ。声帯器という小さな機械で、それを喉の奥にセットすると、気味の悪い金属音でしゃべることが出来るのだ。
 だが、衣類は与えられなかった。
後に、道化師の衣装のような、上から下まで寸胴の、赤いだぶだぶの揃いの服とゴム長が配給されたのだが。まだ、衣類を身につけることは、占領政策違反の謀反行為として厳しく処罰された。
 おれは、やもなく、いったんは職場に戻ったが、心の傷は深く、やつらとどうしても口をきくことが出来ず、馴染めなかった。やつらをけっして許していなかったのだ。おれは欠勤を続けた。
 こんなことなら、以前のような物乞いの生活の方が、ずっとましだと思った。あてもなく街を歩き回った。
 今日も市民たちは行列を作り、新しい声帯器を手に入れようと並んでいた。どんなに奇っ怪な声であろうと、しゃべらなければ生活が成り立たないのだ。声帯器は粗雑に出来ていて、まるで時限装置がついているかのように、一か月で故障して二度と使えなくなるのである。占領軍は声帯器の販売を統制していて、壊れた声帯器を差し出さなければ新しい声帯器を売らなかった。
 おれはとっくに声帯器など捨てていた。
 誰とも口などききたくなかった。

ラピスラズリは屈辱の色 (24)

2006-06-26 06:30:51 | 物語
 やつらの醜態を見て、笑うに笑えなかった。おれ自身被害者なのだから。なにか途方もない事件が起きたのだ。
 夕暮れ、凱旋公園の大噴水池では、仲間の人間が大勢ではしゃぎながら体を洗い清めていた。
 今では、やつらと人間の相違は、体が汚れているかどうか、髭や髪の手入れがされているかどうか、だけであった。
 公園に備え付けられていた戦時用の拡声器が、突如、がなり始めた。びっくりした仲間たちは池からざわざわと上がってきて、耳をそばだてた。雑音ではっきり聞き取れなかったが、機械的な女性の声で、何度も繰り返され、おおよそこんなことを言っていた。
「敵は、わが迎撃ミサイル網をかいくぐり、首都の上空において新型ミサイルを爆発させました。被害は未曾有のものであり、もはや、戦いの継続は不可能です。ベルデナウル政府は、今夕の閣議で無条件降伏を決定し、ただちに敵総司令部に通告されました。わが首都の主権はすべて、占領軍に帰属します」
 虚を突かれた哀れな首長による、最初で最後の市民への布告であった。
 それから続いて起きた首都の現実は、想像を絶していた。まさに、ベルデナウル有史以来の屈辱的な歴史の展開であった。
 無条件降伏の翌日、早くも、占領軍の第一陣は、首都の空が覆われるほどの無数のイナゴ型ジャイロで飛来し、けたたましい爆音を轟かせて示威的飛行を繰り返した。まるで黄色いイナゴの大群に襲われたかのようであった。
 おれがかつて勤めていたコンツェルンの本社が占領軍の総本部として接収され、そこから、すべての政治経済にわたる命令が発せられた。
 まず、首都の市民はすべて占領軍に対して平等な人間として扱われることが宣言された。職のないおれたちも社会復帰させられ、職も強制的に与えられた。多くの仲間は、かつての職場や家庭に戻っていった。
 おれには帰るべき家庭はなかったし、やつらの世界に帰りたくもなかった。

まるで飢餓芸人のように

2006-06-25 06:55:04 | 感想その他
ブログの訪問者は最低を更新、小説一本に絞って、原則として日記や感想をやめたことにも原因がある。ブログのタイトルも若干変更したこと。物語は延々と続く、おそらく、半年ぐらいかかるかも。まるで、カフカの『飢餓芸人』の所作である。継続命ってわけ。この作品、SFです、ついでですが宣言しておきます。そのうち宇宙空間に旅立つ。たった一人のためのブログなど世の中にはごまんとあるはず。わがエクリチュール論のためにも、手抜きは絶対にしない。

ラピスラズリは屈辱の色 (23)

2006-06-25 05:44:14 | 物語
 その日、いつものように官庁街を物乞いに歩いていた。陰部をボロで覆っただけの素っ裸で汚れきった体から悪臭が発散しているのもいつもと変わらなかった。
 当てもなくビルのゴミ捨て場をあさったり、役人専用レストランの裏口で物乞いをしていた。モップで殴られたり、汚水をかけられても気にならないくらいに落ち込んでいた。戦況が祖国にとって不利へと推移していく中で、市民のモラルも荒廃して、物乞いに歩く人間を思いやる余裕も完全に失われていた。とくに官庁街のビジネスマンはひどかったのかも知れないが。まるでウジ虫か汚物を見るような目つきで眺めるのだ。
 天罰とは言うまい、突然、稲妻のような白色の閃光が走り、目の前が真っ白になった。目をしっかり開いているのに何も見えない。
 続いて、ぐわんという不気味な鈍い衝撃音、鼻と口をいっぺんにふさがれたような圧迫感。夢中になって希薄な空気を吸い込もうと焦った。喉の奥に激しい痛み。このまま窒息して死んでしまうのではないかと思われた。
 ようやく、呼吸を取り戻して立ち上がった。が、めまいがしてふたたび倒れた。
 四つんばいになって起きあがる。視界を遮っていた白いミルク色の霧が蒸発し、あたりの輪郭がはっきりしてきた。
 昼時だったので、レストランから大勢の客が先を争って飛び出してきた。口々になにか叫んでいるのだが言葉にならない。苦しげに喉を押さえたり、口を死にかけた魚みたいにぱくぱく開けている。その誰もがおれたち人間と同じように全裸であった。起きあがっては転倒を繰り返す。道路では渋滞していた自動車から運転手や乗客が出てきて、道ばたで喉を締め付けてげいげい吐いていた。みんな一糸まとわぬ裸であった。
 街中が人間のように素っ裸になり、巣の中で親鳥を待つ小鳥のように口をぱくぱくさせているやつらで溢れていた。
 もう、事態は隠すに隠しようがなかった。鈍い衝撃音とともにだれもが声帯を麻痺させ、一瞬にして衣類が塵となって蒸発してしまったのだ。

ラピスラズリは屈辱の色 (22)

2006-06-24 05:24:20 | 物語
 ようやく分かった。古代遺跡の丘を見たとき、妙な感じがしたのはなぜか。
 エレメリオ神殿の白亜の塔が姿を変えていたのだ。一千年もの間、首都を超然と見下ろし、美しいベルデナウル市の景観をひときわ引き立てていたエレメリオの廃塔が、破壊されて以前の半分にまで低くなり、無惨の姿が遠望できたのである。
「やつらが、まだ遺跡から引き揚げないのは、レノアの遺体が発見されていないためだろう」
 これからどうすればいいのか。サピもレノアも失ってしまった今、かつてのように官庁街の地下道に戻り、汚辱にまみれた乞食の生活に帰るほかに考えは浮かばなかった。
 老人と別れて、街の繁華街にきびすを返した。街の様子は以前と比べると、どこかあわただしく不安が漂っていた。
 日常茶飯事となった人間への虐待も、やつらの荒廃した心理を反映していたのかもしれない。
 捨てられた新聞を拾い読みすると、隣国との戦争は、いよいよ不利に展開しているようであった。辺境の人間収容所では相変わらず暴動が繰り返され、富裕層の間では、敵襲を恐れて首都を離れて地方に疎開すべきかどうか話題になっていた。敵側は、市民兵からなる精鋭機械化部隊が戦車を先頭に第二の大都市ロカモウルに迫りつつあった。いち早く、人間の兵士に戦争を任せておれないと判断したのだ。
 首都ベルデナウルの防衛戦が堅いと見てとった敵側は、数段勝る科学技術力を頼りに、一挙に決着を付けようと、前代未聞のミサイル攻撃に出た。
 後に判明したことであるが、制圧したロカモウル市郊外のロケット基地から、新型特種ミサイルD3号が首都の中心に向けて発射された。
 ベルデナウル新暦一八三年六月二十日午後一時三分、首都上空一Kトコにて炸裂。

ラピスラズリは屈辱の色 (21)

2006-06-23 06:42:26 | 物語
第三章 首都陥落

 獄舎を出て、まず古代遺跡に足を向けた。
 レノアから指示を受けて秘密地下組織「人間の汚名」の一員として、活動したかった。もう一度彼女に会い、人を鼓舞する美しい姿に接して、まなざしから情報を得たかったのかも知れなかった。
 遙かに見える古代遺跡の丘に目をやったときに何かおかしいと思った。なにか様子が変なのだ。歩きながら考えたが分からない。
 凱旋公園の交差点を左に曲がって遺跡に通じる裁判所前の大通りに出た。さっきから仲間がおれの跡をつけているのを感じていた。どうやら、遺跡で会ったことのある元軍人の老人のようだ。足早に近づくと、耳元で不自由な喉音で言った。
「遺跡に近づくな、手が回った」
 人通りの多いところで仲間同士が立ち話をするのは危険なので、公園の茂みに連れ込んだ。
「レノアは?」
「分からない。きっと瓦礫の下敷きになって、死んだだろう。計画が漏れたのだ」
 喉声の会話はもどかしかったので、男のズダ袋の中から汚れたノートを引き出して書いた。
「だれがやつらに通報したのか」
「おそらく反政府組織が政府と内通したのだろう」
「反政府組織って何だ」
「労働組合の連合体や市民団体だ。レノアはひそかに彼らと交渉していたらしい。おれたち人間だけでは一斉蜂起しても成功しないといつも漏らしていた」
 張りつめていた気持が一気に萎えて行った。なんという愚かなことを。あいつらは野心家の不満分子に過ぎない。労働組合の書記であったおれは内情を知っているつもりだ。呆然として、へたり込んでいるおれに男は書いた。
「所詮、やつらの要求は人間の汚名をそそぐことではない。自分たちのちっぽけな要求が受け入れられればそれで気が済むのだ」
 この初老の男が考えていることも同じだと思った。
「遺跡ではたくさんの仲間が虐殺された。あそこなら遺体を片付ける必要もなく、何年でも野ざらしにしておけばよいのだ。おれたちの夢はすべて水泡に帰した。元の木阿弥、ひたすらやつらに物乞いする生活に戻るばかりだ」

ラピスラズリは屈辱の色 (20)

2006-06-22 05:15:26 | 物語
 穴蔵の秘密の入り口から、わずかに10トコほどのところに風紀警察の白塗りのワゴン車が停められていた。(1トコは約1メートル70センチ)
 心臓がひとつドキンと拍った。サピの身の上になにかあったのではないか、傍らに荷物を置き、足音を忍ばせて穴蔵に近づいた。不吉な予感は当たった。数人の警官に囲まれるようにして、サピは穴蔵から引きずり出されていた。両手には手錠が嵌められ痛々しかった。彼女はすっかり観念した様子で車の方へ連れられて行った。
 おれは前後の見境もなく「うぉー」と声にならない声を発して飛び出した。
 一瞬、サピと視線が合った。彼女の口が動いた。「愛している」と言ったのだ。いきなり背後からガンと一発殴られた。
「きゃー」と言うサピの悲鳴が遠くで聞こえていた。
 後の記憶ははっきりしていない。気がついたとき、監獄の中にいた。
 牢獄から引き出され、若い尋問官の面接を受けたのは三日の後だった。
「きみの名はここに書かれている通りですかね」
 差し出された書類に自分のかつての名前を見つけて驚いた。なんの悪戯か。驚くべきことを続けて尋問官は言った。
「きみの告訴は取り下げられ、人間の汚名は濯がれた。きみを告訴した会社が取り下げたのだ。きみの罪を偽証した重役は労働者側の要求によって追放された。まだ、分からないかね、きみは社会復帰するために国家機関からあらゆる便宜を受けることが出来る」
 係員が、社会復帰の書類とペンをおれの前に置いた。
 こみ上げてくる怒りを抑えて、尋問官を睨みつけた。そして書類の余白に大きく乱雑に激しく書いた。
「おれは人間だ。おまえたちを許すことはない。サピを返せ」
 おれも一時は考えた。サピの行方を探るのにはやつらの社会に戻った方が得ではないかと。
 尋問官はしばらく躊躇していたが、おれの決意が固いのを知ると傍らの警官に合図した。

 おれはその日の午後から、物乞いの生活に戻った。
 これからはサピのためばかりではなく、人間のために、そしてレノアとの「夜の誓い」のために戦わねばならなかった。
 おれを迎え入れた秋の高い空はまるでレノアのトーガのように濃紺に澄み渡り、おれの怒りと不思議に釣り合っていた。
(第二章 人間の汚名 終)