『ドン・キホーテ』続編において、公爵夫妻の奸計にひっかかり、サンチョは、ドン・キホーテの思い姫ドルシネアの呪縛を解くには彼のまるまるとした尻を三千三百回叩かねばならないことになる。サンチョが抗弁するように、幻術にかかった姫を救出することと尻叩きはなんの関係もないが、報酬にひかれて納得してしまう。具体的には、自分の尻を鞭で強く三千三百回叩けば、たちどころに幻術が解けて醜い百姓女に変身させられた姫が絶世の美人に戻るというもので、早いにこしたことないが、無期限である。
実は、正篇において、サンチョは気が狂ったドン・キホーテから騎士自身さえ見たこともないドルシネアに会ってご機嫌伺いして来いと言われて、仕方なく、トボーソ村にやつてきたが、会えるはずもない。そこですれ違った百姓女をドルシネアだとドン・キホーテに報告する。ドン・キホーテはさっそく驢馬に乗ったその田舎女に呼びかけるが、あまりの醜さに仰天する。サンチョはドン・キホーテにあれは魔法にかけられてブス女に変身させられたのだと言い逃れをする。その事実を、『ドン・キホーテ』正篇を読んで知っている公爵夫妻は、サンチョをからかったのである。つまりドン・キホーテにウソを言って騙した懲罰として「自分で自分の尻叩き」なのである。
ただ、もう少し、このグロテスクな意味を考えてみる必要がありそうだ。結局、この鞭による自分の尻叩きは、最後まで、完成されない。なぜなら、臨終の床へうらぶれたドン・キホーテが辿り着くまでに行われたサンチョの尻叩きは、おしまいにはドン・キホーテに見えないところで辺りの草木を鞭打って済ましていたのだから。従って、ドルネシアの幻術も解けずに終わるわけだ。(サンチョの尻叩きと同様に、ドルネシアとは一体なにかという根源的な問いもあるのだが)
しかし、それても十分ではない。どうやらエロチックな意味もありそうだ。まず、なによりも、この奇妙な懲罰にもっとも熱心であったのは公爵夫人である。ところで、ドン・キホーテとサンチョの関係は、良く言われるように夫婦のようなもので、当然、槍を持つ直立不動のドン・キホーテは男性であり、小柄で太っておしゃべりなサンチョは女性である。公爵夫人がサンチョの尻叩きをそそのかす、それは公爵夫人の欲望であり、直裁に言えば、ドン・キホーテから尻叩きをされたいという欲望は、おそらく、公爵夫人のものであろう。サンチョが尻を他人から叩かれるのではなく、自分で叩くことにこだわった懲罰は、夫人の欲望がサンチョの尻に転移した結果であろう。言うまでもないが、著者セルバンテスの深遠な洞察である。
実は、正篇において、サンチョは気が狂ったドン・キホーテから騎士自身さえ見たこともないドルシネアに会ってご機嫌伺いして来いと言われて、仕方なく、トボーソ村にやつてきたが、会えるはずもない。そこですれ違った百姓女をドルシネアだとドン・キホーテに報告する。ドン・キホーテはさっそく驢馬に乗ったその田舎女に呼びかけるが、あまりの醜さに仰天する。サンチョはドン・キホーテにあれは魔法にかけられてブス女に変身させられたのだと言い逃れをする。その事実を、『ドン・キホーテ』正篇を読んで知っている公爵夫妻は、サンチョをからかったのである。つまりドン・キホーテにウソを言って騙した懲罰として「自分で自分の尻叩き」なのである。
ただ、もう少し、このグロテスクな意味を考えてみる必要がありそうだ。結局、この鞭による自分の尻叩きは、最後まで、完成されない。なぜなら、臨終の床へうらぶれたドン・キホーテが辿り着くまでに行われたサンチョの尻叩きは、おしまいにはドン・キホーテに見えないところで辺りの草木を鞭打って済ましていたのだから。従って、ドルネシアの幻術も解けずに終わるわけだ。(サンチョの尻叩きと同様に、ドルネシアとは一体なにかという根源的な問いもあるのだが)
しかし、それても十分ではない。どうやらエロチックな意味もありそうだ。まず、なによりも、この奇妙な懲罰にもっとも熱心であったのは公爵夫人である。ところで、ドン・キホーテとサンチョの関係は、良く言われるように夫婦のようなもので、当然、槍を持つ直立不動のドン・キホーテは男性であり、小柄で太っておしゃべりなサンチョは女性である。公爵夫人がサンチョの尻叩きをそそのかす、それは公爵夫人の欲望であり、直裁に言えば、ドン・キホーテから尻叩きをされたいという欲望は、おそらく、公爵夫人のものであろう。サンチョが尻を他人から叩かれるのではなく、自分で叩くことにこだわった懲罰は、夫人の欲望がサンチョの尻に転移した結果であろう。言うまでもないが、著者セルバンテスの深遠な洞察である。