Kawolleriaへようこそ

日記・物語・エッセイ・感想その他

サンチョの尻叩きについて

2007-01-31 09:02:15 | エッセイ
 『ドン・キホーテ』続編において、公爵夫妻の奸計にひっかかり、サンチョは、ドン・キホーテの思い姫ドルシネアの呪縛を解くには彼のまるまるとした尻を三千三百回叩かねばならないことになる。サンチョが抗弁するように、幻術にかかった姫を救出することと尻叩きはなんの関係もないが、報酬にひかれて納得してしまう。具体的には、自分の尻を鞭で強く三千三百回叩けば、たちどころに幻術が解けて醜い百姓女に変身させられた姫が絶世の美人に戻るというもので、早いにこしたことないが、無期限である。
 実は、正篇において、サンチョは気が狂ったドン・キホーテから騎士自身さえ見たこともないドルシネアに会ってご機嫌伺いして来いと言われて、仕方なく、トボーソ村にやつてきたが、会えるはずもない。そこですれ違った百姓女をドルシネアだとドン・キホーテに報告する。ドン・キホーテはさっそく驢馬に乗ったその田舎女に呼びかけるが、あまりの醜さに仰天する。サンチョはドン・キホーテにあれは魔法にかけられてブス女に変身させられたのだと言い逃れをする。その事実を、『ドン・キホーテ』正篇を読んで知っている公爵夫妻は、サンチョをからかったのである。つまりドン・キホーテにウソを言って騙した懲罰として「自分で自分の尻叩き」なのである。
 ただ、もう少し、このグロテスクな意味を考えてみる必要がありそうだ。結局、この鞭による自分の尻叩きは、最後まで、完成されない。なぜなら、臨終の床へうらぶれたドン・キホーテが辿り着くまでに行われたサンチョの尻叩きは、おしまいにはドン・キホーテに見えないところで辺りの草木を鞭打って済ましていたのだから。従って、ドルネシアの幻術も解けずに終わるわけだ。(サンチョの尻叩きと同様に、ドルネシアとは一体なにかという根源的な問いもあるのだが)
 しかし、それても十分ではない。どうやらエロチックな意味もありそうだ。まず、なによりも、この奇妙な懲罰にもっとも熱心であったのは公爵夫人である。ところで、ドン・キホーテとサンチョの関係は、良く言われるように夫婦のようなもので、当然、槍を持つ直立不動のドン・キホーテは男性であり、小柄で太っておしゃべりなサンチョは女性である。公爵夫人がサンチョの尻叩きをそそのかす、それは公爵夫人の欲望であり、直裁に言えば、ドン・キホーテから尻叩きをされたいという欲望は、おそらく、公爵夫人のものであろう。サンチョが尻を他人から叩かれるのではなく、自分で叩くことにこだわった懲罰は、夫人の欲望がサンチョの尻に転移した結果であろう。言うまでもないが、著者セルバンテスの深遠な洞察である。

『ドン・キホーテ』について

2007-01-30 06:26:16 | 感想その他
 本を読むきっかけというのは人との出遭いのようなもので、不思議な偶然が重なる。昨年の九月、街の古本屋の店頭で、河出世界文学全集の『ドン・キホーテ』を見つけた。わずか百円なので、買って読み始めた。
 ところが、この会田由訳は、抄訳であって全訳でないことが判明、途中でやめて、アマゾンの古本で岩波訳を取り寄せた。これが、旧訳の永田寛定訳で、おそろしく読みづらい、しかも、最後の一巻が欠けている、六冊本なのに五冊しかないのだ。
 思い切って、同じ岩波本の新訳である牛島信明訳の六冊を取り寄せた。これは読みやすい、夢中になって読んで、今月、半ばに読了し、現在、再読中である。
 関連の書籍として牛島信明『ドン・キホーテの旅』岩根圀和『贋作ドン・キホーテ』オルテガ『ドン・キホーテに関する思索』も読み終わった。
 以上の会田・永田・牛島の外に全訳で現在取り寄せられるのは、荻内勝之訳があるが、べらぼうに高いので、仕方なく図書館で借りる。私は蛍光ペンを使うので原則として図書館からは借りないのだが。荻内訳は活字が大きく訳文も日本語としてこなれているので、正編二冊を読了。ただ、あまりにこなれすぎていて、厳密な訳とは言えないし、註が全くないので、正確な理解は得られないとして、続編の読書は中止した。
 現在、もうすぐ牛島訳の再読も終える予定である。『ドン・キホーテ』の読書は言うなれば人生のようなものであって、これから何度も読まねばならないと思っている。次は会田訳の全訳本を手に入れようと思っている。
 退職後、かなりの読書量になつたが、昨年、本書と巡り会ったのは大きな収穫であった。ここには人生のすべてがあると思えるときがある。ドン・キホーテは思い姫を持たない遍歴の騎士はあり得ないと断言しているが、私も「思い姫」を胸に残りの人生を耐えていこうと思っている。
 なにしろ、セルバンテスが正編の『ドン・キホーテ』を書き上げて、十年後に続編を出版するのだが、その間に『贋作ドン・キホーテ』が出る。この贋作に怒り狂ったセルバンテスが、続編で贋作をこき下ろすのだが、この贋作がなかなかの曲者で、邦訳が出ているほどの傑作?なのだから、対決が面白い、いや、セルバンテスの手際が見事なのだ。
 なにしろ、正編も良いが、続編を読まなかったら『ドン・キホーテ』を読んだとは言えないほどこれが面白い。もちろん、面白い、滑稽と言って片付けられるほどやわな名作ではない。


意識の幾何学

2007-01-29 06:32:34 | エッセイ

 不眠の夜を過ごし明け方近くにとろけるような睡魔に襲われ、不覚眠り込んでしまった体験を持たない人は少ないだろう。多くの文学作品は束の間のこの快楽を捉えるのに苦心を惜しまなかったのは、そこに純粋時間つくりポエジーの所在を嗅ぎつけていたためなのだとぼくは思うる
 アラン・ポオは、自称散文詩「ユリイカ」において、そのメカニズムを宇宙起源論にまで拡大して、引力の根源を天地創造の極みから不意の神意の喪失によって、神意をなぞりながらの帰還的収斂と解している。
 また、彼の「メールストロムの旋渦」は「ユリイカ」の物語版あるいは図解として読むことも可能であり、老人のボートが大渦に呑み込まれて行く集中収斂の過程を睡眠に見立てるならば、不眠にさいなまれる恐慌の心理に相当し、樽に体をロープで縛りつけて渦からの脱出は収斂の前提である拡散への自己投棄による救済であるとも言えるだろう。
 「Kの昇天」における梶井基次郎ならば、投棄ではなく溺死、あるいは昇天と呼ぶところの魂の弁証法であり、一層睡眠の構造は透視術のようにあらわにされる。
 いずれにしても、意識の方向の逆流の瞬間を正確に見据えながらポエジーの装置を探求しているのである。ポオにしろ梶井にせよ、彼らの文学は現実には達成不可能であり、ひとりフィクションの導入によって可能な意識の幾何学の構築によって、純粋な直線の描出という前人未踏の企てに成功したのである。それは「黄金虫」における樹の上の髑髏の虚ろな眼から吊り下ろされた黄金虫を錘とした垂線であり、梶井の「Kの昇天」においては、Kがおのれの影に没頭しながら海へ海へと辿るKの歩行の軌道、そして、なによりも月光に逆らっての昇天もまた直線である。人は定規やコンパスを使わなければ直線も円も描くことも出来ない。純粋な直線や円への直観は、線を意識の持続の象徴とするならば、人間にとって一つの救いであり癒しである。
 直線の本旨は逆になぞることであり、曲線のそれは一回性の没我的な行為である。
 誤解を恐れずに言えば、フロイトのエディプス・コンプレックス説を踏まえてジャック・ラカンの客体aもまた意識のダイナミックな幾何学的な理論であるところに深い洞察が認められるのだ。

假面劇場 その⑯ 最終回

2007-01-28 07:02:51 | 物語

 娘は忘れていたものに今し方気づいたかのようにして、椅子の背後から白木の箱を取りだしテーブルの上に置いた。しとやかな所作で紫の紐を解いて蓋を静かに上げた。そこには二つの目と一つの口がぽっかりと穿たれた白磁の面が鈍く光っていた。
 「病院で父は死の直前までずっとこのお面を布で磨き続けていたためにこんなに光沢があるのだそうです。どこかに父の面影が漂っているように思えませんか」
 瞬間、驚愕の表情が女の顔面をかすめた。が、すぐさま冷静さを取り戻した。
「割れたお面をわざと接着して、私に見せましたね。お嬢さん。あなたはお父様に劣らず卑劣ですよ」
 突き返す白木の箱に添えられた女優の美しい指に娘の視線がしばしとどまった。
その顔に白磁の假面と見まがう残忍な表情が束の間ひらめいたのを、女優は見逃したりはしなかった。(了)

假面劇場 その⑮

2007-01-27 05:58:26 | 物語

 予想外のきっぱりとした口調に、いささか感情を傷つけられた娘は敵意を露わにして女を見据えた。
 「もう結構です。死人に口なしですから、少なくても家庭では母にも私にも優しくかけがえのない父でした」
 女はたじろぎもせずに娘の強い視線を見返した。
 「それを破廉恥というのです。いずれにしても娘さんであるあなたに私の気持ちを理解していただこうとは思ってもいません。事実だけは話しておくのが私の義務ですので一応お話ししたまでのことです。ところで、遺跡から救出されてユーブロンの病院で亡くなるまで、私は何度も病院を訪ねたのに、なにかと口実を設けて面会させてくれませんでしたね。口をきかなかったという彼が私との面接をどうして拒んだのでしょうね」
 ようやく、女の声の抑揚に余裕を感じ取った娘は、女の着用する香水のほのかな薫りに知らず好感を抱いた。
 「あれは病院の判断だったのです。私にさえ生きている内に会わせてくれませんでした。救出されるまでの三ヶ月間に孤独と不安にさいなまれて気が狂ってしまったということですが、奇病の伝染を怖れた病院の配慮だったのです。あなたよりも、本当は父の方が会いたかったかも知れませんね。いま突然そんな気がしてきました。ちょっとお待ち下さい。お見せしたいものがあります。あなたの手紙と共に、父が後生大事に遺跡から持ち帰ったものです」

假面劇場 その⑭

2007-01-26 05:55:25 | 物語

 目の辺りにオルトカーブの面影をうかがわせる娘は、封の切られた封筒に入った一通の手紙を中年の美しい女の前に差し出した。
 「この手紙はお返ししておきます。父は結局意味のあることを一言もしゃべらず、口には水もの以外一切受け付けずに死にましたが、こうすることをきっと望んでいたと思うのです」
 女は手あかに汚れた封筒に手を触れるでもなくしばらく放心した風であったが、かつての官能をとどめる、形の良いくっきりとした唇をひらいた。やや低くはあるが豊かな声量をしのばせる艶のある声であった。
 「ずいぶん、ひどい女と思っているでしょうね。まるで私が殺したのも同然ですものね。あなたに話しても仕方がないかも知れませんが、やはり聞いていただきたいのです」と行って一息つき、娘の反応を窺う様子を見せてから一気に語った。
 「私は若い頃からスキュモレの女でした。それを知りながらオルトカーブはなにかと私に近づき、きっとそれが演劇界で認められる近道と心得ていたのでしょうね。実際、私も彼が成功するように尽力もし、スキュモレさえも彼の才能を高く評価するようになりました。そのころから、彼のわがまま増長ふせりは目に余るものになり、とりわけ女とお金にはだらしなく若い女優とみればやたらとちょっかいを出しました。彼は簡単に女を捨て躊躇なくまたよりを戻し、それを誠実と心得ていて、人の心を弄ぶのを無上の快楽としていた男なのです。この手紙にもある指定の場所へ行かなかったのにはどこかに復讐の気持があったのも事実ですが、私を試すための口実であり、あのような亡霊でも漂っていそうなところへ本当に行くはずないと思ったのです」

熱烈の時代

2007-01-25 06:12:29 | エッセイ

 先生は教壇に立つと、広い教室をじっと見渡された。
 戦災を免れた、講堂のような古めかしい教場には、ぎっしり四百名もの新入生が詰めかけていた。
 哲学概論の最初の授業である。長身でスマート、彫りの深い顔、茶の地味な背広、ドイツ留学から帰国後間もない新進気鋭の哲学教授、そんな噂があった。五時四十五分、第二法学部での講義だから、後ろの扉から遅れて入ってくる者もちらほらいる。
 先生は教壇で立ったまま、静まるのを待っている。やがて、教場は真新しい一枚のシートのように鎮まる。
 「万物は水なり」
 良く通る声で、ゆっくりと発言したまま、しばらく、黙っている。哲学の始祖とも言われる、古代ギリシアの哲学者ターレスの有名な言葉である。
 それから、説かれた先生の講義は、哲学など単位を取るために最初の授業だからやもなく出席したつもりの私に、大きな衝撃を与えた。
 ターレスが、人間や動物そして、すべての具体的な物質世界を「万物」という一つの言葉で、人類が初めて捉え、それが一つの具体的な「水」という言葉で本質を語ったことの画期的な意義を強調された。それはある意味で、「水」でなくても、「机」でも「コップ」でも良いのだと。実際に、水差しのコップを手に取られて。
たしか、1958年(昭和三十三年)春であった。六十年安保改定に向けて、学内は次第に騒然とした雰囲気になってきた。校庭では連日集会が開かれ、デモが繰り返され、二階の奥の講堂までラウドスピーカーの声が響いてくる。授業前、学友会のメンバーが、先生の許可を形式的にもらい、短時間のアジ演説をして行く。先生は、最後まで一言も安保について語らなかったが、どう感じておられたか、どのような意見を持っておられたか。私は安保闘争の期間中に職場でも国会デモに参加した。
 大学でも、学友と出掛けた。ちょうど校舎の裏が都電の車庫になっていて、どうした加減か、定期路線があるわけでもないのに、そこから何台もの都電を連ねて、三宅坂の国会前までデモに行ったこともある。
 先生はそうした騒動とは、超然として無関係に、一年間、ギリシア哲学やデカルトを語り、実存主義を語り、ニーチェやキルケゴールを語られた。それこそ明晰判明で、歯切れが良く、一人一人の学生に語りかけ、問いかける授業は、哲学概論などという、専門用語を披瀝するだけの、しかつめらしい授業とはまったく異質の雰囲気であった。広い講堂はいつも仕事帰りの熱心な学生が詰めかけていた。
 学年最後の授業での、万雷の拍手は、祝儀のようなもので、決して珍しくはないが、私はその晩の場景を思い浮かべることが出来る。
 広い教場のあちこちから、真面目な質問者の手が次々に上がり、先生は逐一丁寧に応えられた。今では、それがどんな質問であったか覚えていないが、自分も手を挙げようとした記憶がある。講義を終了すると、熱烈な拍手が続き、しばらく、先生はそのまま教壇に立ち往生された。立像のように無表情に佇む姿は脳裏に焼き付いている。
 今朝の新聞で訃報に接した。
 「川原栄峰さん、早稲田大名誉教授・哲学、二三日心不全で死去、八五歳。ニーチェ研究で知られ、訳書にニーチェ『この人を見よ』ハイデガー『形而上学入門』、著書に『ニヒリズム』など。」
                        (2007.1.24)

假面劇場 その⑬

2007-01-24 13:48:54 | 物語

 假面修復

 ――私も古代の假面劇の上演など少しも興味が持てません。最初の舞台で、主役でなかつたら、遠路遙々と気味の悪い場所へどうして行くことがあるでしょう。たとえスキュモレに誘われてもきっと断っていたでしょうね。私を抜擢したのには、なにか秘められた彼の魂胆があるのではないかと疑ったほどです。それがあなたの入れ知恵とは考えても見ませんでした。別れてから五年も経って、このような突拍子もない手紙に戸惑うばかりで今日までお返事が遅れてしまいました。だってそうでしょう。あなたにしたってスキュモレの演技中にずっと席を外しているなんて、どうしてそんな大胆なもくろみが思いついたのでしょうか。
 もっとも、あなたは昔から薄情な方でしたわね。いまさらとという気もしますが、お会いして一言言いたいという気持はどこかに残っています。おそらくご指定の場所に行くことになるでしょう。舞台を降りてすぐの逃避行ですから、着替えの必要もありますから、その時間にはとても無理ですが。
 心配なさっているようですが、同封の地図は分かりやすくて迷うことはないでしょう。十年前の遺跡調査の時のキャンプがそのまま残っているなんて驚きです。
 追伸 厭ですよ。今でも愛しているなんて言う、きざなセリフは――

假面劇場 その⑫

2007-01-23 06:28:52 | 物語

 古代假面劇「略奪者への懲罰」が始まった。主役の老優スキュモレが最後のアブモウル王アストーバレン役に扮して登場して、最初のセリフを後方に控えた語り手が発声しようとして、なぜか、言葉が出てこない。スキュモレは観客の方を假面の奥から睨んだまま、語り手のセリフを待つ形になった。
 突然、スキュモレの古代王の假面が真ん中から縦に割れた。同時に、舞台に立っていた俳優十三人すべての假面が二つになって落下した。顔面に假面を装着する以前の、白い包帯を巻いた顔かたちが亡霊のよう照明に浮かび上がった。スキュモレはそのまま後ろに昏倒して起きあがらない。
 たちまち会場は騒然となり、観客は一斉に席を立ち、沖に停泊する船へと殺到するように、バスの停留する砂漠を目指した。
 満員となったバスは先を争うように、順次出発していく。最後のバスが発車しようとしたが、劇作家のオルトカーブの姿が見当たらない。彼の友人を中心にして、広場へ捜しに出掛けた。私たちは幸いにして、その最後のバスに間に合ったのである。
 バスはついにオルトカーブの乗車を確認できないまま発車した。前のバスに乗り込んだと判断されたのであった。(了)

假面劇場 その⑪

2007-01-22 07:08:33 | 物語

 ところが、舞台装置や会場の設営や照明はそのままなのに、人っ子一人いない。一瞬、私たちだけ、都から八千キロも離れた古代遺跡に取り残されたのでは、という不安がよぎった。
 突然、背後から声を掛けられた。
 「きみたち、まだ残っていたのか、早くバスに帰り給え、なにをぐずぐずしているのだ」
 「上演は終わったのですか」
 「中止だ。スキュモレが演技中に亡くなったのだ」
 最終を確認するために派遣された人たちに追い立てられるようにしながら、私たち三人は、砂漠の彼方でじりじりしながら待っているバス一台に向かった。すでに十九台のバスは発車した後なのである。
 以下は、帰路を急ぐ車中で聞かされた恐るべき事件のあらましであり、ちょうど、私たちが遺跡の中でおびただしい假面の観客と対面した頃、起こった出来事であった。